「女性がいる会議は長引く」
などと発言した元首相の森喜朗・五輪組織委員会会長が発言の責任を取って辞任の意向を示した。
世の中のジジイの大半が腹の中では普通に思っている事なのかもしれないが、性差別をなくす事を掲げる五輪憲章に照らし合わせると、会長という立場でこの発言は全く許されるものではない。辞任は当然の結論だろう。
政治家は言葉で国民に訴えるのが仕事であるにもかかわらず、森氏は「神の国」「選挙に興味のない有権者は寝ててくれ」「浅田真央は大事な時に限って転ぶ」などの発言で物議を醸してきたが、明らかに時代は不寛容に変わっており、軽い冗談が冗談ではますます済まなくなっている。
森氏自身の意識をアップデートしていただけないのであれば、このまま身を引かれるのが賢明かと思われる。
性差別はあってはならないが、世の中には依然として根深い性差別がある。
しかし、女性が男性を攻撃した場合はほとんど問題にならないのは、何故なのだろうか?
想像だが、小池百合子知事が
「会議の男性の発言は長いんです」
と発言したとしても、それほどのニュースになるとは思えない。
私も含めて、子どもの頃からさんざん
「男のくせに」
と云われてきた。
何をもって男らしさと言うのか明確な答えはわからないが、潔さや決断の早さ、そして女性を守るべき状況で頻繁にこの表現は使われてきた。
不快に思われたなら申し訳ないが、たまたまこのブログをご覧になった女性の皆さんの中で、子どもの頃から今までに一度も「男のくせに」と言った事がないという人は、おそらくいらっしゃらないのではなかろうか。
一方で、我々男が「女のくせに」と言おうものなら今の世の中では完全にアウト。
ヘタをすると、会社を辞めなければならない騒ぎに発展する恐れすらあるのだ。
今回の森氏の発言は全くいただけないが、例えとして小池知事が上記のような発言をすれば辞任に追い込まれるような世の中になってこそ、真のジェンダーフリーと言えるのではなかろうか?
女性差別はノーだが、男性差別は依然としてOKであるように思えて仕方ないのである…