ほしちゃんの「続・なるようにしか、ならん」。

安くてウマいもんと料理と旅行と音楽と競馬が好きなサラリーマンの暮らしを、ありのままに綴ります。

gooブログをやめて、アメーバに引っ越します。

2024-03-29 18:00:00 | 思うこと
あまりにもgooブログのアプリに不具合が多く、未だに私の端末から画像がアップ出来ず、再起動・再インストールしても改善しないため、gooブログをやめて長い物に巻かれ(笑)アメーバに引っ越します。
ご愛読いただいています皆様、以下のリンクへお越し下さい。https://ameblo.jp/hoshizaki0129


gooブログのアプリが、不具合…

2024-03-28 18:27:49 | 思うこと
このブログは「gooブログ」というサイトだが、昨日から画像が一切載らないという不具合が報告されている。
PCからの投稿なら問題ないのだが、スマホ写真をPCから上げるのは大変面倒で、私はスマホからしか投稿しない事にしている。
不具合が解消されるまで投稿を見合わせますので、ご了承下さい。
「ブログが見られない!」という苦情は、gooまでお願いします(笑)

企画書も作れない70歳を知り、我が人生は間違っていなかったと悟る…

2024-03-06 18:19:30 | 思うこと

(画像はイメージです)
私の社外の大先輩、御年70になる方と今動いているのだが、その方が
「企画書を作ったので、見てほしい」
とメールを下さった。
それがまぁ、70歳しかも曲がりなりにも日本語のプロとしてメシを食って来た人とは思えない稚拙なものだったので、私は面食らった。

まず、提案する相手企業に「殿」を付けている。
言うまでもなく、「殿」は目上から目下に対しての言葉であり、私がクライアントなら「殿」などと宛てられた企画書を提案された日には
「オノレ、誰に向かって提案しとんねん!帰れ!」
と追い返すであろう。

そして日付もなければ、「謹啓」で始めておいてシメの「謹白」もない。
その後に伝えたい事を並べているのだが、それらは「記」で始まり「以上」でシメないといけない。
これらはビジネス文書の基本だが、いくら日本語のプロであってもビジネス文書を作れるかどうかは全く関係がない、というのを思い知った。

私も今から34年前、この大先輩と同じ道を進もうと社会に出たが、その夢はわずか6年で潰えた。
だがその後営業の道に進み、日本語のプロとしてだけなら決して学ばなかった事を多く学んだ。
少なくとも私は、70にもなってビジネス文書のひとつも作れないオジサンにはならずに済んだ。
そう思えば、自分の人生は決して思い描いた通りにはならなかったものの、間違いではなかったとしみじみ思ったのだった…

電車で座りたいオッサン、周りを見ない若者…

2024-02-08 18:00:00 | 思うこと

(イラストはイメージです)
今朝の通勤途中、なんとも暗澹たる気持ちにさせられてしまった。

電車の中。
女子が座っている。
必死にスマホをいじり、周りは全く見えていない。
女子の隣りはちょうど1人分座れるスペースが空いているのだが、女子が首から提げたカバンが席にあるので誰も座れない。
そこへオッサン。
オッサンは座りたい一心で、
「座りたいねん。カバンよけてくれへん?」
と大きめの声で言ったのだが、女子は意に介さず。
するとオッサンは、言葉を発しながら女子の肩を叩いて席を譲るよう強要した。
女子は露骨にイヤな顔をして、渋々カバンを膝の上に置い、オッサンを座らせた。
そこまでは良かったのだが、女子はオッサンに叩かれた肩に何か汚れでも付けられたかのように、肩を払うジェスチャーをした。
オッサンは女子を睨みつけたが、その直後に私は降りた…

通勤前に、実にイヤな光景を見せられてしまった。
結論から言えば、私はこのやり取りは両成敗だ。
まず女子。スマホを触るなとは言わない。
触りながらでも、周りを見ろ。
自分のカバンが席を塞いでいるのは迷惑だと自覚せよ。
女子からすればオッサンは汚らしく思えるのかもしれないが、誰も好きこのんでオッサンになったわけではない。 
アナタも元気でいれば、そのうちオバハンになる。
因果応報、アナタがオバハンになったあかつきにはその時の男子に鬱陶しくされるはずだ。

オッサンもオッサンで、いきなり肩を触るのはセクハラと云われても仕方がない。
周りも見ずに、空いた席にオノレのカバンを垂らしている時点でその女子はアタマが悪いのだから、いくら座りたくてもそいつに絡んだ時点で地雷である事は最初からわかっている。

通勤電車は、現代人のストレスの縮図だ。
それはわかっているつもりなのだが、傍若無人な女子とセクハラの認識をアップデート出来ず「座りたい」という欲求を押し通すオッサンに、この国の未来を憂いた朝だった…

「週刊現代」の特集記事「大阪ぎらい」を読む。

2024-01-30 17:15:29 | 思うこと

週刊誌など滅多に買わないのだが、新聞広告を見て「週刊現代」の特集記事に「大阪ぎらい」というのがあるのを見て、どうしても読みたくなり買ってしまった。
久しぶりに買う週刊現代は、578円もする。そりゃ買わなくなるわけで…

どうせまた東京モンが上から目線で書いた、あるいはTVの「ケンミンショー」的な上滑りな記事だろうと高をくくっていたのだが、よく書かれており腹落ちする部分は多かった。
要約すれば、大阪は本来繊細で優しい街、言葉、文化だったのが交通網の発展で東京一極集中が進み、文化も経済も衰退してしまった。それを埋めるために行政はハコモノを作っては失敗し、お笑いも桂米朝のような粋で繊細な笑いは絶滅してダウンタウンに代表されるような「えげつない」笑いと言葉ばかりになってしまった。また「おらが街の政党」として大阪だけで維新が人気になった、という分析で、私はおおむね当たっているように思える。

一方で、もちろん疑問に思う点、異議を唱えたい点もある。
笑いでも、前述の桂米朝のような粋で繊細な笑いは全国区では求められず、吉本興業のお笑いタレントが繰り出す「キツい言葉で他人をどつき、蔑むえげつない笑い」が全国区になり、それがこのコンプライアンス遵守・ハラスメント防止の世の中になってウケなくなり、よって大阪は嫌われているのでは?とあるが、果たしてそうだろうか。
私に云わせれば、それは東京キー局の連中が本来大阪にあった繊細な笑いを受容出来ず、大阪のえげつない部分だけを楽しんだからではないのか。そして今回、松本人志があのような騒ぎになった事で
「ダウンタウンのようなえげつなさが時代に合わなくなってきた⇢大阪が嫌われだした」
と論理が飛躍したかのように思える。
もし本当に大阪のえげつない笑いが時代に合わないなら、吉本興業のコンビがM−1グランプリを勝つ事はないはずだ。ゆえに大阪の笑いは衰退などしておらず、あるとすれば松本人志がズレてしまっただけの話のようにも思えるが…