「天円地方」の話のつながりなのですが、本来、天と地は一体のものです。
天と地は、決して分離した別次元のものではありません。
このあたりまえのことが、日常では感じられなくなてしまったのが現代社会です。
かたや宗教行事のときのみ天にいる「カミ」との接点を意識し、
たかや天文学の知識を得たときのみ、天(宇宙)とのつながりを垣間見るかのようです。
そのあたりまえの天と地が一体であることが崩れはじめたのは、
古代、集落の暮らしから古代国家が誕生し、
自然界=天から隔離した人間社会の内側で暮らす領域が徐々に拡大し始めたころからです。
それまでの「自然が主」で「人間が従」である社会、
「天円」=自然界の側に軸足を置いた人間の暮らしから、
「地方」=人間界の内側に軸足を置いて、
「人間が主」で「自然が従」の社会を(可能かのような錯覚)拡大してきたのです。
*「天円地方」について詳しくは、「地方」の本来の意味は「天円地方」からをご参照ください
確かに見かけは、このことによってコントロールの及ばない自然=天円から独立した空間を拡大し、コントロール可能な多くの「安心」「安全」を人間社会は獲得し「自由」の領域を拡大してきました。
しかし、その「安心」「安全」 は、より多くの人工物に依存したものであるため、自然界のような不確定なもの、未知なるものは排除してきましたが、その内側では、限りなく自分と他人や世界の分別を要求する世界観が広がってきました。
人工物を増やすことで「安全」「安心」を獲得してきた人間界(地方)の内側では、その「安全」「安心」が崩れるたびに必ず「誰がやったんだ」とか「誰の責任だ」とか、他の人間を追求することが当たり前になっていきます。
一般にはこれこそが、「文明の進歩」の条件であり、「アイデンティティーの確立」と言われるものです。
かたや人間界(地方)の内側ではなく、天円(自然界)の側に軸足を置いた社会では、それが人間社会であってもそのなかでは「仕方がない」という言葉が許容された社会になっています。
もともと人間にはコントロールのおよばない環境が
圧倒的部分を占める社会で生きているからです。
これを西欧文明では「未開社会」、あるいは「後進国」と言います。
広大なアマゾンで今なお原初の暮らしを営むヤノマミ族は、この写真のような円形に屋根を連ねた共同住居(シャボノ)で暮らしています。
「シャボノは丸い。天の入り口だから丸い」
とヤノマミの長老は言います。
天(自然界)と区別する人間界を拡大しようとする文明は、四角い住居や集落、あるいは方形の都市を拡大してきました。
他方、自分たちの世界と天との間に境界を設けようとしない、精霊たちと一体の中で生きるヤノマミは、丸い空間の中で安らぎを感じます。
このヤノマミの丸い共同住居を見たとき、わたしは「天円地方」という言葉が、中国思想の特殊な概念ではなく、人間と自然との関係をあらわす普遍的な概念であることを確信しました。
「ヤノマミ」とは、現地語で「人間」を意味します。
彼らは未開人だからということではなく、ヤノマミ=人間とは、
人間の定義が現代人のそれとはまったく違うのだということを気づいてください。
国分拓『ヤノマミ』(新潮文庫)
長倉洋海『人間が好き アマゾン先住民からの伝言』(福音館書店)
「天円地方」の思想では、「人間」というものを「先進国」と「後進国」の違い、「文明社会」と「未開社会」の対比といった比較では物事を考えません。
自然界に軸足をおいた世界観で生きるか、人口の人間界の内側に軸足をおいた世界観(自然を人間界「地方」の外側に見る世界)で生きるか、もともと天地一体の世界のどちらに軸足を置いて生きるかの違いをすべての基本とする世界観です。
私はこれを哲学の根本問題(物質が第一次的か精神が第一次的か)や資本主義か社会主義か、大きい政府か小さい政府か、などといった対立よりもずっと人間社会にとって根源的な視点であると思っています。
確かに世の中は、自己やプライバシーの保護なくして成り立たない社会(かのよう)です。
こう書くとあなたは、自己の確立やプライバシーの保護を否定するのかをいわれそうですが、確かにそれらは必要なことに違いはありませんが、それがなければ生きていけない都市社会というのは、むしろ異様な不健康な社会ではないかと私は感じています。
そういう私もプライバシーは守られなければ、間違いなく不自由を感じるものですが、「にもかかわらず」と以下を続けさせていただきます。
人工物に囲まれ保護された「安全」「安心」の拡大は、このような景観を作りだしました。
コンクリートで固められて、つまずく心配のない安全な舗装道路。
倒れる心配のない丈夫な鉄筋コンクリートの電柱。
土地を有効活用したビルでの暮らし。
これらは日常目にする当たり前の空間ですが、
「天円」「自然界」とのつながりは、観光やレジャーでしか感じられないかのような世界です。
それらはすべて、
「日常の手間を省く」
ことを優先して作られてきたものばかりです。
それこそが、自由の拡大であり、豊かさの証明であると信じて。
さらに見上げる「天円」に対しても、無数の網を張り巡らせ遮断された景観が、指摘されなければあたりまえのような景色として日常の隅々に浸透しています。
こうした天から遮断された世界の中でも、私たちは必死に観葉植物を室内に植えたり、公園を増やしたりして、なんとか「天円」とのつながりを維持しようと努めてきました。
そこにわたしたちは多くのボランティアや公園整備の予算をつぎこみ、大変な努力を積み重ねてきました。
確かに丈夫なマリーゴールド、パンジー、サルビア、ベゴニアなどは、大量に植える道端の花壇には適しています。
でもそれは、人間の側に軸を置いた鑑賞用の園芸植物による世界です。
それ以外に何があるんだとも言い返されそうですが、私たちの暮らしの景観には、
管理されていない同じ道端に、ふきのとうが出て、ツクシが伸び、タンポポの花が咲く環境もあります。
地上世界も、人間界の内側だけから見られた自然と、天界とつながった自然との差がこうしたところに現れています。
まさにそこにある雑草や昆虫、微生物を含めた連環の世界こそが、
天円につながった地上の楽園の実態です。
冬の時期は、葉っぱがすべて落ちた木の枝ぶりだけでも美しいものです。
派手な花を見せないススキや枝垂れ柳なども同じです。
林の間にリンドウ、ホタルブクロ、ヤマブキなどを見つけることができます。
でも、これらは通常そのままでは都市の「景観美」にはなりません。
街路樹として整備されたハナミズキ、ポプラ、サルスベリ、ケヤキなどの木々も美しいものです。
でも私たちの田舎暮らしの景観の中では、大きく育った杉、ケヤキの大木の横に
低木のツツジやヒサカキなどが育ち
田んぼの風景の中に梅や柿の木がただ一本たっているような
とても変化に富んだ姿をしています。
単一の花が延々と続くお花畑というのは、管理されたスキー場オフシーズンのお花畑ばかりでなく、尾瀬のニッコウキスゲの群落のように、確かに自然界にも存在します。
でも日本の里ならではの美しい風景というのは、そのようなものではありません。
単一時期に花が咲き、収穫できる経済林や園芸畑とは異なる花の育つ時期も、実のなる時期も、
花の色も、木の高さも多種多様なものが入り混じった世界です。
また日常の生活エリアでは、都会に限らず田舎道でも、大地にフタをしてしまったが如く
コンクリートによって、農業・林業の作業効率を上げるためには舗装されなくてはなりません。
こうしたことは、景観の上の変化だけではありません。
私たちは安心、安全のために進化した靴をはき、防寒、防風、暴雨の衣服を季節や気候の変化に応じて着込み、時には日差しを避けるためにサングラスをかけ帽子をかぶり、さらには頑丈な家に住むことで多くの安らぎ得ることができました。
それらは、決して悪いことではありません。
ただそれらのすべての過程で私たちは、
大地との接触、
気温の変化をカラダで、肌で感じること、
広い空の雲や日差しの変化を感じ取る感覚やその機会を失い続けてきたのです。
先のヤノマミの共同住居が天の入り口なのだから丸い、という世界観と暮らしは
「人間」がヤノマミのいう意味での本来の「人間」に近づいていくために、
これから人間社会が「進歩」することを通じて、ひとつ、ひとつ、
建物、電柱、看板、植栽、住居、景観のあり方を具体的なカタチとして実現していかなければならないものです。
宇宙=天と繋がった日常を取り戻すだけで、
どれだけ世界観が変わり、
心が自然に向かってスッと通り抜けるように、生き方も変わるものだということを
日常風景のひとつひとつを大切にすることで、
かつての東京オリンピックが開かれた頃までは、日本中どこにもあたりまえのようにあった風景を
私たちは少しずつ取り戻していくことができるのだと私は信じています。
もちろんそれは、歴史の後戻りをさせる意味ではなく、
また自己やアイデンティティー確立の方向一辺倒でもない、
先端技術も駆使した文明の発展を前提としたものです。
こうした意味で、わたしたちはまさに「人類の本史」にさしかかろうとしているのだと思います。
「天円地方」に関する過去の記事
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