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かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

祝福されてるのになぜ泣く?

2008年04月23日 | ・・・ったくアホな生活

非定住民との文化のシリーズ、
まだ終わったわけではありません。あと数回は書く予定です。

実は、次に被差別やなどの間で圧倒的な信仰を集めていた
浄土真宗、極楽浄土の思想のことを書こうと思っているのですが、
その前に、人間の「悲しみ」「涙」のことについてちょっと触れておきたい。

前にもどこかで書きましたが、私は
「プレママ・トレーニング」という不妊で悩む女性のコミュに
なぜか男ひとり入っています。
いろんな経緯があって辞められなくなってしまったのですが、
そのコミュに書こうかどうか迷っていたことがひとつあります。

それは赤ちゃんが生まれるとき
これほど周り中の人々から祝福されて産まれてくるのに、
どうして赤ちゃんは泣いてこの世に産まれてくるのだろうか?
ということです。

もちろん生物学的には、
お母さんのおなかの快適な羊水に浸った環境から
突然、外界に押し出され、急に肺呼吸をさせられることになったのだから
泣くほど大変な変化を強いられていることには違いないのですが、
日頃、プレママトレーニングのコミュで
やっと妊娠した喜び、出産の感動などの話を聞いていると、
こんなにも皆に祝福されているのに、
どうしてお前は泣くんだ!と疑問に思えてならないのです。

1000人にひとり、
いや1万人にひとりくらいでもいい。
オギャーと産まれた瞬間、
キャッ、キャッ、キャッでも
ケ、ケ、ケ、ケでもいい。

笑って産まれてきた赤ちゃんがいてもいいのではないだろうか?
誰かそんな話、知らない?

気持ち悪いかなぁ。
それもすばらしい瞬間になると思うのだけど。。。

そんなことを、ずーと書こうかどうか迷っていたら、
ふと別な考えが浮かんできました。

人間にとって、泣くということ。
涙を流すということ。
悲しむということ。

これらの感情を出すこと
また、そうなってしまうことというのは
悪いことなのだろうか?
ツライから避けたほうが良いことなのだろうか、って。

そう考えると、
人間の泣く、悲しむ、涙を流すということ
どれも、決して悪い行為ではなく
これこそ人間の大事な気持ちなのではないかと感じる。

仏の「慈悲」というとき、
「慈しむ」はわかるが、
どうして「悲しむ」という字が入るのだろうか。

昔、五木寛之がよく、現代の社会があまりに乾いてきてしまって
本来の湿った文化を取り戻すことがいかに大事であるかというようなことを話していました。
合理的文明という仮面のもとに、人びとは必死になって
湿り気を排除して乾いた文化を築き上げてきてしまった。
でも乾いているということは「軽い」。
湿っていることによって「重み」がはじめて生まれる。
そんなようなことを話していました。

そんなことから、もしかしたら赤ちゃんは、
ただの喜び、乾いた歓喜だけではなくて、
この世に湿ったものを含んだ「重み」を持った存在として
祝福されて産まれてきたんじゃないかってな見かたが思い浮かんできました。

浄土真宗、親鸞の「地獄は一定、住みかぞかし」なんていう
背理から悟るわけでもなく、
ただ、まさに「慈悲」という言葉につながるような優しさが
泣くということを全面的に受け入れてこそ、
心のなかに生まれてくるのではないかな、てな感じです。

プラス思考でなんでもものごと前向きに考えて
悪い言葉は使わないことは大事ですが、
悲しむこと、泣くことでも
プラス思考と同じように、体に良い免疫作用が生まれるといいます。

赤ちゃんは、
オギャーと生まれた瞬間に、そんな両面を見せてくれているような。。。。

よくわかんないけど。


それにしても誰か
笑って産まれてきたっていう赤ちゃん
ひとりぐらい知りません?

「天上天下唯我独尊」なんて言う人より
ずっと現実的でありうると思うんだけどなぁ。。。




      正林堂店長の雑記帖 2008/2/13(水)より転載

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エージェントへのエール

2008年04月23日 | 議論、分析ばかりしてないで攻めてみろ!

正林堂店長の雑記帖 2008/3/7(金) から転載



腰、背中、肩が痛い!
新学期の教科書作業もあと3週間!

今日明日の作業で出遅れた分をなんとか取り戻したい。

同じように同業のエージェントも昨日、悲鳴を上げていた。
私以上に今年はじめて経験する部署であることもあって
疲れ方も人一倍のことと思う。
うちのような少人数の職場と違って
理不尽に思えることもたくさんあることと思う。

冗談半分で、
「これからが本番。ま、楽しくやろうぜ」
と言ったら
「楽しく~?」
と、既に冗談を受け入れる余地もないほどの疲れようだった。
疲れているけど、冗談半分、本音半分のつもりだったのだけど・・・

私も毎年
誰か他に頼れる人はいないのか、もっとバイトでも雇ったらどうなのか
といった疑問がでないでもないけど、
自分でこれだけの仕事を背負えることを、半分(?)楽しんでいるつもりでもある。

お門違いの話ですが、銀行相手(金融業)の話で、
「人は背負っているものが大きいほど信用される」
といわれる。
 いかに能力や資質があっても、独身者でアパート暮らしの無借金生活者よりも
子どもをかかえて住宅ローンを払っている人の方が借り入れはしやすい。

このことは、意外と金融の問題に限ったことではなく
人間の本質をついていることでもある気がした。

イヤイヤ働いている者は、
その仕事を背負う覚悟をせず、ひたすら消化作業としてこなしている。
それに対して
どんな仕事でも、それを自分で背負う覚悟を一度決めると
つらい仕事のなかでも、ちょっとだけ表情から険しさが消える。
それと、その困難をやり遂げたときのイメージが心のうちに持てる。

生きていくうえでは、
背負っているものは、大きいほうがいい。

背負う覚悟さえできれば。

そんな意味をちょっとだけ込めて
エージェントに
「楽しく頑張ろうぜ」
と言ったのだけど・・・

その小さい体では、確かにこの時期の仕事は大変だろう。

でも今の仕事はきつくても、決して突破困難な作業ではないのだから
それは、必ず乗り越えられる。


だから、
一緒に乗り越えようぜ!

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屁でもないことさ。

2008年04月23日 | ・・・ったくアホな生活
・・・と
言い放ちたいとこだけど
そういうわけにもいかない。

今の教科書シーズンの重労働のことではありません。



これも歳をとってきたせいなのか、
悲しいかな、最近、
ちょっと
締まりが悪くなってきた?

家で身内のものに対してや
友人、知人に対してのことであれば
大いに愛嬌として笑い話ですまされることなのだけど、
こと、
お店でお客さんのいるところとなると
なかなか、そうはいかない。


先日、店内を移動して歩いていて
たまたまある女子高生の後ろを通ったとき、
ちょうどその通過するその時の足を踏みおろす一歩と同時に
プッ
と小さく屁をこいてしまった。

なぜか、すーっと歩いている途中で
その女子高生の後ろを通過するその瞬間に、
まるで挨拶をするかのように
プッっと
出てしまった。

あわてて、靴のこすれた音であるかのように
歩き方でごまかしたものの
彼女はどう考えても気づいたに違いない。
軽いプッ、だから
不快な臭さこそないものの

彼女にしてみれば、
なんで自分の後ろを通過するときに
わざわざ一発こくのか、
なんかイヤミともとれるだろうに。

かといって通過する瞬間なので
なかなかとりつくろうにも、誤魔化そうにも
手がない。

実は、こんな失態
これが初めてではない。

ひょっとしたはずみで
図らずも
プッと
出てしまうことが何度かある。

この不意打ち、
場所を選べないのが問題。

今からこれでは、先が思いやられるわい。


歳をとると誰でもあるのだろうか?

いっそ、このブログを見てくれたお客さんとの間の
ないしょの挨拶の方法として
このプッ、の技術に
磨きをかけようかな~


ねえ、そこのブログを見てくれてる方、
誰にも言わないから教えて。

実は、私もあるって・・・


                  正林堂店長の雑記帖より転載
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月夜野町はなくならない

2008年04月23日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里
世の中、自然の再生産が出来ない時代になるとともに、
いつしか、地域の再生産も難しい経済社会になってしまい、
あげくは人間の再生産も危うい社会になってしまいました。

このたびの平成の市町村合併には、反対でしたが、
決まってしまったことは仕方がありません。

ただ、地方が財政難だけを理由に辻褄あわせにはしり、
限りなく「自治」という言葉から離れていくことは
どうか考え直していただきたいものです。
「地方自治体」がいつのまにか「地方行政体」になってしまいました。

本来、お金がないからこそ、
力が弱いからこそ、
知恵を出し合って、力をあわせて
助け合っていくのが「地方自治体」なのではなかったでしょうか。

たとえ無駄な合併が行われてしまったとしても
将来、地域の自治、コミュニティ機能の復活を考えるのならば
必ず「月夜野町」は復活させられるべきものと思います。

行政単位としての「みなかみ町」はそのままでも、
自治単位としては、しっかりと「月夜野町」を育てるべきです。

願わくば、遅くはない将来に
自治能力を発展させて、
独立国としての「月夜野国」をつくりたいものです。

【かみつけの国 本のテーマ館内の私の発言】

「アワニー原則、サスティナブルコミュニティのこと」
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/page178.html

「起業力、創業力、イノベーションの時代」
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/page174.html

「上野村」が教えてくれること
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/page110.html

バカな話に見えるかもしれませんが
これからしばらくおつきあいください。




    正林堂店長の雑記帖より転載
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月夜野町は旧暦を公用暦に

2008年04月23日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里

小つごもりささっと地球の塵ぬぐう  掌

昨年末に私のピアノの師匠のyamanvaさんが日記に書いた句です。

私はちょうど同じ日、たまたまラジオで「つごもり」が
「月隠もり」であるということを知りました。
ところが、昨夜は、月は限りなく満月に近く満ちる時期。
「月こもり」は、「隠れる」だから月が欠ける時期で
まったく逆のはなしになってしまっています。

こうしたことは、陰暦と陽暦の食い違いからおこることですが、月夜野町こそ、旧暦(陰暦)の良さ、メリットを後世に伝える拠点になってほしいと思います。

これは、行政区としての「みなかみ町」はそのままで、
自治コミュニティ単位としての「月夜野町」を育てて発展させる
大きな鍵になります。
旧暦を公式暦に採用した自治特別区をつくろうというはなしです。

このはなしは、わたしの大真面目な冗談話ですから、決してまじめには信じないでください。

もともと、暦というものは、陰暦であろうが、陽暦であろうが、太陰太陽暦であろうが、必ず矛盾はおこり、どこかで辻褄あわせをする、閏年や閏月はいずれにせよ必要になってきます。現行の暦が最も合理的であるとはいえ、決して完璧なものではありません。

どうせ完璧でないのなら、月夜野町だけでも、月の運行に重点をおいた陰暦を採用してみてはどうだろうか。
一口に、旧暦、陰暦といっても様々なものがあるのですが、
月と自然の季節の移ろいにもっともマッチした旧暦を、月夜野町で作成するのです。

するとどうなると思いますか?
農作業などは、暦にしたがってとても理解しやすくなります。
また、一日は太陽暦の発想ですが、旧暦志向ということで、夜明けを明け六ツ、日の入り時刻を暮れ六ツとして、現在の均等割り24時間の発想ではなく、日の短い冬などは日暮れとともに時刻も夜となる。暮れ六ツになれば、暗くなったのだから、世間がどうであれ仕事をしてはいけない。そんな町になります。

ところが、
日常生活は、世界中の暦と違うものを採用するわけですから、
不便きわまりないものになります。
誰も使ってくれる人はいないでしょう。

しかし、そんなことに妥協していては何事もなしえません。
そこで強権発動!
月夜野町憲兵隊を結成し、旧暦を使わない月夜野町民はバサバサと取り締まるのです。
役場で月夜野町民が旧暦を使わずに住民票の写しなど申請したら、即罰金!
暮れ六ツを過ぎても仕事をしているような会社があったら、
即、山に木を1本植えてくるの刑!

こうした取り締まりを強化していくと、渋々でも月夜野町民は旧暦に次第になれてきて、無意識のうちに、太陽の運行、月の運行に興味関心をもつようになり、夜は、テレビなんか見ているよりも、月明かりとともに楽しむすべを次第に身につけてきます。
つまり、世界に誇る省エネコミュニティが育ってくるのです。

みなさんが夜、テレビを見ているほんの1時間、2時間が、
テレビを離れて月明かりとともに楽しむことに振り返られただけで、
どれだけ日常生活が変わるか想像つきますか?

                   (つづく)


   正林堂店長の雑記帖より転載
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暦の基礎知識

2008年04月23日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里
2007年02月16日

外はいい月。
満月。
酒がうまい!

ほんとは昨日が満月で、今日は1%くらい欠けてそうですが、
肉眼でその差はほとんどわからない。

月夜野町民たるもの
月の満ち欠けと暦のことぐらいは
基礎知識として知っていなければいけない。

ところが
暦のことは、難しくて私もよくわからないのでここでおさらいをしてみましょう。

月夜野町にとって、月の運行を軸にしてまず基本におかなければならないのが「太陰暦」です。

以下、『現代こよみ読み解き事典』(柏書房)から引用です。

【太陰暦】
 太陰暦は、太陰つまり月の周期的変化を基礎として暦法で、世界のすべての民族が一度は経験したはずの暦法である。
 地球上のどこに住んでいても月は頭上に輝いて、毎日毎日その姿を変えてくれる。そして、新月・上弦・満月・下弦と規則的に変化していく。

 (イスラム暦が代表的な例)

 厳密にいえば月の公転の周期は複雑で、基準の取り方によっていろいろ長さが変わってくるが、普通は新月から満月を経て次の新月に至る朔望月が用いられる(朔には本当は月が見えない。新月というのは次の日の月をいっていた。)一朔望月は約29日半、正確には29.530589日である。
 十二朔望月が太陰暦の1年であるが、これは約354日である。したがって実際の1年間、つまり太陽年に比べると約11日短い。だから太陰暦をそのまま使用していると、だんだん年始の来るのが早くなってくる。3年弱で1ヶ月、15,6年で約半年に達する。
 このような欠点があるが、太陰暦はこれといった面倒臭い規則を覚えこまなくても、誰にでも簡単に理解できるという長所がある。したがって極めて素朴な社会にでも受け入れることができたのである。

【太陰太陽暦】
 一般に、陰暦とか旧暦とか呼ばれるものは、この太陰太陽暦をさしている。
 さて、月の満ち欠けを1ヶ月とする太陰暦の12ヶ月は、太陽年と約11日の差があり、これをこのまま放置すればイスラム暦のように、実際の季節と暦日がどんどんずれてしまう。農耕を主とする諸民族にとっては、これは重大な事態であるから、かなり古い時代より、何らかの方法で両者の調整が試みられてきた。
 太陰暦を太陽暦と調和させるために、人類はさまざまな工夫を重ねてきた。12朔望月と1太陽年との差は、前述のように約11日なので、2,3年ごとに1ヶ月の閏月を挿入する方法が早くから用いられていた。
いろいろな置閏法のなかで、19年7閏法、つまりメトン法は東でも西でも共通して使用された単純で比較的精度の高い方法であった。

(代表的な暦でバビロニア暦、ユダヤ暦、ギリシア暦、マケドニア暦、ヒンズー暦などがある)

【太陽暦】
 現行のグレゴリオ暦やその前のユリウス暦など、太陽年(回帰年)を1年の単位とする暦法である。季節とのずれはないが、月(太陰)の運行と一致しない欠点がある。太陽暦にはエジプト暦のように、厳密にいうと恒星暦というべき性格の暦もあり、新大陸のマヤ暦のような特殊なものもある。


この程度のことを頭に入れておけば、
月夜野町民にふさわしい
一段とうまい酒をのむことができる。




 正林堂店長の雑記帖 より転載
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これは先の長ーい話

2008年04月23日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里
これは先の長ーい話

結論は急がないでいただきたい。
これは先の続く長ーい話の導入部なのです。
このトピでは、種をまくような作業をしてみなさんの反応を聞けたらと思って書き出したもので、具体的なことは、また他の場で出すつもりでいました。


少しだけ、ことわり書きとして加えるならば、

地方都市や街中の商店街が衰退しているのは、ご存知のようにみなかみ町に限ったことではなく、日本中でおきていることです。
そればかりか、先進国のほとんどで同様の現象はおきています。
これは、産業資本主義社会の発展とともに進行してきたことですが、とりわけここ2、30年の間にどこも劇的に悪化をとげました。

これにたいするこれまでの行政やコンサルタント達の行ってきた施策は、ほとんど失敗に終わっているといっても間違いないと思います。

ところが、もう少し長い歴史のスパンでふり返ってみると、どこの郷土でも、災害や飢饉、戦争など、壊滅的ともいえる打撃や衰退は経験しながら、その土地の歴史はその都度復活を遂げ受け継がれてきています。
ただ、今、各地で起きている現象というものは、それらと少し趣きが異なり、ひとつの文明が衰退していくときのような様相を呈しています。

その意味で、特定の行政施策による解決という考え方ではなく、自分の力をわきまえない無茶な話かもしれませんが、文明論的な観点でまず問題をとらえなおす作業をしなければいけないのではないかと思ってます。

自然の法則にいかにのっとって人間の暮らしを組み立てるかを考えたときに、まずここで取り上げた「暦」は大事なキーワードになります。

また、地域でのそれぞれの暮らしや生き方を考えたときには、そこにいる人びとの人間らしい「働き方」というものが、大きく問われるものです。
これは、今話題になっている雇用対策や景気対策の問題ではありません、これからの時代の人間の働き方のことです。

さらには自然環境の再生も最優先の問題です。

これらのことをすべて取りまとめて
このトピの冒頭に

世の中、自然の再生産が出来ない時代になるとともに、
いつしか、地域の再生産も難しい経済社会になってしまい、
あげくは人間の再生産も危うい社会になってしまいました。

と書きました。

私は、環境問題の専門家でも、地域経済の専門家でも、街づくりの専門家でもなく、ただの小さな本屋の店長です。
ですが、月夜野人さんも同じだと思いますが、
それぞれの人びとが、
今いる場所で、
今いる人の力で、
その人「固有の人間関係」と、
その人「固有の仕事」を通じてこそ、
すぐれた地域はつくられていくものだと思います。

そこに必要なのは、世間一般の正しい理論よりも、
自分の生活を、
自分の仕事を、
自分の家族をなんとかしたいという強い気持ちだと思います。

前に別の場所で話したかと思いますが、
「世間」とは、その実体を見れば

まず、「私(かみつけ岩坊)」と「あなた(月夜野人さん)」なのです。


今の時点で、このトピの話がどうなるか
大まかなイメージしかもっていませんが、
その出発点で月夜野人さんという心強い対話相手がいてくれることは、とても心強く思ってます。
3人目が現れるまで、まずは二人でがんばりましょう。


(本文はmixiコミュニティ「月夜野町」に掲載したものを転載してます)
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遠く感じる「自治意識」

2008年04月23日 | 「月夜野百景」月に照らされてよみがえる里

 最近、かかわるようになったNPOの例会のあと、何人かの仲間とよく夜遅く、時には明け方まで話をすることがありますが、先日もそのような話の場で、地方自治体の復活の可能性についての話題になりました。
 そこで、中心的な活躍をしている村議の女性が、将来はこの地に吉里吉里国のような独立国をつくりたいというような夢を語ったら、他のひとからそういうことは言わないほうが良いなどと注意されたという話を聞きました。

 今、地方自治体の問題はどこも溢れんばかりのなか、地方分権など叫ばれてはいるものの、その議論の多くを見ると、この度の平成の大合併の問題でもそうですが、地方「行政」の問題をどうするかという議論に終始しており、地方「自治」をいかに取り戻すかといった視点は未だにほとんど見られないのがとても悲しく思えます。

 根深く浸透してしまったこの感覚、地方自治体の仕事、住民が役所に要求する内容も含めて、どこをとっても「行政」への苦情やお願いに終始しており、自らの「自治」能力によってつくろうとする視点が、あまりにも少ないのです。

 「地方自治体」という言葉の意味は、すでに死語に近く、ほとんどの実体は「地方行政体」といって間違いないといえます。

 先の自分の住んでいるところを将来独立国にしたいという話ですが、今の人からすれば極論に見えるのかもしれませんが、私からすれば、地方自治の本分からすれば、むしろ将来何らかの独立・自立を目指すことも考えずに、いったいどこに真の「自治」の意識があるのだろうかと疑問に思えてならないのです。

 突破口としてとても期待される「行政特区」ですら、中央の許可、お墨付きを得た範囲でしか許されない「地方自治」にしか私には見えません。

 国レベルで、そこに住む国民の権利を守るためには、警察機構や軍隊などを不可分のものとして持つことにはほとんどの人が異論をはさまないことと思います。
 それが、地方自治体レベルの地域住民の権利を守るためには、なんの努力も闘いも権力機構もなしで自然に与えられ許されたものしか最初から想定していないことが私にはとても理解できません。

 なにもすべて鉄砲持って闘うことを要求しているわけではありませんが、民間企業ですら、ひとつの許認可や法解釈のために、役所との交渉で途方も無い努力の積み重ねによってひとつひとつの事業を前進させていることはある程度は理解できると思いますが、住民自治がそのような努力なしに、国や地方自治体から保障された範囲内で出来て当然のような感覚は、正当な権利を主張しているようでありながら、人の生きる意志、基礎体力のようなものははるかに後退してしまっていると思わざるをえません。

 最近、知人のブログに、憲法で保障された権利の話題でも似たようなことを書きましたが、憲法でも、基本的人権でも、常にそこには条文も含めて骨抜きにしようとする勢力とその実質を守り勝ち取ろうとする勢力の興亡の上になりたっているものだと思います。
 勝手な方向に持っていく人が悪いと非難する前に、自分たちが自らの財産としてそれを守り育てていくという覚悟がまずなければなりません。

 地方自治も同じです。
 行政が悪い、役人が悪い、それは事実あるかもしれませんが、それらの問題を解決するには、まず自分たちで必要なものをつくっていく姿勢、「自治」の意識がまずなければなりません。

 私のいる町では行政の旗振りで立ち上がった「まちづくり」市民会議なるものが生まれようとして期待されていますが、どうもまだ話が行政への市民からのお願いの場のような内容が多く、参加者の期待を裏切る話ばかり耳に入ってきます。


 財政赤字などの対策で行政組織を統合・合併することはかまわないと思いますが、地方自治体が「自治」のための組織づくりを考えるならば、今、必要なのは「より大きく」よりも「より小さく」の方向であり、より密度の濃いコミュニケーションの可能な関係づくりのはずです。

 そして、その住民の意思を貫徹することなど考えるならば、必然的に「自治」とともに「独立」した確固たる権限を伴っていなければなりません。
 この道理に「国」であればあって当然、「地方自治体」には認められるべきではないといわれる理由はありません。(日本の場合は、地方自治体に限らず、国にももう少しこの姿勢があって欲しいものですが)

でも、そんな現実を現状の権限の範囲内で見事に突破した自治体があります。

独立国をつくりたいといっていた村議さんもよく知っていましたが、
今、話題の東国原宮崎県知事のおかげで再び注目されている宮崎県綾町の例です。

どこも、町の再建を観光や事業によって成し遂げているなか、
夜逃げの町とまで言われた典型的な衰退をたどる町の再建を、
なによりもその目的の中心を町民の自治意識を高めることにおき、
粘り強い説得、議論を何年にもわたり続けることでなし遂げたこの町は、
未だに真の自治体再生の事例としては突出た事例として注目されます。

体をはって町長が照葉樹林の樹を守り抜いたことや、無農薬有機農業をブランド化した町としても有名ですが、それらの理解を得るために町長は、何年もかけて町民と、関係職員と粘り強い議論を重ねたうえに為しえており、そのプロセスこそ、多くの人にみてもらいたいものです。

 意見を言うとき、文句を言うときに求められる「覚悟」というものの大切さ、これを忘れたら民主主義は形骸化して「たかり民主主義」になってしまう危険も常に持っています。

なにをつくったかよりも、どのようにしてそれをつくったかを
多くの人に見てもらいたい、知ってもらいたいと思います。



私の読んだ本は絶版になっており、もう入手できないものかと思っていたら、
ちゃんと改訂版が出ていました。

宮崎県綾町前町長 郷田實 郷田美紀子 共著
『増補版 結いの心 子孫に遺す町づくりへの挑戦』評言社 1500円+税
白垣詔男 著 『命を守り心を結ぶ -有機農業の町・宮崎県綾町物語-』自治体研究社 1600円+税



(2007年07月21日に他のブログに掲載したものを転載しました)

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私の手作り「しおり」 その1

2008年04月23日 | 私の手作り枝折、ブックカバーと名刺
私が作っている栞のことを書かないのかと知人に言われたので、書いて見ることにしました。
この栞のことは、話し出したら何時間でも語れる内容があるので、
いつか要点をまとめる必要があると感じてました。

この「手作り栞」を作り始めてたのは、もう2年ほど前にまで遡る。

伊香保の地名を詠んだ万葉東歌が九種もあることを知り、なんとか、このことを地元の人たちにもっと知ってもらおうと栞形式でつくり始めたのがそもそもでした。

最初はピンクや青、グリーンの上質紙にリボンをつけて、
最もわかりやすい歌である
「伊香保風吹く日吹かぬ日ありといへど吾が恋のみし時なかりけり」
の一首だけをつくった。

ちょうど作成して間もなく、正林堂の新装開店の時期になったので、
裏に12月12日新装開店の案内文字を入れて配りはじめました。

このとき量産作業に入りだしたころから、この栞の持つ価値について、
いろいろと考えて改良を重ねるようになりました。

まず第一に重要だと思ったことは、栞というものが、書店にとってきわめて有効な営業宣伝ツールであるということです。

本屋の持っている宣伝ツールとしては、栞の他にブックカバー、手提げ袋、看板、ホームページなどがありますが、そのなかでも、ブックカバーと栞は最も頻度高く、店の印象をお客さん(読者)にもってもらえる性格のものです。

これまでブックカバーは、そうした価値を広く認められ様々なアピールのためのデザイン工夫がされてきましたが、それに比べると意外と栞は、どうもこれといったものがない。

本を開き、閉じるたびに、手にとって挟みなおす栞こそ、喜ばれるデザインや機能のものであれば、末永く喜んで使ってもらえる性格のものであると思う。

これは、きちんとした喜ばれるものをつくれば、コストをかける価値が十分あると思った。


第二に、それほど大事な需要のある栞であるにもかかわらず、これまで、納得のいく機能、デザインを兼ね備えたものがほとんど見当たらないということがありました。

栞とは、文字どおり読書をしているときに読み手をストレスなくサポートしてくれるものでなければならない。
にもかかわらず、多くの栞は、紙が厚すぎたりして、本を読んでいるときにその厚さからページを押し上げてしまう。
使用する紙は、厚すぎてもいけない。
また薄すぎてもいけない。

さらに時々おしゃれのためにリボン、ひものたぐいが穴を通してつけられていることがあるが、これもせっかく手間をかけていながら、ただの紐では、位置を示す機能として本の間から出ることがなかなかできず、その多くは本の間に垂れてしまってその役割を果たしていないものが多い。

リボン紐は、ピンと自立した硬さがないと位置をすばやく確認する役割ははたさないのです。


第三に、しおりというデザイン面が広告表示などの文字印刷面として、きわめて注目度の高い性格を持っているということです。

これは、読書のおりにたびたび見る機会があるということから、短期的な宣伝の内容物ではなく、時が経っても衰えることのない内容の表現物の方が価値を増す。

岩波文庫のしおりなどは、本の装丁の基礎知識や、故事の所以などのマメ知識が書いてあるが、そうしたマメ知識が、店や地域固有の内容であれば、より一層価値が増すことと思う。
そうした活用をしているしおりもあまりお目にかかったことがない。

私の手作り栞は、こうした性格を加味して改良を重ねて作ってきたもので、
紙質もはじめのころのただの色付上質紙に比べると、随分高価な紙を使うようになってきた。それでも、やはり紙質を上げた方が反応が各段に良くなり、末永く大事に使ってもらえるような気がする。


このようにして、現在の栞のスタイルが決まってきたのですが、この作成はリボンがあるばかりに、とても手間のかかるものになってしまっています。
このことには、まわりでも賛否両論、否、否定的な見方の方が多いかもしれない。

そんなコストと手間をかける価値がほんとうにあるの?
どこかに印刷を頼んで、一度に大量につくったほうが安く、効率もいいんじゃないの?

こんな声がよく聞かれます。

しかし、私はその方法はまだとりません。
現実にリボンをつける作業がどうしても手作業になってしまう分、外注に出してもそれほど安くはできないのと、今の栞の内容が万葉東歌ということから、渡して喜んでくれるひとは、そう無制限にたくさんいるものではなく、ごく限られた分野のひとなので、それほど一気に大量生産しなくても、店のレジ番をしているときや自宅でTVを見ているときなどに作業するだけで制作はおいついてしまうのです。

それでも、内部からは店長の高い人件費をかけてやる作業ではないでしょう、との声が出てきます。
確かに、レジのパートさんに時間のあるときはリボンつけなど手伝ってもらうこともあります。

しかし、これはただの作業として行っているものではなく、万葉東歌がこの地に集中している意味を多くのひとにわかってもらいたいという思いとともに作っている作業なので、万葉歌に興味関心のない人にただ作業を手伝ってもらっても、この手作り栞の価値は増さない。

バカなことを言うと思うかもしれませんが、
人がそんな手のかかることやって何になるんだ、という作業を
私が5年、10年かけて5万枚、10万枚とつくり手渡す作業を通じてはじめて
一定の市民権を得た認知をされる文化になるのではないかと勝手に信じているのです。

まだまだ、話す長い内容があるので、
次回にこの栞のバラエティのことを書くことにします。




       正林堂店長の雑記帖 2007/1/27(土)より転載
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私の手作り栞 その2

2008年04月23日 | 私の手作り枝折、ブックカバーと名刺
かれこれ私の手作り栞のバラエティーも、
万葉歌だけで12種類、
その他を含めると14種類あまりになった。

伊香保万葉歌の9首
「伊香保ろの 八尺の堰塞に 立つ虹の 顕ろまでも さ寝をさ寝てば」
「上毛野 伊香保の嶺ろに 降ろ雪の 行き過ぎかてぬ 妹が家のあたり」
「上毛野 伊香保の沼に 植え子水葱 かく恋むやと 種求めけん」
「伊香保風 吹く日吹かぬ日 ありといえど 吾が恋のみし 時無かりけり」
「伊香保嶺に 雷な鳴りそね わが上には 故は無けれど 児らによりてそ」
「伊香保世欲 奈可中次下 思ひとろ 隈こそしつと 忘れ為なふも」
「伊香保ろに 天雲い継ぎ かぬまづく 人とおたはふ いざ寝しめとら」
「伊香保嶺の 阻の榛原 わが衣に 着き寄らしもよ 一重と思えば」
「伊香保嶺の 阻の榛原 ねもころに 将来をな兼ねそ 現在し善かば」

渋川市の花でもあるアジサイの万葉歌2首
「あぢさゐの 八重咲くごとく 八つ代にを いませわが背子 みつつ偲はむ」
「言問はぬ 木すらあぢさゐ 諸弟らが 練りの むらとに 詐えけり」

子持の万葉東歌
「子持山 若かへるでの 黄葉つまで 寝もと我は思う 汝は何どか思ふ」

9首の伊香保万葉歌は、これまで地元では、伊香保温泉周辺でしか取り上げられていなかったのですが、そもそも万葉の時代の伊香保とは、現在の伊香保温泉周辺だけのことではなく、榛名山周辺の広域(特に東南域)を指していたことなので、合併渋川市にとってとても大切なテーマだと思っています。

詳しくは「かみつけの国 本のテーマ館」内「伊香保万葉東歌の世界」をご参照ください。
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/

群馬県人であれば上毛カルタは、だれでも覚えているが、榛名山周辺では、この9首の伊香保万葉歌こそ誰もが知っているようになって欲しい。

さらに、なぜ伊香保という地名を詠んだ万葉歌がこれほどまでに集中しているのかということ、
群馬の古墳の数が奈良県の2倍にものぼるということが、
古代においていかに群馬が東国の中心地として栄えていたかを想像させる理由にもなっている。

話は群馬という地名の由縁、
榛名神社と伊香保神社の勢力逆転の歴史
大和政権と東国支配の関係、
古代東山道のはたした役割、
古代政権にとって最大の資源である金銀銅水銀など鉱物資源入手ルートなど、
次から次へ、この栞が尽きない話題を提供してくれる。

またこの万葉歌は、その季節ごとに使い分けることもできる。

紫陽花の2首は、もちろん6月の梅雨時
夏には「雷な鳴りそね わが上には 故は無けれど 児らによりてそ」と
   「八尺の堰塞に 立つ虹の」の歌
秋には「子持山 若かへるでの 黄葉つまで」
冬には「伊香保の嶺ろに 降ろ雪の 行き過ぎかてぬ」

もっとも万葉仮名は、ただの古語とは異なり、とても解釈の難しいものもたくさんあり、
専門家の間でも意見がまとまらないようなものが多いので、
それこそ自信をもって素人なりに、より面白い解釈を提供することもできる。
普及させるには、学問的に正しいかどうかよりも
面白いかどうかを優先させて、落語的解釈をどんどんしていこうかと思っている。

とりあえず、この伊香保万葉歌だけで
5万枚作成普及が当面の目標です。

次回には子持万葉歌と「子持の眠り姫」のことを書きます。






正林堂店長の雑記帖 2007/1/28(日) より転載
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私の手作り栞 その3

2008年04月23日 | 私の手作り枝折、ブックカバーと名刺
2006年の夏、
お店のスタッフが気がついたことをホームページに書いていたら
ふとしたお客さんとの会話から、そのことがどうやら
大発見につながることであることが見えてきました。

それは、渋川市北方の赤城、子持方面から小野子山の裾野を見ると、
その山のかたちが美しい女性の寝姿に見えるということす。

ただ単に山のかたちが、人の姿に見えるだけなら格別珍しいことでもないのですが、
このことで大発見につながったのは、この女性の寝姿の形が、
安産、子宝信仰の子持神社の参道を登って神社に近づくにつれて、
お腹がだんだん膨らんでくるように見えるということです。

はじめのうちは、子持神社との関連性に気づかず、
ただ見る場所によってお腹が膨らむということで、
「孕んだ眠り姫」というだけの話題にしていましたが、
子持神社との地理関係に気づくにしたがって、子持神社、子持山、小野子山それぞれの関係が、
すべてこの女性の寝姿に端を発しているように感じられてきたのです。

これは、下手な町おこし事業をやるよりもずっと、ロマンあふれる郷土作りにつながるのではないかと、
この子持の万葉歌のしおりの普及とともに、この話題を広くひろめるように
あちこちのネットコミュなどに書き込みながら宣伝を始めました。

地元の子持周辺の会うひと会うひとに、このことを聞きまくりましたが、
女性の寝姿の山のことは知っていても、
子持神社に近づくにしたがってこの女性のお腹が膨らんでくるということは、
ほとんど誰も知りませんでした。


そして、説明文を改良してつくられたのが、次の万葉東歌の栞。

「子持山 若かへるでの 黄葉つまで 寝もと我は思う 汝は何どか思ふ」

子持山の楓の若葉が紅葉するまで、
私はこうしてお前と寝ていたいと思うのだけれど
お前はどう思う?               (現代文大意)

この万葉歌も、もしかしたらこの山の女性の形をみてつくられているのではないかと思えてきます。

詳しくは「かみつけの国 本のテーマ館」内「子持の眠り姫」のページをご参照ください。
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/


そんな騒ぎを昨年後半はずっとしていたのですが、
この「子持の眠り姫の万葉栞」はさらに新しいご縁を広げてくれました。

実は日航機事故のことがご縁で知り合った埼玉のある看護師さんが、
不妊治療トレーニングのコミュを立ち上げ、そのコミュ写真アップのお手伝いなどをしているうちに、
この栞が、安産、子宝のお守りとして活用してもらえることを思いついたのです。

たまたま、こうしたご縁で私も入ってしまったその「プレママ・トレーニング」というコミュ、
独身の男がひとり入っていてもなんとなく居心地がわるく、
写真も決まり、お守り栞も出来たことだし、年末に区切りとして退会させてもらおうと軽く考えたら
その看護師さんから、社会問題としてせっかく男のひとに参加してもらっているのに
勝手に辞めるなんてヒドイ!と、大変なお叱りをうけてしまいました。

そんなこともあり、引き続き「プレママ・トレーニング」コミュの
紙ナプキンがどうした、生理がどうしたとかいう話に
独身男がひとり参加しているのですが、
1月半ばを過ぎたころ、1人のメンバーから待望のオメデタ報告がありました。
そして、その方はなんとこの栞を大事にカバンのなかにいつも持っていてくれたというのです。

ネット上でしか知らない面識のまったくない人ですが、
ひとりのオメデタが、参加しているこのコミュの第1号報告としても価値ありますが
こんなに嬉しい思いを自分がするとは思いもよりませんでした。
今頃になってですが、
この歳になって、生命そのものの喜びを初めて知ったような気がしました。
その第一号オメデタ報告のメールが看護師さんから飛び込んできたのは
夕方、1人で店番レジにいるときでしたが、
目の前にお客さんがいるのに、こみ上げる涙をこらえるのに必至でした。

もちろん、栞の実際の効果など言わずもがなですが、
この栞を普及させる価値が間違いなく存在するのだということは
このとき確信することができました。

そんなこともあって、
今もひとりで、
シコシコと栞のリボンを折る。


正林堂店長の雑記帖 2007/1/29(月)より転載
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私の手作り栞 その4

2008年04月23日 | 私の手作り枝折、ブックカバーと名刺
私の手作り栞は、万葉歌のものばかりではありません。
この万葉栞を作る前に、
自分の名刺栞を作成したのが、おそらくこのパターンの最初だと思います。

「本屋の名刺はこうでなくちゃ!」
と、名刺にパンチで穴をあけ、そこに今の栞のパターンのリボンをつけ
本に挟んで栞として活用してもらえる名刺をつくりました。
その頃は、パソコン用の様々な名刺用台紙を買ってきては、
いろいろなデザインを試していました。

正確な記憶はありませんが、
おそらくこれが私の手作り栞のはじまりだったのではないかと思います。

この経験がもとになって、
次に、私のピアノの師匠であり、メゾソプラノ歌手でもあり、俳人でもある方の
俳句を利用した短冊名刺が出来上がりました。

これも様々なタイプを試作しましたが、
俳句の短冊として合う台紙のデザイン紙は、はじめはただの色紙を使ってましたが、
原稿の背景に草花の写真を単色に変えて印刷したのが一番うまくいったような気がします。

その方の名刺表現に最も相応しい作品として、
句集をいろいろ引っくり返しながら、いくつかの句の選んで栞を作ってみましたが、
私は次の一句が名刺用表現としてベストではないかと勝手に選ばせてもらいました。

「霧裂きゆく言の葉を一花とし」

これをオモテ面に短冊風に記し
裏に、名刺として名前、住所を印刷しました。

先に、「本屋の名刺はこうでなくちゃ!」というものを作りましたが、
今度は、「俳人、歌人の名刺は、こうでなくちゃ!」というものを作ったつもりです。

これは、けっこう喜んでいただけたようでした。

この発想でいくと、他にもいろんなパターンの業界の名刺が考えられそうです。

そして、
お店で次に思いついたのが
「合格祈願」しおり。

正林堂は、書店のなかでも
比較的高校生を中心とした学習参考書の専門店として知られてます。
この高校生や中学生が、受験時期になるとたくさん参考書を買ってくれるのですが、
せっかく学習参考書の専門店でありながら、
なかなかそれに相応しい独自のサービスが出来ていませんでした。
なにか、そうしたものはないかと日頃考えていたところ思いついたのが、
この「合格祈願」しおり。

これも、受験生にただばらまいたのでは、あまり喜んでもらえないのです。
レジに受験関係の参考書を持ってきた高校生(中学生)にだけ、
ふっと急に思いついたように、
「あっ!コレあげる。がんばってね。」
と言って渡してあげると、ふだんブスッと口もきかないような高校生が
ニコっとして帰っていくのです。

この栞は、店名などの表現がなにも入っていない純粋なもので、
裏に店名くらい印刷しようかと思いましたが、
従業員から、この方がいいと思うと言われ、今もそのままで配ってます。




正林堂店長の雑記帖 2007/1/30(火)より転載
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私の手作り栞 その5

2008年04月23日 | 私の手作り枝折、ブックカバーと名刺
今回で「手作り栞」シリーズは最終回。
しおりの作り方を簡単に説明します。

手づくり栞の一番のポイントは、
リボン部分をキレイに、機能的に折り曲げることです。
この技術さえ覚えれば、どんな材料でも「しおり」として簡単に作ることができます。

使用するリボンは、100円ショップ(ダイソー)の贈答用パッケージなどを売っているコーナーの細いリボン。2色2巻のパック(写真)を使用します。

1、まず要領をつかむために、練習用として適当な厚紙にパンチで穴をあけます。
   穴位置の深さは、通常の2穴パンチの奥までいっぱいに挟み込むとちょっと深すぎるくらいに
  なってしまうので、奥にぴったりつけた位置より2mmくらい手前で穴をあけます。

2、そこにリボンを通します。
   リボンの通し方は、はじめに適切な長さに切ってから通す方法と、ロールのまま、端から通していく方法がありますが、長さの調節をするためには、はじめに切ってしまうより、先にリボンを通して、ある程度折り曲げてから、適切な長さに切った方が作業は楽になります。

3、リボンの折り曲げ方
   写真のような硬いリボンでなければ、穴の通しかた、折り曲げ方がどうやってもかまわないのですが、この硬いリボンをあえて使用し、きれいに折り曲げることで、栞として使いやすく、おしゃれなかたちに仕上げることができます。
   そのために、しおりの肩の位置の折り返しは、45度に折り曲げることで、紙と栞がぐらつくことなく固定される役割も果たすことができます。
   実際の手順は、写真を参考に折り曲げてみてください。

4、カットの仕方。
  リボンのカットは長さだけあわせて適当に切ってもかまわないのですが、
  三角になるようにカットして向きを交互に、ハサミ状にしたほうが、
  最終の長さ調節が多少ずれてもそのズレが美しくみえます。

ここまで出来れば、小さな紙片であれば、名刺や展覧会やコンサートのチケット片など、
あらゆるものを美しい栞として残すことができます。
とくに演奏会や展覧会のチケットなどは思い出として保存するうえでも、
ファイルに保存してしまうより、この方法で日常で活用するほうが私は気に入ってます。

5、印刷
万葉東歌栞のようなかたちの印刷は、
パソコンでA4サイズ8枚取りの版下を作成すれば、どのような原稿でも可能です。
一番最初にA4サイズ8枚取りの位置決めに、慣れないと多少苦労しますが、
一度、位置決めしたパターンができれば、様々な原稿で応用作品をつくることができるので、
はじめは面倒でも、是非トライしてみてください。

6、カット
 印刷したら、あとはカットするだけですが、
 このカット作業も大量にする場合は結構手間がかかります。
 私は、自宅オフィスに手動断裁機を買いました。
 これは、栞専用というわけではなく、簡易製本をするためにも欲しかったので、
ネットで3万円弱で見つけたものですが、
重量もあり、結構場所もとるので、なかなか会社で買ってもらうわけにはいきません




正林堂店長の雑記帖 2007/1/31(水)より転記
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手作り栞 Ver.5

2008年04月23日 | 私の手作り枝折、ブックカバーと名刺
伊香保の万葉東歌などの私の手作りしおり、短歌の短冊のイメージを利用しているために
やや縦長で、文庫サイズに使用するにはちょっと長すぎる。
いっそ短くしてしまおうかと迷っていましたが、
いい方法が思い浮かびました。

それは、使用済みの図書カードを利用する方法です。
作り方は従来のものとまったく同じ。

ところが、この図書カードを利用する方法、
予想外に使い勝手が良い。

図書カードの材質が、実に薄くて、やわらかい。
加えて紙と違って、長く使ってもほとんど傷むことのない丈夫さも兼ねてる。

写真は、ピーターラビットのシリーズですが、
けっこう洒落たデザインのカードもたくさんあります。

最近、お客さんの出したカードが使い切られると、
『終わったカードはこちらで処分してよろしいですか?』
と聞くのが愉しみになった。
ほんとうは、
「こちらで使わせていただいてよろしいですか?」
と、聞かなければならないところだろうが、
お客さんが
「ハイ。」
と言ってくれるやいなや、
思わず、ニターっとしてしまう。

(これ、ここに書いて大丈夫かな?)




正林堂店長の雑記帖 2007/9/16(日)より転載
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伯母の本作り

2008年04月23日 | 手作り本と表現活動
(以下、2007年の正林堂店長の雑記帖よりの転載記事です)


年内の完成を目指しているのですが、間に合わせられるだろうか?


同じような手作りの本を作っていて、
その方法論を確立しようとしている渋川市内の佐々木金義さんは、
手作り本の理念を次のようにまとめています。

本作りの理念(抜粋)
1、自分で作るから伝わる
2、お金をかけないから本心が見える
3、普通の人間が作るから共感を与えられる
4、自然体で作るから後世に感銘を与えられる
5、残し遺せる安心感は幸せへのプロローグ
6、頭脳活性は健康へのバロメーター
7、口は災い、書くは幸い
8、書くは「開拓」「開発」「発見」
9、自己アピールは仲間作り
10、羞恥心より向上心




 わたしが、ちえおばさんの文をはじめてみたとき、その素直な文章の表現力に驚いたものですが、同時にノートや広告用紙の裏に書き連ねられたたくさんの文を見たとき、それらのほとんどは、私にはまだ宝の山ともゴミの山とも判断のつかないものでした。

 ところが、おじさんがそのなかのいくつかをワープロで清書してくれて、そのデータを持ち帰って文章を少しずつ整えていくうちに、雑文集にしか見えなかった数々の切れはしが、次第にどれも立派な作品としても通用する珠玉の集まりとして見えてくるようになりました。

 もちろん、それは決して本にしたからといって一般の人たちに売れるようなものだという意味ではありません。

 でも、ほとんどの人が自費出版などで出す経歴や体験と連ねただけの自伝的な本よりも、しっかりとその時々の自分と向き合っているおばさんの姿が見えるものであり、
これこそ、その人のほんとうの生きざまを伝えるメッセージとして、多くの人に伝える価値があるものと確信しました。

 本(冊子)というものは、不特定の人に見てもらうことよりも、
この言葉は、
この文章は、
あの人に伝えたい、
うちの子どもたちに伝えたい、
孫たちにに伝えたい、
といったそれを見せる相手を具体的に想定してこそ、価値は増すものだと思います。
 しかし、この特定の世界を表現するということは、同時に他の人には本来見て欲しくないこと(伯父の浮気事件など)まで立ち入ることも意味します。
 この踏み込んだ表現をおじさんが見事に理解、バックアップしてくれたことでこの文集の価値が増して出来上がったともいえます。
 このおじさんの行為は、ただ「寛大」だからというものではなく、おじさん自身がこれを伝える価値や意義を感じてくれているから出来たことと思います。

 たまに遅い時間に月夜野の家にお邪魔してこの伯父伯母夫婦の話を聞きながら、原稿の打ち合わせをすることは、私にとってはとても誇りに思える作業でもありました。
 しばしば、同じ話を何度も聞かされる年寄り特有の会話に対する我慢の時間もありましたが、このメッセージを自分がどれだけ顔の浮かぶひとりひとりに伝えられるかを考えると、この関係をもてたことが自分にとってもとても大事な時間であることを痛感させられるのです。
 
 私も決して、本を作ること、増してや他人の文章を直すことなどできるような資格はないものですが、ひとりの親戚筋のものが、ビジネスベースではなく、こうしたご縁でこのような価値ある仕事が出来ることがうれしい。

 願わくば、このおばさんの文章を読んで、ひとりでも多くのひとが、「世間」を相手にすることではなく、その時々の自分と向き合うことがどれだけ価値のあることか、考えるきっかけになっていただければ幸いだと思っています。

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