政策として、国民の所得が上がることは確かに大事なことです。
でも現実に多くの人々が幸せになるうえで大事なのは、すぐに所得が増えなくても、
今、この瞬間、瞬間、多くの人々が幸せを感じられるかどうかです。
何故ならば、いつの時代でも世界の圧倒的部分の人たち、9割以上は常に貧乏であるからです。
そのためには、ただひたすらガムシャラに働くことで得られる幸せよりも、
今ある条件のなかで幸せを感じられること、お気楽に生きていける暮らしの方が、
はるかに大事であると思います。
この意味で、わたし達が本来目指す社会は、よりお金のかからない社会です。
より多く消費することで得られる幸せよりも、
自らがより多く創造する側に立てる社会ということです。
それは固定費が低い暮らしの実現であると同時に、モノに依存しない暮らしのことです。
現代人の生涯支出のうち生存のために最低限必要な食費を除いたならば圧倒的部分は、教育、医療、住宅、車などによって占められています。
右肩下がりの成熟社会では、この部分を圧縮することの方が所得を上げることよりも、はるかに豊かさを保証することにつながります。
そもそも子どもの幸せのためと言いながら、お金を稼ぐために今いる子どもと一緒に食事をする時間や遊ぶ時間までを犠牲にして何になるのでしょうか。
そんな社会の手がかりを永崎裕麻著『世界でいちばん幸せな国フィジーの世界でいちばん非常識な幸福論』(いろは出版)は教えてくれます
最低限のお金がなくて、どうやって幸せになれるんだ。
健康不安や人間関係の悩みをかかえて、どうして幸せになれるんだ。
誰もがそう思うでしょうが、
ハイ。それでもカンタンに幸せになれます。
よ〜く考えると、本当に大切なことにお金はかからないものです。
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