第8位は、ここに弥生館があった 2014.6.21 です。
2014年6月21日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街
現在の弥生会館跡
ブログ「四日市市の映画館・消えた映画館の記憶」のサイトには、映画館の記録がよく調べてありました。
ここに弥生館のことが記録されています。大正14年以前には「弥生座」としてありましたが、昭和16年「弥生館」に改称されました。昭和43年の映画館名簿では経営者が鈴木啓吉、支配人が玉置義男、木造2階冷暖房付、定員614、東宝を上映とだけありました。少し物足りない感じです。
戦後の三和商店街
また、昭和21年(戦後すぐです)海山道広場に「松竹映画劇場」が新築開館したが、素人の経営だったために1年足らずで取り壊され、建物を国鉄四日市駅前に移築して三和マーケットとした。とあり、やはり三和商店街の建物は映画館が移されたものでした。
近年、取り壊される前の三和商店街
オカダヤ百貨店2階のニュース劇場は、昭和34年には「第一ニュース劇場」が、昭和37年には「オスカー劇場」になり昭和38年にはなくなっています。
昭和34年頃のオカダヤ
昭和31年6月4日、塩浜馳出町に「近畿劇場」が開館。木造平屋建、建坪162坪、定員354人。その後「近畿東映」に改称。昭和40年代にはパチンコ屋となった。
昭和34年開館した「桜座」は、松竹・大映・東宝・東映を上映。木造2階、定員462、邦画を上映。昭和53年には安田屋旅館となっている。と記録されています。
昭和41年水沢町に「四日市銀座クラブ劇場」が開館、木造1階、定員200、邦画・成人映画を上映していたようです。
元新町にオープンした「四日市パールシネマ・プラザシネマ」は、昭和61年12月24日から63年6月15日まで、経営者は新日進産業、鉄筋造2階、いずれも100席、いずれも邦画・洋画を上映。と書いてありました。
現在のパールシネマ跡
クリックしてご覧ください。よく調べてあります。