すみません、ほんとの話ではありません。
フォントの話しからはじめます。
今日、万葉東歌のしおりを増刷した際に、書体を変えてみました。
これまで行書体で印刷していたものを、
青柳衡山という草書風のフリーフォントに変えました。
そしたら、これまでの行書のしおりが、あまりにも安っぽいものに見えてしまった。
書体を変えただけで、これほどまでに印象が変わるのかと驚いてしまいました。
昔からプロが使っている小町字や良寛字といったフォントが欲しいと思ってましたが、
最近では年賀状印刷で筆文字が一般化しているように、草書体に限らず、
かなりの書体が自由に手に入るようになった。
よその本屋の店頭でフリーフォント集のいいものを見つけて買ってきたので、
早速、いろいろ試してみた結果です。
最近のフォントといえば、自分の手書き文字をスキャニングして、完全オリジナル自筆フォントもつくれるようになっている。
ソースネクストの安いソフトも出ている。
私は、ちょっと前の高いこの自筆フォントソフトを買ったのですが、元になる文字を指定のシートに書き込むとき、どうしても、マスの中に書こうとする時、清書する気になってしまい、つい日常の自分の字よりもかっこつけた清書で書いてしまって、それではせっかくのオリジナルの味が無くなってしまう失敗をしてしまう。
自分の下手な字で、他人に見せられる字体ってどう書いたらいいんだ、と
これは結局そのまま行き詰ってしまいました。
でもこの自分のオリジナル書体のことを考えていたら、
もうひとつ大事なことに気付いた。
以前、うちのお客さんの障害者施設に入っている方で、とても良い文芸書をよく注文してくれるお客さんがいたのですが、この注文電話の声がどうしても従業員が聞き取れない。それらしい単語を聞き分けては検索してこの本のことではないかと、言い返すのですが、
このやり取りをする従業員が耐えきれず、もうこのお客さんの対応は無理だと、断ってくれないかと言い出したことがありました。
私も窮して施設の方に代理で電話してもらうことが出来ないかなどと相談したが、自立を促すためにそれは出来ないという。
ある程度繰り返していると結構それなりになんとなく聞き取れるようにはなるのだけど、どうしても出来ないといっている従業員の問題を能力・努力の問題としてだけでは片付けられない。
そんなことで困っていたら、ある日、
そのお客さんからメールが入った。
○○ホームの○○です。
いつもありがとうございます。
本の注文お願いします。
「○○○○」新○社
あっ、そうか。
メールなら、お互い何の苦労もなくやり取りが出来るのか。
その人からしたら、たとえ指一本の作業でも、
自分の意思を伝える方法としたら、これまでの会話にくらべたら遥かに
スムーズに伝えることができる。
なるほど、と思いました。
この話の延長で、今のネット技術というものの技術革新・普及で
障害者やお年寄りにやさしい環境がどれだけ開けるだろうか、と思った。
今のキーボードを中心とした入力では、ハードルの高い人も多いのも無理はないけど、
ネット技術、デジタル技術が個人の自由の拡大に貢献する要素として、
音声認識技術への期待は大きい。
現在、その技術開発の中心が、公共の場などで利用できる音声認識技術になっていいるが、先の自筆手書きフォントのように音声認識を、特定の個人に限定して
自分の声だけのデジタル変換ということであれば、
その精度ははるかに高めることができ、実用化もしやすい。
この技術の実現が目前にきているのだろう。
ものぐさ太郎のためではなく、手足や言葉の不自由な人たちにとって
こうした新しい技術が
とても明るい未来を開けてくれるるのを感じる。
正林堂店長の雑記帖 2007/12/23(日)より転載