花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

昭和の食と商店街 カレーライス

2017年09月11日 | レモン色の町

四日市市の今昔 樹林舎刊の表紙から

昭和32年頃のマップ

第11回 カレーライスの巻

小学6年生のとき、友達の両親にカレーライスをごちそうになった。市民ホールでダンスの発表会があり、オマセな自分は女子の踊る姿にすっかり興奮してしまった。連れていかれた食堂は、日本堂薬局と中村履物店の間あたりだったと思う。昭和35年の写真では建設前で、日活映画の看板が立っている。開店間もない食堂(確か2階だった)で雉肉のカレーを食べた。脂肪分はなくてさっぱりした口当たりだった。当時の食堂は雉肉も扱っていたのだ。この建物は後に喫茶店となり、3階に同伴喫茶があった、と思う。(この土地は、誠文社さんからキャロンさんになったとお聞きしました。通りは商店街の一等地。もっと入り組んでいたのかもしれません)

ソースポット

少し高級そうなレストランだと、カレーが“ソースポット”で出てきた。皿に盛られたカレーしか知らなかった自分にとってこれは大事件で、家でもこれを使おうと提案したが、一笑に付された。

当時オリエンタルカレーの全盛で、宣伝カーがコマーシャルソングを流しながら風船やスプーンなどを配っていた。曲はすっかりインプットされている。♪なつかし~い なつかし~い あのリズム エキゾチックな あの調べ オリエンタルの 謎を秘め 香るカレーよ 夢の味♪ カレーは我が家でもよくつくられた。鍋に豚肉を入れ炒め、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎに醤油を加えて薄味に煮る。そこへ粉末のカレー粉を入れる。自分には固形が馴染み深い。お袋が急いで作るので、口に入れると黄色いカレー粉がそのまま出てきたりした。鍋いっぱいに作られたカレーは、何度も温められ、野菜は形を変え、焦げ臭さを伴いながら粘度を増していった。

昭和44年になると、レトルトのマースカレーが発売される。カレーは家で作るよりレトルトが一番とそのとき思った。そう、レトルトはボンカレーが最初だったのではなだろうか。