10月25日に前橋の旧大竹レンガ蔵で行なわれた演劇、
劇団レレレレンガ 演劇公演「前橋出口」https://www.facebook.com/rerererengaを見てきました。
ちょっと遅くなりましたが、雑感メモを以下に思いつくまま。
記憶はつながるのか
言葉はつながるのか
意味はつながるのか
道はつながるのか
時はつながるのか
そんなイメージがわいてくる演劇でした。
正直なところ前半部分は、もしかして既存の形式や意味、空間を破壊するだけのよくある前衛演劇なのかと、ハラハラ心配しながら見ていました。
それが、レンガの上をMさんが歩くシーンでいろいろ具体的な言葉があらわれて、
やっとその後の展開が想像、把握でき、おちついて見れるようになった次第です。
でも、それら如何にかかわらず、Nさんの発声、身体力はすばらしい。
舞台を引き締める力があるのを感じました。
最初の戸惑いは、あのレンガ倉庫という空間が、異空間の利用でありながら
あまりに立派な舞台装置になりきっていることに起因するようにも思えました。
この演劇は、本来は屋外こそふさわしい。
芝居する側と観客との断絶破壊の構図で進行するイメージの歪みが、
狙いなのかどうかはわかりませんが、
見るも側の意識にゆらぎを与えたという意味では成功だったかもしれません。
でも、様々に分断され、断ち切られた空間や言葉や意味が、
空間をつなぐ、
言葉をつなぐ、
意味をつなぐ、
道をつなぐ、
という方向に流れたのかといえば、
それはまさに前橋という街そのものが持っている特徴のまま、
個々の断片は
「つながりきらない」
ものであったと思います。
それは、前橋などの都市で行なわれるまちづくりイベントの特徴そのものであるとも感じられました。
シネマまえばし、
レンガ倉庫、旧安田銀行担保倉庫
アーツ前橋、アーツ桑町・・・
など、意欲的な文化空間やイベントを行っている姿は
私の住む田舎からみるととても羨ましいものに見えます。
既存の設備をどう活かすか、
衰退の一途の街中をどう活性化させるか
しかけてくれる人がたくさんいることも、とても羨ましい限りです。
ところが、それらが活性化し刺激として成功しても
何か「つなげる」ものが欠けているような感じがぬぐえない思いがしたのです。
同時期に行なわれている「まちフェス」のイベントマップをみていても、それは強く感じました。
その辺が、この芝居テーマの狙いだとしたら、
とてもうまく表現できていたような気もします。
かたや私の住むみなかみ町の月夜野では、
文化活動といえば、年寄の俳句、歌、和讃、大正琴などの趣味の世界ばかりです。
こちらの田舎のレベルでも、高齢化のもと隣近所は、
なかなか「つながらない」傾向は深まっており、
都会と同じ厳しい現実があります。
しかし、それでも月夜野の場合は、自然の景観が
高度経済成長以来、環境破壊が進んだとはいえ、
田園風景や山々の景色を通じて記憶や意味、空間を
間違いなく「つないで」くれています。
「景観」がささえているものではありますが、
それは自然の「命」がつないでいるものです。
自然の生命がベースにあれば、すべては無条件に「つながる」のです。
もちろん、決して今のままで「つながる」楽園というわけではありません。
でもここが、企画やイベント、文化創造や新たな開発によって
「つながる」努力を重ねながら、つながりが連続するのかどうかの不安をぬぐえない環境と、
自然と人間の生命の連続が「つなぐ」ベースにある環境との
決定的な違いになっているような気がしました。
言葉や意味、
人や記憶、場所など
「つなぐ」ために「商品」を媒介することでしか「つなげない」「再構築できない」都市文化と
商品化されることのない「自然の生命」を基盤とする田舎文化の違いを
今回の企画は考えさせてもらえました。
「商品化」がすべて悪いということではありません。
あらゆるものが「商品化」に依存することなく、
「暮らし」のつながり、「働き方」のつながりを再構築することは、
都会においては、田舎とは比べものにならないとても難しい現実があります。
今、日本各地でアートの力で地域を再生する事例が増えており、
それはとても良い事で、私の地元でも是非、その方向でもっと頑張りたいと思っているのですが、
今見えている次の課題としてどうもこういったことが最近は気になります。
数年前から月夜野の地に定住するようになったせいか、
あらゆる問題をどうもこうした視点でばかりみてしまいがちなのですが、
私にとっては、個人的にとてもいい問題提起をしていただけた企画でした。
ご縁に感謝。