最近、かかわるようになったNPOの例会のあと、何人かの仲間とよく夜遅く、時には明け方まで話をすることがありますが、先日もそのような話の場で、地方自治体の復活の可能性についての話題になりました。
そこで、中心的な活躍をしている村議の女性が、将来はこの地に吉里吉里国のような独立国をつくりたいというような夢を語ったら、他のひとからそういうことは言わないほうが良いなどと注意されたという話を聞きました。
今、地方自治体の問題はどこも溢れんばかりのなか、地方分権など叫ばれてはいるものの、その議論の多くを見ると、この度の平成の大合併の問題でもそうですが、地方「行政」の問題をどうするかという議論に終始しており、地方「自治」をいかに取り戻すかといった視点は未だにほとんど見られないのがとても悲しく思えます。
根深く浸透してしまったこの感覚、地方自治体の仕事、住民が役所に要求する内容も含めて、どこをとっても「行政」への苦情やお願いに終始しており、自らの「自治」能力によってつくろうとする視点が、あまりにも少ないのです。
「地方自治体」という言葉の意味は、すでに死語に近く、ほとんどの実体は「地方行政体」といって間違いないといえます。
先の自分の住んでいるところを将来独立国にしたいという話ですが、今の人からすれば極論に見えるのかもしれませんが、私からすれば、地方自治の本分からすれば、むしろ将来何らかの独立・自立を目指すことも考えずに、いったいどこに真の「自治」の意識があるのだろうかと疑問に思えてならないのです。
突破口としてとても期待される「行政特区」ですら、中央の許可、お墨付きを得た範囲でしか許されない「地方自治」にしか私には見えません。
国レベルで、そこに住む国民の権利を守るためには、警察機構や軍隊などを不可分のものとして持つことにはほとんどの人が異論をはさまないことと思います。
それが、地方自治体レベルの地域住民の権利を守るためには、なんの努力も闘いも権力機構もなしで自然に与えられ許されたものしか最初から想定していないことが私にはとても理解できません。
なにもすべて鉄砲持って闘うことを要求しているわけではありませんが、民間企業ですら、ひとつの許認可や法解釈のために、役所との交渉で途方も無い努力の積み重ねによってひとつひとつの事業を前進させていることはある程度は理解できると思いますが、住民自治がそのような努力なしに、国や地方自治体から保障された範囲内で出来て当然のような感覚は、正当な権利を主張しているようでありながら、人の生きる意志、基礎体力のようなものははるかに後退してしまっていると思わざるをえません。
最近、知人のブログに、憲法で保障された権利の話題でも似たようなことを書きましたが、憲法でも、基本的人権でも、常にそこには条文も含めて骨抜きにしようとする勢力とその実質を守り勝ち取ろうとする勢力の興亡の上になりたっているものだと思います。
勝手な方向に持っていく人が悪いと非難する前に、自分たちが自らの財産としてそれを守り育てていくという覚悟がまずなければなりません。
地方自治も同じです。
行政が悪い、役人が悪い、それは事実あるかもしれませんが、それらの問題を解決するには、まず自分たちで必要なものをつくっていく姿勢、「自治」の意識がまずなければなりません。
私のいる町では行政の旗振りで立ち上がった「まちづくり」市民会議なるものが生まれようとして期待されていますが、どうもまだ話が行政への市民からのお願いの場のような内容が多く、参加者の期待を裏切る話ばかり耳に入ってきます。
財政赤字などの対策で行政組織を統合・合併することはかまわないと思いますが、地方自治体が「自治」のための組織づくりを考えるならば、今、必要なのは「より大きく」よりも「より小さく」の方向であり、より密度の濃いコミュニケーションの可能な関係づくりのはずです。
そして、その住民の意思を貫徹することなど考えるならば、必然的に「自治」とともに「独立」した確固たる権限を伴っていなければなりません。
この道理に「国」であればあって当然、「地方自治体」には認められるべきではないといわれる理由はありません。(日本の場合は、地方自治体に限らず、国にももう少しこの姿勢があって欲しいものですが)
でも、そんな現実を現状の権限の範囲内で見事に突破した自治体があります。
独立国をつくりたいといっていた村議さんもよく知っていましたが、
今、話題の東国原宮崎県知事のおかげで再び注目されている宮崎県綾町の例です。
どこも、町の再建を観光や事業によって成し遂げているなか、
夜逃げの町とまで言われた典型的な衰退をたどる町の再建を、
なによりもその目的の中心を町民の自治意識を高めることにおき、
粘り強い説得、議論を何年にもわたり続けることでなし遂げたこの町は、
未だに真の自治体再生の事例としては突出た事例として注目されます。
体をはって町長が照葉樹林の樹を守り抜いたことや、無農薬有機農業をブランド化した町としても有名ですが、それらの理解を得るために町長は、何年もかけて町民と、関係職員と粘り強い議論を重ねたうえに為しえており、そのプロセスこそ、多くの人にみてもらいたいものです。
意見を言うとき、文句を言うときに求められる「覚悟」というものの大切さ、これを忘れたら民主主義は形骸化して「たかり民主主義」になってしまう危険も常に持っています。
なにをつくったかよりも、どのようにしてそれをつくったかを
多くの人に見てもらいたい、知ってもらいたいと思います。
私の読んだ本は絶版になっており、もう入手できないものかと思っていたら、
ちゃんと改訂版が出ていました。
宮崎県綾町前町長 郷田實 郷田美紀子 共著
『増補版 結いの心 子孫に遺す町づくりへの挑戦』評言社 1500円+税
白垣詔男 著 『命を守り心を結ぶ -有機農業の町・宮崎県綾町物語-』自治体研究社 1600円+税
(2007年07月21日に他のブログに掲載したものを転載しました)
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