かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

昨日したことを今日もするか?

2008年04月24日 | ・・・ったくアホな生活
昨日していたことを今日やり、
今日していることを明日またやる。

最近読んでたどっかの本のなかに出ていたフレーズ。


ヤダー!!!!
そんな毎日は。

やっと陽気も暖かくなり
教科書シーズンも終わったので
活動始めるぞーーー!


規則正しい生活をしてこそ、
と何度も言われているけど、
日々、新しいことを何かしていないと
やっぱり人間やめたくなってしまう。

せめて食生活だけは、規則的でありたいのだけど・・・



グーグルは会社として仕事の20%を
必ず未来のための仕事に振り当てている。

痛くない注射針の開発などで有名な世界一の町工場を誇る岡野工業の社長は、
昼間を通常の稼ぐ仕事、夜は研究開発、実験に当てている。

私も毎日、6,7時から10時頃までは
明日のための仕事、10年後の準備の仕事に徹する。

で、朝早く起きて
バッハを弾いてから風呂に入って読書。
このくらいのリズムは確保したい。


昨日またひとつ新しく余計なブログを開設してしまったけど、
創造する仕事と創造的な遊びに
これから専念します。

もっともっと
誰もやりたがらないこと
誰からも支持されないようなことで
自分だけが面白くてしょうがないようなことを
仕事を削ってでも増やさなければ。

一昨日から、なんかそんな気分です。

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野良ネコ捕獲機の二次災害

2008年04月24日 | 渋川の本屋「正林堂」
私のつくっているサイトのなかで、
日航機事故のページとともに、古くから人気のページに

「野良ネコ捕獲機お貸しします」
http://www18.ocn.ne.jp/~shorin/page083.html

があります。

これは、キーワードが「ネコ」というヒットワードであることと
野良ネコの被害で困っているひとが実際に
かなりたくさんいることにより、
アクセスが多くなっているようです。

多くの人にみてもらえることはうれしいのですが、
現実に困っているひとからくるたくさんのメールに
時々悩まされることがあります。

どこの誰かもわからない、まったく名乗りもしない人から
詳しい捕獲機の作り方や部分説明を度々求められるのです。

同じ被害者としても気持ちはわからなくもないが、
なんかメールを送って教えてもらえば
簡単に出来るような安直な発想と
どこの誰であるかも名乗らず
質問メールを出せば自動的に返信が帰ってくるような発想が
どうも納得しがたい面があって、
最近は、ペンネームでも名乗りもしない問い合わせには
スパムメールか悪質な悪戯の可能性ありと勝手に判断して、
相手によっては返事を出さないことがあります。

最近そんな対応方法をしばらく悩んでいましたが、
今度パターン化した返信を送ってあげることにしました。



野良ネコ捕獲機についてメールいただきました。

詳細についていくつかのお問い合わせですが、
野良ネコは、十分学習能力や知恵も兼ね備えた
とても高等な動物です。
そうした生物に対抗することは、
安易なマニュアル発想の対応のみで
太刀打ちできる問題では決してありません。

私は、優秀な野良ネコとの長い闘いを経て
彼らの知能、生き抜く知恵と努力を敵ながら
深く尊敬すらしております。
その意味で、捕獲機を作るということは
その時々に皆さんの手に入る材料の材質、
その場の環境によって様々な工夫を要するものと思います。

私のホームページ写真ではわかりにくい面も
多々あるかとは思いますが、
想像力を働かせて自ら工夫を重ねることなく
安易に答えを求めても
必死で生きている彼らに勝つことは、
およそ不可能であるかと思います。

まずいくつかの捕獲機を作ってみたうえで
考えるレベルでなければ、
闘う前から「野良ネコ」の生命力には
すでに負けているともいえます。


不明な点は、自ら想像力を働かせ、
入手可能な材料に工夫を重ね、
敵(野良ネコ)に敬意を払って
真剣に闘いに挑まれることを望みます。

よって、
ここでは○○さんの健闘を祈ることで
私の返信とかえさせえていただきます。

以上。


こりゃ、知らない相手にはちょっとぶしつけかな?




    正林堂店長の雑記帖 2007/3/2(金)より転載
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営利事業と非営利事業

2008年04月24日 | 鶴舞うかたちの群馬県・広域情報
仕事上、塾の経営者とのおつきあいは多い。
昨日、そうした常連の塾経営舎のひとりで、
英語教育で差別化をして成果をあげている方とちょっと長話になった。

その方は、塾経営のかたわら、
ボランティアの英語教育活動を近所の小学校でやっている。
来年度も継続していくか、学校側と相談しようとしたが、
年度をまたいで責任ある窓口になってくれる先生がいないと嘆いていた。

お役所、公務員の世界ではどこでも共通したことであるが、
春の人事異動目前のこの時期、
年度をまたぐ計画について話題にすることは極めて難しい。

どんなに頑張っても、現場で3年、5年、10年といったスパンで
ものごとを決める権限が与えられていないのだ。
それでいて、文部科学省など、上で決まった決定には
毎年コロコロ変わるようなことがあっても、
無条件に従わさせられる。

これは公務員組織の問題で、現場で働く人の努力の域を超えている。
だから仕方がない、ではなく、
それでも頑張る先生や公務員が少しはいてほしいものだが、
話題はこのことではない。

その塾の方がボランティアでやっている仕事とビジネスでやっている仕事の
兼ね合い、使い分けの問題で、
それがこれからますます難しくなるだろうという話のことです。

ボランティアというのは、それを受け入れてくれる側との
良好な関係があってはじめて成り立つもの。
それを抜きにただ「善意」のみでそう続けられるものではない。
そうした関係を築こうとするのを公務員の壁が阻む。

するとボランティアをする側も
自分のビジネスにつなげられるメリットがあるのかないのかといった
下心がムクムクと顔を出してくる。

そもそも自営業者とは、明日は餌にありつけるかどうか
まったく保障のない野良犬のごとき生き方が前提にあるのに対して、
公務員は不祥事でもおこさない限り、ほぼ生涯にわたってエサは保証されている。

その辺の差が、ボランティアに対する感覚のズレを生み、
生きた対話、真剣なつきあいを阻んでいるような感じがする。

これからの時代、高齢者の人材活用の問題や、
ボランティア支援、さらにNPO等の組織の増加などにともない
非営利事業の比率はどんどん高まっていくと思う。
高まるというよりは、遅れを取りもどすくらいの努力がもとめられている。
そこでの元祖、非営利組織、公務員の関わりかたもより重要になってくる。

まだ話しが途中で終わっている「贈与」のテーマも、
社会全体では、有償の労働よりも、
圧倒的に多くの無償の労働によって支えられている実態を
もっと理解してもらえたらと思って書いているのですが、
その意味でも、非営利の事業活動が増えることは、
本来の社会の自然な姿に近づくものであるといえる。

ところが、現実には・・・


10年以上前に、ひょんなご縁から、
高崎にパソコンスクールを立ち上げる仕事を手伝ったことがある。
その時、ウィンドウズが定着しだした時代で、
ビジネスとしてのパソコンスクールがたくさん出だしたと同時に、
行政主催の無料のパソコン教室も次々に開講し、
その経営計画に随分迷った。

こうしたことは、10年前以上に、これからどんどん
ボランティアやNPOの活動とビジネスベースの仕事との間で、
その棲み分けとせめぎ合いが生々しく起きてくるに違いない。

1月にあるNPOに参加したこともあり、
一度、この問題をじっくり整理してみたい。




     正林堂店長の雑記帖 2007/3/7(水)より転載
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告発の時代は終わった

2008年04月24日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜
連休明けからはじめる予定のフェアの
パネルだけが出来上がった。

毎年、この時期は新緑の行楽シーズンにあわせた企画をしているが、今年は
「木を植えた男」フェア

児童書絵本の『木を植えた男』をメインイメージにして、
内容軸は、世界一木を植えた男、宮脇昭の本を中心にする。

そして群馬で立ち枯れ問題にずっと取組み森林の復活に貢献している宮下正次さん。
群馬出身の環境問題のエキスパート、富山和子さん(男じゃないけど)
自然らしい植生の再現で黒川温泉の再生を成し遂げた
後藤哲也さん

などを軸に組み立てる予定。

宮脇昭の古本で見つけた本をめくっていたら
「告発の時代は終わった」という言葉が目に飛び込んできたので、ちょっとわかりにくいかもしれないけど
これをサブタイトルにしてみた。

木を植えるということが、これから人間の根源的営みとして
身近に誰もが考えるようになってほしい。

環境問題や様々な社会問題は山ほどあり、
政治告発も必要なことではあるが、
これからなによりも大事なのは、
自分たちが何を作っていくかということで、
自分が生み出せることにこそ
エネルギーを集中するべきだとの思いが
宮脇昭の姿勢から強く伝わってくる。

「木を植える」
ただそれだけのことから学ぶことは
とても多い。




   
  正林堂店長の雑記帖 2007/4/28(土)より転載
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「木を植えた男」フェアパネルの裏

2008年04月24日 | 渋川の本屋「正林堂」

以前、このフェアのパネルができたことだけお伝えしましたが、
昨夜、商品の入れ替えが終わり、本日から正式にスタートしました。

さあ、パネルを飾ろうとしたとき、実はこのパネル、以前別の催事で使ったものの裏を使用しているため、その裏面をどうやって隠そうかということになった。
それでちょうど、最近、感動したマザーテレサの言葉を拡大コピーして貼ってみた。
内容的には「木を植える」行為と同じ
人のこころに木を植えるような文なので
こじつけでもそう悪くはない。




人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。

あなたが善を行うと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。

目的を達しようとするとき、
邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行いをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。

あなたの正直さと誠実さが、
あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい。

あなたが作り上げたものが、
壊されるでしょう。
気にすることなく、作り続けなさい。

助けた相手から、
恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。

あなたの中の最良のものを、世に与えなさい。
けり返されるかも知れません。
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。



         マザー・テレサの言葉




    正林堂店長の雑記帖 2007/5/6(日) より転載
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本のプレゼント

2008年04月24日 | 渋川の本屋「正林堂」
休日など売り上げが低い日に、このままではちょっとマズイと心配していると
けっこう天使が舞い降りてきてくれてなんとか追いつくことが多い。

うちにとってのそんなときの天使とは、
限られた常連さんのことです。

常連さんといっても、こういう売り上げのピンチを救ってくれるような
ヘビーユーザーのお客さんは、
月に一回来てくれるかどうかの人たちで、
なんとなくうまい具合に休日に入れ替わり立ち代り来てくれるものだ。

昨日のゴールデンウィークの最終日も、昼過ぎの時点でちょっと今日はヤバイぞと思っていたら、
学校で読み聞かせなどのボランティアで活発に活動されているお客さんが
同じ本を何冊も、プレゼント用といって買っていってくれた。

ひとりで店番などをしているときに、何冊もの贈り物包装などが入るとちょっと冷や汗ものですが、
幸い私は小学校5年の頃から中学までホーソー部にいたので、
比較的この対応には自信がある。(通じないかな?)

昨日のお客さんは、ちょっと前に話題になった「ハチドリのひとしずく」(光文社)をまとめて買ってくれて、ひとつずつ包装してくださいとのことだった。
確かにこれはプレゼントには最適な本。
もうそろそろブームも去ったので、少し在庫量を減らそうかと思っていた矢先だったので良かった。

最近の本では『病気にならない生き方』(サンマーク出版)が、人にあげたいといって同じ人が何冊も買う例がとても多かったが、その後では五木寛之の『林住期』もプレゼントによく使われる。

こういった本を人にあげるようなお客さんの多くは、かなりの読書家であることが多く、
店内滞在時間もだいたい1時間くらいはじっくり棚を見ていってくれる。
私は、この棚をじっくり見てくれるお客さんが一番うれしい。
常連さんのなかには、大量に注文してくれるけど、店の棚はまったく見ず
カウンターで用をすましてまっすぐ帰っていってしまうお客さんもいて、
店の回転が良いことはありがたいのだけど、個人的にはあまりうれしくない。
先の「ハチドリのひとしずく」を買ってくれたお客さんは
前橋に最近出来たけやきウォーク内の紀伊国屋書店にけっこう入り浸っているのが
当店のスパイによって目撃されているが、
幸い娘さんが高校に入ったことで、学習参考書の購入目的もあるため
うちのような小さい店にも来てくれている。

で、そうしたお客さんに共通している大事なことは、
良い本であれば誰にもすすめたいという買い方ではなく
この本はあのひとにあげたいというひとりひとりのイメージができているということで、
日ごろそういったおつきあいをしている方だというのがよくわかる。

正林堂のホームページの
「とっておきのプレゼント」
http://www18.ocn.ne.jp/~shorin/page135.html
にも書いたけど、プレゼントで大事なのは、ただ良いものをあげるというより
あの人が喜んでくれるようなもの、というのが一番大事なこと。
もちろん、それは相手を知らなければできない面倒なことなのですが、
この「相手を知る」ことこそ、
私はあなたのことをこれだけ見てます、思ってますよという
プレゼントの核心部分なのですが、自分でそれをやるのはほんと大変なことで
しかも時間のかかることです。
でも、ここに時間をかけることこそ楽しい作業であることを
ほんとはお客さんと共有したいのですが、
ひとりのお客さんの相手をそう長時間できることはないので
つい「さばいて」しまう。

でもやはり「この本はあのひとに」という見方こそ
本屋の仕事で一番必要な視点。
うちの自慢のパートは、これが私なんかよりずっとスゴイ。
もう少し見習わなくては・・・




    
   正林堂店長の雑記帖 2007/5/7(月)より転載
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その土地固有種の強さ

2008年04月24日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜
「木を植えた男」フェア、おかげさまで絶好調、
・・・・と言いたいところですが、
こうした分野の本がそうポンポン売れるようであれば本屋の苦労はない。

明日からこのタイトルのホームページ「かみつけの国 本のテーマ館」用の準備などをかねて
「取材」兼「撮影」兼「運動」兼「遊び」で山に2,3日こもってきます。

例年はいつもゴールデンウィーク明けに、年一度の連休を取り
山スキーに行ってくるのが決まりでしたが、
今年は雪が少ないこともあり、早い時期からそれは半ばあきらめていました。


木を植えるというテーマ、
内容をもう少し分解すると、わかりやすい大事な問題がたくさん見えてくるので、
ホームページに整理する前に、ここで少しいくつか取り上げてみたいと思います。

まずその第一が、日本一木を植えた男、宮脇昭の強調する
自然の潜在植生を知るということです。
自然には必ず、その土地固有の最もその環境に適した生物が生息しているものですが、
人間の様々なはたらきかけや外来種の侵入などの長い歴史の積み重ねによって
その本来の姿はほとんど見分けることができないほどにまでなってしまっています。

それを植物という自然の最も基層をなす領域で
宮脇昭が『日本植生誌』という画期的な調査でまとめあげました。
それは植物の植生をあきらかにするために当然のこととして
日本の気候、地形、地質まで含めた植生の集大成です。
といっても、長い歴史で人間によって歪められた自然のなかから
潜在自然植生を見分けること、探し出す作業は並大抵のことではありません。

私はかつて、このような作業を
万葉植物と万葉歌の関係で、
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/page056.html
知ることができないかなどと考えたこともありましたが、
とても甘い考えであることを知りました。

この難しい作業を宮脇昭は、戦後まだ日本が高度経済成長期に入る前
ドイツのチュクセン教授のもとで、徹底した現場主義を叩き込まれて
その手法を日本に持ち帰る。
そして1978年から全国を、学校の宿直室や校長の自宅などに泊まりながら歩き続けて、
『日本植生誌』はまとめ上げられました。
本書は全10巻、各巻5万から7万円もするもので
関東の巻だけでも買いたいと思っても、6万円からのお買い物で簡単ではない。
もっとも品切れの本、関東編ともなればなおさらのこと
古書でも滅多にお目にかかれることはないだろうと思います。

それでも地域を語るうえでは、
現状の植生分析データなどよりも、どうしても揃えておきたい本です。
残念ながら公共図書館でも意外とおかれていないようです。

この宮脇昭の潜在植生調査によって、はじめてその土地固有の植生、
環境の変化に強い植生の分布というものがあきらかになった。
この調査で、日本文化の原点ともいわれる照葉樹林帯は、
「残された鎮守の森、屋敷林、斜面林などを含めても、
照葉樹林は本来の森の領域、潜在自然植生域のわずか0.06%しか残っていない」
こともわかりました。

しかし、この潜在自然植生を把握できたことで、
環境の変化にも強いその土地の豊かな自然の原風景というものを
わたしたちははじめてイメージすることができるようになった。

自然ばかりか人間の体も、こころも、
本来の自然の姿などほとんど語ることもできないほどに文明の発達した現代で
「本来の健康な姿」を取り戻す大きな手がかりを与えてくれています。

林業や景観維持のやめの自然復元ではなく
地球生命の再生産の豊かな構造を取り戻すための
大事な手がかりとなる地図がここにあります。

「ホンモノの森」を作り出すための手がかりが。




   正林堂店長の雑記帖 2007/5/17(木) より転載
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赤城の梅じいちゃん

2008年04月24日 | 渋川の本屋「正林堂」
当店には、リュックを担いで定期的に本をまとめて買っていってくれる
お得意さんのおじいさんが二人いたが、
そのうちの一人、梅じいちゃんがとうとう体調を理由に
店に来れなくなってしまった。
といっても95歳。
今まで、はるばる来てくれていたのが不思議なくらい。

今日、その梅じいちゃんのところに頼まれていた本
(プレゼント用の本16冊)を届けに行ってきた。

約束の時間、ちゃんと待っていてくれたようで、
いつもは家に入って大声で呼んでもなかなか出てこないのに
今日は、車が着くや否や窓をあけて迎えてくれた。

二種類の本を各8冊、孫や知り合いに贈ってやるというのだが、どういう組み合わせでどう送りたいのか、電話の話では要領を得なかったので、直接聞いたほうが早いと思い訪ねてきたのでもある。
ところが、直接会ってもなかなかどうして欲しいのか良くわからない。痺れを切らしてこっちから勝手にこうするのか?と作業をして見せようとしたら、ちゃんと事前に用意した組み合わせと宛名の書いた封筒を出してくれた。
オイオイ!

そのうちの1冊は、
松原泰道の『九十九歳。今日をもっと工夫して生きる』

梅じいちゃんいわく。
「俺95歳だけど、若いものにいろいろ言うと嫌がられることがあるんだよ。でも、こういう人が言ってるのを読めば納得してくれることもあるんだ。まあ、どう取られるかはわかんねえけど、こうするんだよ。」
そう言って人にあげる本をせっせと買ってくれる。

梅じいちゃんがあげるのは本だけじゃない。

「俺は本読んでもちっとも身につかないんだけど、一歩でも、半歩でも行動にすぐ移そうと思ってな。読んだこと、こうして書いておくんだよ。そしてどんどん人にやるんだよ。」

そう言っていつも見せるのは、
お世辞にも上手いとはいえない筆字で仏教の言葉などを、
これまた下手な絵とともに色紙、短冊やただの色紙などに書き、
それを孫が送ってくれたというダンボールに貼り、
不器用に取り付けた紐で吊るせるようにしたものを大量に作っている。

「こんな下手なもの誰も喜んで受け取っちゃくれなかんべけど、
暇つぶしにいいんだよ。」

95歳の梅じいちゃん、
繰り返し、繰り返し言う、
「一歩でも半歩でも行動しねえとだめなんだよ。」

不覚にも涙が出てきてしまい
それを見られてしまったのか、
さらに家の奥からダンボール板に書いたものを、
次々に引っ張り出してくる。

太陽のおかげ
空気のおかげ
水のおかげ
地球のおかげ
国家のおかげ
社会のおかげ
先祖のおかげ
父母のおかげ
師のおかげ
衣食住のおかげ

「そんで、これは叙勲の祝いのときに皆に配ったもんだ。
これみんなあんたにあげる。持ってきな。」
と言って、俺達みたいな何もあげられない金の無えモンは、
この無財の七施ってのがあるんだよ、と

一、和顔施 相手の人に笑顔で接する
二、慈眼施 いつくしみの目でみつめる
三、心慮施 相手の喜びや悲しみをわかちあう
四、捨身施 身をもって人に親切にすること
五、愛語施 温かい言葉で語りかけること
六、房舎施 公共の場所を掃除する
七、床座施 乗物や其の他の所で席を譲る

のコピーもくれた。

ほんと、参った。

梅じいちゃん
月曜に郵便出したらまた来るから。




    正林堂店長の雑記帖 2007/6/23(土) より転載
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梅じいちゃん ふたたび

2008年04月24日 | 渋川の本屋「正林堂」
先日、プレゼント用で発送を依頼された送料だけを集金に
梅じいちゃんのところにまた行ってきました。

午前中に訪問という約束はしていたのですが、はじめの訪問時は
いくら呼んでも誰も出て来ませんでした。
1時間ほど高校などの用事を済ませてから再び赤城方面に上っていくと、
こんどはちゃんと居間で待っていてくれました。
前回訪問時は二階にいてわからなかったとのこと。

見ると居間のテーブルに座って、
色紙にまたいろいろな文字を書いているところでした。

「これはあんたにあげようと思って二つ用意しておいたもんだ。
どっちか気に入った方を持っていきな」
と、見せてくれたのは
「水」というタイトルの壁掛け札

「良い家庭づくりには
一人が水になることです。
世の中でも相手の一人が
水になれば
争いにはならない。」

壁にかけて目立ちそうな青地のほうの札をもらってきました。

また孫やら曾孫の話などを聞いて
往復時間含めて二時間半ほどのお仕事。
価値あるおつきあいだけど、内部で説明して理解してもらえるようなものではない。
価値を感じる自分のなかだけでやりくりしてする仕事です。



最近、誰のブログだったかツイてる梵天さんあたりが書いていそうなことですが、
梵天さんではなかった誰か意外な方が書いていた印象のあることで、
確かな記憶でないので、少しアレンジした表現ですが
次のようないい話を知りました。



「辛い」という字をよく見るとわかるのだけど、
些細なことでいいから、そこに一本、筋を通すだけで
幸せの「幸」という字になるんだよ。



これは今度、梅じいちゃんに教えてあげよう。





   正林堂店長の雑記帖 2007/7/6(金) より転載
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妻をめとらば才たけて♪

2008年04月24日 | 渋川の本屋「正林堂」
ある年配のお客さんから土井晩翠の詩集は手に入らないかとの注文を受けました。
本来、定番の岩波文庫の注文というところでしょうが、岩波文庫版は品切れでした。
検索したところ、新学社の近代浪漫派文庫というシリーズで、上田敏といっしょに1冊にまとまっているものがあり、それを取り寄せました。

入荷後、お客さんに渡すとき、
ふと、「妻をめとらば才たけて~」の歌は土井晩翠でしたっけ?
などと思いつくままにバカな質問をしてしまった。
すると、お客さんも考え込んで
島崎藤村じゃなかったか?などと自信なげに応えてくれた。

私は東京にいたころ勤めていた職場の付属図書館のひとが飲むとよくこの歌を歌っており、
なんとなく土井晩翠だったような記憶が残っていた。

危うく、強い口調で土井晩翠に間違いないですよ、などと言いそうになったが、
検索かけてみたら二人ともハズレ!


与謝野鉄幹でした。

まったく、毎度のことながらいい加減なもんで
レジにいた皆であきれていました。



1 妻をめとらば 才たけて
  みめ美わしく 情けあり
  友を選ばば 書を読みて
  六分の侠気 四分の熱

2 我にダンテの 奇才なく
  バイロン、ハイネの 熱なきも
  石を抱いて 世にうたう
  芭蕉のさびを よろこばじ

3 わが歌声の 高ければ
  酒に狂うと 人のいう
  われに過ぎたる のぞみをば
  君ならではと 誰か知る

4 げに青春の燃えわかぬ
  もつれてとけぬ 悩みかな
  君が無言の ほほえみは
  見果てぬ夢の 名残かな

5 ああ青春の いまがゆく
  暮るるに早き 春の日の
  宴のもりの はなむしろ
  足音もなき ときの舞

作詞 与謝野鉄幹 作曲者不詳


昔の学生が、書生気質にあこがれて
オレは何番まで歌えるなどと自慢してよく口にした詩ですが、
当世の書生気質には、まったく縁のない世界。

この詩、まだまだ先がある。
学生時代、先輩は全部暗誦してた。

「書生気質」確かに死語だけど、
この詩の世界は永遠に受け継がれたい。


6. 見よ西北にバルカンの  
 それにも似たる国のさま  
 あやうからずや雲裂けて  
 天火ひとたび降らんとき

7. 妻子忘れて家を捨て 
 義のため恥を忍ぶとや  
 遠くのがれて腕を摩(ま)す  
 ガリバルディや今いかに

8. 玉をかざれる大官は 
 みな北道(ほくどう)の訛音(なまり)あり  
 慷慨(こうがい)よく飲む三南(さんなん)の  
 健児は散じて影もなし

9. 四度(しど)玄海の波を越え 
 韓(から)の都に来てみれば 
 秋の日かなし王城(おうじょう)や  
 昔に変る雲の色

10. あゝわれ如何にふところの 
 剣は鳴りをひそむとも 
 咽(むせ)ぶ涙を手に受けて 
 かなしき歌の無からめや

11. わが歌声の高ければ 
 酒に狂うと人のいう 
 われに過ぎたるのぞみをば 
 君ならではた誰か知る

12. あやまらずやは真ごころを 
 君が詩いたくあらわなる  
 無念なるかな燃ゆる血の  
 価(あたい)少なき末(すえ)の世や

13. おのずからなる天地(あめつち)を  
 恋うるなさけは洩(も)らすとも  
 人をののしり世をいかる 
 はげしき歌をひめよかし

14. 口をひらけば嫉(ねた)みあり 
 筆を握れば譏(そし)りあり  
 友を諌(いさ)めに泣かせても  
 猶(なお)ゆくべきや絞首台

15. おなじ憂(うれ)いの世に住めば  
 千里のそらも一つ家  
 己(おの)が袂(たもと)というなかれ 
 やがて二人の涙ぞや

16. はるばる寄せしますらおの  
 うれしき文(ふみ)を袖にして  
 きょう北漢(ほくかん)の山のうえ  
 駒立て見る日出(い)づる方



      正林堂店長の雑記帖 より転載
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数字は客観的でない(ことが多い)

2008年04月24日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜
お店で棚の担当者との間で、同じ商品の見方の違いを感じることがよくあります。
ひとつの本が売れたその実績に対して、
ある担当は
「1冊売れた、嬉しい!」といい
別のある担当は
「1冊しか売れない」という。

総じて、積極的な変化を望む人は前者であり、
変化を好まない人は後者の発言をする。

またあるとき、売れる商品の追加注文をなぜもっと出さないのかわからず担当に聞くと
前年実績データとちゃんと同じに仕入れているという。
売り損じていた数をどうして加えないのか、と言っても
返品リスクを恐れてか、なかなか追加注文を出さない。

これに似た混乱が「客観的データ」といわれるもののなかには、しばしば登場する。

それは、数字を出す調査方法そのものの問題によるもの
数字の見方の問題によるものなど様々ですが、
最近、そんなことを感じることがとても多い。

環境問題、野生動物の保護などの問題でもよく起きている。

猛禽類のオオタカのこんな例がある。

1984年の「日本野鳥の会」の推定では、生息数は全国で300~480羽だった。そのために絶滅危惧種に加えられたのだ。ところが、1988年には数千羽に訂正されている。栃木県だけで200~300羽見つかったからだ。その後全国で調査が進むにつれて、推定数は増え続け、今では「少なくとも1万羽以上」(環境省関係者)という声もある。そのため2006年に環境省は、オオタカを絶滅危惧種から外すことを決めた。

カモシカやシカ、ツキノワグマの生息数調査でも似たことがおきてる。

カモシカやシカの生息数の推定には、通常、区画法と呼ばれる方法が使われる。調査地区に調査員を配置して一斉に平行して歩き、目撃した時間と数、個体の姿形や逃げた方向などを記録するものだ。そして集計して重なると思われる個体は省きながら、誤差も見込んで生息数を算出する。統計手法が駆使されており、もっとも正確に野生動物の数を推定する方法だとされた。
 ところが近年は、ヘリコプターによるカウント法が登場した。冬の落葉樹林ならば、空から森の中にいる動物が観察できる。それをカウントしていくのだ。広範囲に俯瞰するから制精度は高い。群馬県草津周辺の山で、この方法でカモシカの頭数調査を行うと驚くべき結果が出た。区画推定法の推定値と比べると、約二倍も多かったのである。

               田中淳夫『森林からのニッポン再生』より

 こんな例をいろいろ見ていると、
よく言われる山村地の過疎問題や中心市街地の空洞化問題も、ちょっと待てよという気になってくる。
 現在の多くの山村や、中心市街地の人口が減少していることは事実であるが、いつと比較して減少していると考えるかといえば、1960年から1970年代以降の話である。それ以前の戦後の歴史は山村も中心市街地も人口激増の時代であったといえる。
 では、戦前や明治期と現代を比較してみたら、衰退したといわれる今の人口よりも、どちらも遥かにまだ少ない場合の方が多いことがわかる。
 そう考えると、人口が減ったから食べていけないのではなく、必要な基礎数はあるのだから、地域内で循環する経済構造さえ取り戻せれば、食っていくに十分な市場はあるはずだと考えることはできないだろうか。

 どれもみな、最初に書いた
「1冊しか売れない」と嘆くか、
「1冊売れた、嬉しい」と喜ぶかの差にあるといえないだろうか。




  正林堂店長の雑記帖 2007/9/11(火) より転載
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お客さんとの会話への警告

2008年04月24日 | 渋川の本屋「正林堂」
最近、もともと多い高齢のお客さんとの会話に苦労することが多い。
少しばかり忙しいからといって、もっと心の余裕を持たなければならないのを感じる。
そんなときに出会った文章を以下に引用させていただきます。



話を聞いてくれと言うと
あなたは忠告を始める
私はそんなことを頼んでいない

話を聞いてくれというと
そんなふうに考えるものじゃないとあなたは言う
あなたは私の心を踏みにじる

話を聞いてくれというと
私の代わりに問題を解決してくれようとする
私が求めているのはそんなことではない

聞いてください!私が求めているのはそれだけだ
何も言わないでいい、何もしてくれなくていい
ただ私の話を聞くだけでいい

忠告など安いものだ
新聞を買うお金さえあれば
いろんな有名人が人生相談に答えている

それくらいは自分でできる
たしかに少し弱気になり、迷ってはいるが
それくらいなら自分でできる

だから、ただ私の話を聞いてください
そして、もしあなたが話したいのなら
自分の順番を待っていてください
そうしたら、私もあなたの話を聞きましょう

    グレン・V・エカレン著
        『豊かな人間関係を築く47のステップ』





    正林堂店長の雑記帖 2007/10/1(月) より転載

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最近の出版統計から

2008年04月24日 | 出版業界とデジタル社会
内部の打ち合わせ用に、出版科学研究所の統計資料をみていて、
あらためて衰退産業である書店業界の暗い将来像と、
うちのような小さい店の明るい未来像を浮き彫りに感じることができました。

ここ20年ほどの業界全体のおおまかな数字の推移を見ると
1995,96年頃をピークに、全ての分野の統計データが落ちています。

雑誌・書籍トータルの推定販売金額では、
1986年 17,968億円から伸び続け
1996年の26,563億円をピークに、以後下がり続けて
2006年には 21,525億円にまで、約20%ダウンしている。

とりわけ、市場全体の半分以上を占める雑誌の落ち込みは激しい。
週刊誌にいたってはピーク年の63%にまで落ちています。

実際の販売額以上に、広告収入が、不特定の読者を対象としたペーパー雑誌から、
ピンポイントで広告を届けられるネット市場へ急速に移行していることにより、
今後更に低下の勢いを加速することが予想されます。

昨年あたりからしきりに、百貨店、スーパーを含め
リアルの小売市場が、これから10年以内に
ピーク時の半分程度にまでなると、業界識者が言っていたことを、
多くの人には脅しめいた過激な発言としか聞こえていなかったようだが、
この数字をみても決してオーバーな表現でなくなっていることがわかる。

そんな時代に、今世の中全体は、大型店化を競い合っている。
かつての中心域であった100坪クラスは、ほとんど競争力は無くなり、
いまや300坪以上でないと、版元、取次ぎから相手にしてもらえない時代になってしまいました。

ありがたい。

これから10年のうちに、これらの店がどんどん苦しくなり、
今流行の巨大ショッピングセンターといえども、2番手、3番手になってしまったところは
すべてゴーストタウンと化すことが、もう見え出している。

膨大な在庫をかかえるビジネスはすでに終わっている。
かといって本は現物がなければやっていけない、という面はあるものの、
現物を持っていても情報を管理できていない店は、持っていないに等しいということです。

これまでの10年、ほとんどの店が、積極的な増床や改装を行なわない限り
売上げは落ち続けています。
それはあの勢いのあったコンビニ業界ですらいえることです。

今後10年、運良く景気が上向くようなことがあっても、
既存の業態で売上げがあがるようなことは決してないと思います。

うちのような小さな店が、下の方からチビチビと売上げを伸ばしているあいだに、
上の方が勝手にどんどん落っこちてくる、
そんな構図が見えています。

でも悲しいかな、小さいということは
ちょっとした横風が吹いただけで吹き飛んでしまう危険を常に持っているので何も楽観できないが、
世の中の流れは嬉しい方向に向ってくれている。

しかも!
うちみたいな立地の悪いところで商売していれば、
大きな競合が来る心配もない、ときた。

ありがたや
ありがたや。

この話、ないしょにしておいてね。




     
       正林堂店長の雑記帖 2007/10/27(土) より転載
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みやま文庫の取扱い店になりました。

2008年04月24日 | 渋川の本屋「正林堂」
地元の本、郷土史関係の本を得意分野にしていながら、
長年ネックになっていたところがふたつありました。

ひとつは県の刊行物。
群馬百名山の地図や各種観光案内などで需要も多い売れる本があるのに、
なかなか書店で扱うことができない本がたくさんあります。

もうひとつは、県立図書館にその事務所がある「みやま文庫」です。
こちらは、会員制の本で、年4回の刊行。
群馬県の歴史、文化、産業などを紹介したすぐれた本を昔からたくさん出しています。


これまで、この「みやま文庫」はお客さんから問い合わせがあったとき、
これは会員配布のみの本なので、書店では扱えません。
県立図書館内の事務所に直接申し込んでくださいと案内してました。

ところが、
ちょっとしたきっかけで、「みやま文庫」の事務局の方とお会いすることができ、
このたび当店が、実験的にアンテナショップとして取り扱うことができるようになりました。

あくまでも「みやま文庫」は会員配布を前提にした本なので、
安易に一般販売をすることは難しく、その辺の説明がきちんとつく販売方式を考えなければということで、
入会の呼びかけをするアンテナショップとして、当店がなり、
まずは試しにスタートしてみてはどうかということになったのです。

会員だと1000円で買えるのですが、そのかわり1年間4冊、興味のない本も買わなければならない、
ということが多くの人にネックになっていたのですが、
それを会員以外の場合、1500円(高い?)でよければ、単品購入ができるというしくみ。

どんな分野の出版社でも、必ず売れるものと売れないものがある。
それを売れるものは、それにふさわしい場所に売れるだけおく、
というのが商売の原則。

なんでも一律均等、平等の発想から脱却した販売体制に近づく
大きな一歩を踏み出してもらえたような「超うれしい」お話しでした。

27日から店頭におきはじめたら、
早速、三人ほどのお客さんが買っていってくれました。

古書ではかなりの額になっているものも
まだ意外と在庫があり、入手できます。
「みやま文庫 在庫一覧」
http://www.library.pref.gunma.jp/kyoudo/index.html

どうぞみなさん、
じゃんじゃんお申込みください。




     正林堂店長の雑記帖 2007/11/30(金)より転載
コメント (2)
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溶けていく本屋

2008年04月24日 | 書店業界(薄利多売は悪くない)
私たちの業界紙「新文化」という新聞に、長野の平安堂の平野会長のアメリカ流通業界視察後の業界に対する意見がトップページに出ていました。

その見出しは「業種破壊で本屋は"溶ける”」。

今、私のまわりでなにかにつけて話題になっている本
『ウェブ時代をゆく -いかに働き、いかに学ぶか』
と多くの点でリンクする問題にふれており、厳しい現実を伝えるものではありますが、
とても共感できる内容のものでした。

他方、この梅田望夫氏の前著『ウェブ進化論』を読まれた方も多いのではないでしょうか。
前作に続く本書、『ウェブ時代をゆく』ちくま新書  
これは書店や出版の未来を語るうえでは、前作以上に大事な必読文献であると思えるので、
書評としてではなく、平野会長の視点との関連でここに書かせていただきます。

以前に「10年後の準備をしよう」とのトピ立てを同業者のコミュでしたのですが、
その時は電子辞書の問題に話が流れてしまったので、今回改めて
「ウェブ時代」という視点から、10年後の準備について
改めて問いかけてみたいと思い、コミュに以下のようなことを再度書き込みました。


1995年頃をピークにして、この10年ほどの間に
書籍・雑誌の市場規模は約20%減少している。
週刊誌にいたっては、約37%のダウンである。

にもかかわらず、世の中は300坪から1000坪といった超大型店の出店が相次ぐ。

これからの10年を考えたとき、
地デジの普及などとともにデジタル通信環境が一層加速浸透し、
これまでパソコンキーボードか携帯に依存していたネット接続環境が
劇的にいつでも誰でもアクセス可能な環境に移行していくことは間違いない。

とすれば、これまでの10年間以上に、これからの10年間は
リアルのペーパー市場がさらに加速して縮小していくことは間違いないといえる。

長期的視野にたっても、紙の市場が完全に消えてなくなることは絶対に無いにしても
10年後には、1995年ころのピーク時の半分程度にまで市場が縮小することは 、
決して誇張した話ではないと思います。
東京説明会の交流会の場で、このことを話したら、
出版社の方からそれほどは減らないとの意見が出ましたが、
作る側はネット流通とリアル流通に分散されるだけ(現実はそれでも縮小傾向に変わりはない)なので、それほど減るという実感はないかもしれないが、リアル流通の側からしたらこの流れは間違いない。

いや、この流れがさらに加速することを裏付けるような話が、
本書にはたくさん出てきます。
その象徴がグーグルとアマゾンのゆくえです。


150ページからの見出し
十年後には「人類の過去の叡智」に誰もが自由にアクセスできる

グーグルはウェブ上の検索エンジンを作るために、発見したウェブサイトの情報をすべて自社のコンピュータ・システムにコピーする作業を続けている。そうしないときちんと索引付けができず検索エンジンが作れないからだ。
同じように、過去に出版された「人類の過去の叡智」たるすべての本をコピーし、巨大な書籍検索エンジンを作ろうとしている。

 書籍検索エンジンがウェブ上の検索エンジンと大きく違う点が二つある。
ひとつは情報をコピーする手間とコストの問題である。
ウェブ上の検索エンジンが対象とするサイトは、発見した時点で既に電子化されているので瞬時にコピーして自動的に取り込める。
しかし本は物理的に1ページ1ページ、スキャナーで読み込まなければならないので莫大な手間とコストがかかる。
もうひとつの違いは、ウェブ上の検索エンジンがもっとネット上でオープンにされた情報をコピーするのに対して、書籍検索エンジンの対象は著作権者が存在する本なので、権利の問題が複雑だということである。

             (ここまで引用)

でも現実は、グーグルもアマゾンも、
いかに手間とコストがかかろうがこれはやりきることだけを考えている。
これからのネット社会のインフラ整備として避けて通れないことだからである。
このような現実をふまえたら
以前書いた次のようなことが再び思い起こされる。



情報の値段は本来タダ!(無料)

コレを言うと庫本さんが怒る。
なんでも情報がタダで簡単に手に入ると甘えたヤツがいるから。

現状では情報化社会、知識社会という名目から
情報こそ飯のタネとしている実体は大きい。

しかし、私は、原則論から言えば
「情報の値段は本来タダ」であると昔から思っている。
情報というものは、それを独占したり秘匿したりすることによってのみ
お金がとれるものであるからだ。

さらにいえば、
私たちが日常、情報として扱っている書籍や雑誌の価格の大半は、
情報そのものの価値に対して払っているものではなく、
そのほとんどが、印刷、製本、物流といった領域のコストで、
残りの砦、著作権料といえども、その実体は
情報の価値ではなく、作家の労働の量、通常は原稿用紙何枚、といった
超売れっ子作家以外は、単純な作業量の対価程度しか払われていない。

この本質と実体を、今のネット社会が次々に暴き出していく。
有料書籍・雑誌が販売されている隣りで、次々と無料のコンテンツが出回るようになっていくからです。

情報化社会で著作権を守ることがいかに大事か、
これはもっともらしい議論のようですが、
今の世の中で現実に著作権の問題を声高に叫んでいるのは、そのほとんどはベストセラー作家たちです。
彼らは、ひとつの情報が何人に買ってもらえるかこそ大事な生命線だからです。

それに対して圧倒的多数の数千部以上売れることのない無名に近い作家たちは、
常にタダでも良いからより多くの人に読んでもらいたい、と思っている。
それらの人たちは、これまで、高額な自費出版というリスクを背負ってか、
あるいは自分を認知してくれる出版社が現れるまで、長い下住み生活を余儀なくされるのがあたりまえの世界でした。

ところが、今では、ほとんど無料に近いかたちで、その気さえあれば、
誰もが自らのブログやホームページ上で自分が社会に認知されるまで
いくらでも書き続けることができるのです。

情報という本質が見えてくると、
それはハードに制約されることなく、世界中どこにでも無料で飛び回ることができるものなのです。

私たち本屋は、これまでこのハードの制約に支えられることで商売を続けることが出来たのですが、今、それが通用しない時代に入ろうとしているのです。


では、本屋はみんなもうやっていけない時代になるのか?
そんなことはないと思っています。

これからの時代、膨大な在庫をかかえた大型店こそ厳しい時代になるのであって、
店売り比率の小さい中小書店こそ、
そして地域情報管理能力のある書店こそ、
これからのほんとうの情報化社会に生き残っていく条件があるのだと思います。

ただし、当然それは、これまでの紙の情報を売るというだけの姿ではありません。

そんなウェブ時代を象徴するひとつの事例として、
梅田氏は本書のなかでつぎのようなことをあげています。


「好きを貫きながら飯が食える場所」

リアル世界とネット世界の境界領域の「新しい職業」として、
専門性や趣味の範囲で「好きを貫きながら飯が食える場所」が作られる未来を考えるとき、
「志向性の共同体」のリーダーがスモールビジネス・オーナーという姿がひとつのロールモデルとして描けるのではないかと思う。

 米「ニューヨーク・タイムズ」紙の「セックス、ドラッグ、そしてブログを更新すること」(2007年5月13日)という長文記事は、新時代のアーティストの「生計の立て方、スモールビジネスの在りよう」について、
ニューヨーク在住のジョナサン・コールトン(36歳)というミュージシャンを具体例に詳細に報告した。
コールトンのブログも参考にしつつ、彼が体現する「新しい職業」をひとつ観察してみることにしよう。


 コールトンの職業はプログラマーだった。
 しかし彼はフルタイムのミュージシャンとして生きたいという夢を持っていた。
 一念発起して2005年9月、彼は仕事を辞めて(妻の収入に最初は依存)、夢の実現に挑戦することにした。
 曲を週にひとつ必ず書いてレコーディングしてブログにアップすることにした
(無償で誰もがダウンロード可能、リスナーがお金を支払いたければそれも可能)。
 少しずつ口コミでトラフィックが増え、誘われて行なうライブにも以前より人が集まる手ごたえを感じた。
 コツコツと地道な活動を続けた結果、現在はブログの日々の訪問者3000人、人気の曲のダウンロードは累計50万、月収はコンスタントに3000ドルから5000ドルとなり、生計が立つようになった。


 コールトンは、メジャーのレーベルと契約してビッグヒットを放つタイプのミュージシャンを目指すのではなく、ネット上に「志向性の共同体」を形成し、ファンと一体になった親密な空間をマネジメントすることで生計を立てている。

 月収の内訳は、ダウンロード販売をCD販売(CD少量生産流通サービスを利用)でその70%。
ライブのチケット販売が18%。
その他がTシャツなどのオンライン販売。
つまり月収の大半は、無償でも手に入る曲にファンが自発的にお金を支払うことに依存している。

 どのようにして彼はそんな現在に至ったのか。
 毎日ブログを書き、少しずつ増えていくファンからの反応を眺めながらコールトンは、
ファン(特に若い世代)は、アーティストと友達になりたいのだという重要な発見をしたのである。

 以来、コールトンはファンから届くすべてのメールに返事を書き(1日平均100通)、
ブログを更新し、自らの日常を語り続け、作った曲をアップしていった。
 次第に、別の都市に住むグラフィックアーティストであるファンが無償で曲にイラストをつけてくれたり、ライブを録音しプロモーションビデオをユーチューブに上げてくれるファンが現われたり、地方の街でのライブを企画してくれるようになった。
(ライブに百人集まればコールトンの収入は1,000ドルになる)。
 もう少し稼ぐにはどうしたらいいだろうと問えば、さまざまなファンが色々なアドバイスをしてくれるようになった。
 コールトンは24時間ステージに立ってファンと接しているような充実感を抱きつつ、毎日何時間もネットに向かい、フルタイムのミュージシャンをして生きている。

    ここまでは梅田望夫著『ウェブ時代をゆく』ちくま新書(2007/11)より

このコールトンの成功事例に、
私は平安堂の平野会長が新文化紙面で言う“溶解する本屋”の先に見える未来像を感じます。

ああ、平野会長に会って話してきたい。




   正林堂店長の雑記帖 2007/12/16(日)より転載
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