先週、なんとも忘れがたい風景に出会ってしまった。
それは本来はあたりまえの風景なのですが、街道を車で通り抜けるほどに、今では見る事の少ない貴重な光景であることに気づきました。
那須ICから茨城県の大子町を経て袋田の滝に抜ける途中、栃木県の県堺を越える手前の光景です。
その町?村?の名前はなんというところだったのだろうか。
走行しているうちに、妙に山林がよく整備された風景だなと思いました。
林業といえば、かつて群馬も自慢の産業で、昔はいたるところに貯木場や木工所があり、材木やチップを積んだトラックが、ひきりなしに走っていました。
そうした風景に比べるとこの栃木の村の光景は、決して急峻な林業の山々に囲まれているわけでもないので、そもそも林業の町とは思えないような土地柄でした。どちらかといえば、小高い里山ばかりで小規模に行われる林業です。
ところが、それが小規模であるがゆえか、急峻な山ではなく、すぐに作業に取り掛かれる身近な山林であるためなのか、実によく整備されているのです。
日本中に見られる廃れた林業の町の風景とはおよそ異なる、静かながら落ち着いた美しい景観でした。
どの山林も枝打ちがきちんとされていて、林道周辺の下草もよくかられている。
きちんと手がかかっている。
そうした光景が田舎の道路沿いの町並みにもあらわれていて、貯木場も材木の積み方も実に整然としています。
今になって写真を撮ってこなかったことをとても後悔しているのですが、大規模林業とは思えないので、決して豊かな地域であるとは思えないのですが、隅々まで人の手のかかった美しい田園風景、山林風景が目に付いて忘れられません。
はたして、私たちの小さいころに見ていたまわりの田舎風景とはこんなものだったのだろうか。
気になってしかたがない思いでいたところ、ふと最近通りながらまわれなかった十日町の棚田のことを思いだしました。
たしか富山和子の「日本の米カレンダー」で知ったその光景は、千枚田といわれるような光景とは違って、なだらかな斜面に水田、木々が美しいバランスで配置されている風景でした。
思い立ったらじっとしてはいられず、週末に小雨降るなか行ってきました。毎度の実力ながら十日町に入ったら雨もやみ、六日町周辺とはまた異なる独特の光景が目に入ってきました。
最近の集中豪雨でどこも土砂崩れの痕だらけ。岩盤の多い群馬の地形とは異なり、粘土質の山が多いので、どこからでも崩れておかしくなさそうな地形でした。十日町から松代へ抜ける山は長いトンネルが続く。
こんな粘土質の土地であれば、きっとトンネル掘るのは鼻くそほじるよりも簡単なことだろう。
現地に近づくと、棚田案内の看板があるので、いくつかの撮影スポットへは、思ったよりは迷わずにたどりつくことができました。
最初の棚田に着くやいなや、そこにはため息の漏れる世界が広がっていた。
能登地方や四国?の一気に急勾配を攻める棚田とは異なり、山の谷あいのゆるやかな傾斜に広がる風景は、棚田と立ち木や山林が絶妙の調和を保っていました。
この美しさは、いったいなんだろうと思いながら、いくつかの棚田を捜し歩いて回りました。
撮影場所を求めて狭い農道を車で登り降りしていると、カーブの脇の小さなスペースにナスなどを作っている野菜畑がある。貯水池には蓮が植えられている。
升目に整備された魚沼地方の田と違って、隙間、空き地、斜面あらゆる条件を活かしながら、水はけや日当たり良し悪しを加味しながら、適正条件が長い年月で見極められていったのだろう。
行き届いた林野や農道、あぜ道の整備、こうしたことは決して兼業農家ではできない。
それが決して裕福な暮らしでないことは想像つきますが、日々の営みがとても豊かな時間の流れのなかで行われていることが想像つきます。
棚田を見に来てくれる人がいるからといって、それが観光収入に結びつくわけではありません。
でも一日一日の豊かさは、どんな観光地にも勝る時間の流れのなかですぎている。
自分が子どもの頃の田舎の風景は、はたしてどこもこんなだったのだろうか?
同じ山村風景でも、すさんで荒れ果てただけの景色のなかに、観光地だけが派手な看板とともに人ごみをつくっている風景しか最近は見る事ができない現代では、こうした景色を見れるのはきわめて希なことです。
田舎に住んでいながら、ほんとうにこうした景色に出くわすことは滅多にない。
何を作れば食っていけるか、どんな仕事なら食っていけるかという発想ではなく、そこには自分に与えられた条件すべてを活かして、コツコツと長い年月を通じて積み重ねて築かれたものがある。
そんな簡単には誰も真似することのできない時間の蓄積をへた美しい光景がここにある。
すべての仕事、すべての生活は、こういった方向にこそ向かっていきたい。