イザベラ・バードは、明治11年横浜に着いて以来、北海道函館へ向かって旅行を行った。その紀行文から当時の地方の暮らしが詳細に記録されている。この紀行文を民俗学者である宮本常一氏が解説している。「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」平凡社ライブラリーより “理想と現実の同居”
ここで、北海道の開拓が非常にアンバランスであることを書いている。
山道を15マイル登っていくと、七飯(ナナイ)という整然とした洋風の村がりっぱな農作物に囲まれている。ここは政庁が新風土馴化その他の農事試験をしているところの一つである。
政府自らが北海道開拓地にテコ入れして欧米風の村づくりが行われている。そう、満州の状況を連想させる。
奉天
新京
函館から汽船でつながったところの森(地名)は、噴火湾の南端に近い大きな村だが、今にも倒れそうな家ばかりである。村は砂丘の荒涼としたところで、たくさんの女郎屋(ジョーローヤ)があり、いかがわしい人間が多い。
と、ガラッと変わってくるのです。つまり日本の恥部ともいうべきところが政府の高級な開拓方針とは別に、そこへ行くと金儲けができるというようなことで、こういうような人が集まっていて、理想と汚い現実が並行して現れる。これは日本の持っている一番大きな弱点というべきもので、朝鮮統治の問題にしても、台湾や満州統治にしても、全部これが絡んでいるわけです。役人の建てた建物は新京でも奉天でも素晴らしく、非常に良い街を作り上げていったのに、そこに集まった人たちは、素性の良い人と悪い人が混在していた。これが日本の僻地における開拓の姿だったといってよいと思うのです。(宮本常一)
森からの汽船が室蘭に着くと・・・
いろいろな宿屋から番頭たちが桟橋に降りてきて客引きをするが、彼らの持つ大きな提灯の波は、その柔らかい色彩の灯火とともに上下に揺れて、静止している水面に空の星が反映しているかのように魅力的である。