かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

混ぜる、異質なものを混ぜる

2008年08月22日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜
わたしのもうひとつのブログ「正林堂店長の雑記帖」のほうに、先日亡くなられた福岡正信さんを偲ぶ記事を書きました。
そこで「自然の森」、「モンモノの森」というものを作り育てることを考えると、本物の森づくりをされている宮脇昭さんの活動と福岡正信さんの考えも、とてもリンクした思想であったことを感じました。

本物の自然環境をつくる。あるいは復活させるには、出来るだけ異質なものを混ぜて育てることが重要であると。

人工の「自然」環境と異なり、ホンモノの自然は、無数の生物が時には競争しあい、時には助け合い、時には共生しあい、複雑なバランスを築き上げている。
ホンモノの森を見ると、決して単一樹種で成り立っていることはない。
高木、亜高木から低木、下草類まですべて、それぞれの役割を担っている。

ホンモノの森を再現するための植樹するときは、出来る限り異質な木の苗木を混ぜて、密に植える。すると、それらの木々は適度に競い合って、成長とともに、自然に棲み分けもされていく。
これが強い本来の森をつくる。

異質なものを混ぜた方が強いということは、生物界のみの話ではない。

城づくりなどの石垣を積み上げる技術でも、近世以降の四角く整形した石を積み上げるよりも、様々な大きさや形の自然石を積み上げたほうが崩れにくい。
方形の石を積み上げる方が確かに効率は良いが、横揺れなどの地震でもおきれば、簡単に崩れてしまう。
それに対して、大小様々な大きさ、かたちの石を積み上げた石垣は、どのような方向の力が働いた場合でも崩れない。

このような工法を比叡山の麓、坂本宿周辺に住んでいた穴太(あのう)衆が技術として持っており、安土城の築城などに大きく貢献したらしいことが、白洲正子の『かくれ里』のなかに書いてあったような気がする。

人間も同じだ。
先日の尾瀬の寅さんのブログで、金子みすずの有名な詩からとった、知的障害者とのかかわり方を説明したすばらしい映像が紹介されていた。

尾瀬の寅さんブログ


先に分類することよりも、異質なものであろうがなんでも、あるものはごちゃ混ぜにした密な環境があれば、自然に、競争も確かにあるが、互いに無くてはならないものを持ち合った関係であることに気づいていく。

学校の表面的な平等主義よりも、異質な者同志がつながる関係こそ優先されなければならない。

相手を知らないことでうまれる誤解も多いが、それだけに、まずは「混ぜる」ことのほうが大事だ。

それが、ほんとうの強い社会をつくる前提条件だろう。

混ぜる、なんでも混ぜる。

他人のブログも混ぜる。

ホームページもメールもリアルも混ぜる。

仕事も遊びも混ぜる。

公も私も混ぜる!?

自分のものも他人のものも混ぜる!?

(この辺でやめとくか)



私は、引っかき回すことだけは、得意なのだけど・・・
コメント
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