花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

カンバック!昭和商店街30<スワ百貨店2>

2019年02月10日 | レモン色の町

昭和37年9月5日、四日市の街に「四日市スワ百貨店」が誕生した。オープンの日には大勢の人が押しかけた。辻さんはカメラを携えて走り記録する。

 

その日の午後には、ひと段落した。百貨店の東と北側には花輪がずらりと並んだ。河合楽器、衆議院議員 山手満男、キングレコード 春日八郎、スワ百貨店1階親睦会。

 

10年ほど前の1番街 パチンコホームランとなっている

これは昭和43年、スワ百貨店はいちょうやビル店となっている。地下から4階までが店舗、5階が文化教室や事務所だ。昭和50年代に、5階の書道教室へ通ったことがあった。老先生と若先生が居て、先ず、若先生に書いてもらった手本を見て練習する。最後に朱色で添削してもらう。たまに筋が良いとお褒めの言葉をいただいたが、長続きせず短期間に終わった。あれはベンチャラだったか?自分に才能がなかったのか?

地下の「寿がきやラーメン」へはたまに出かけた。ラーメンの味は今でも変わらないと思う。ビル内全体は、天井が低くて狭い感じがした。店舗構成に魅力がなかったのか?昭和61年マップを見ると「アピカ」に変わっている。


カンバック!昭和商店街29<スワ百貨店開店>

2019年02月09日 | レモン色の町

昭和35年12月20日、スワマーケットの本格的な取り壊しが始まる。辻さんは自宅の2階から北東方向に解体工事をカメラに収める。上から見ると分かるが、スワマーケットは小さな店舗の集合体だ。焼け跡の諏訪駅前に小さな店が並び始め、雨除けの屋根でつながれてマーケットが出来上がっていった。

山本氏は、地権者の調整にかなりご尽力されたと想像できる。諏訪駅撤去の昭和31年以来、取り壊し迄4年の歳月がかかった。そして、昭和37年9月5日、新しいスワ百貨店はオープンする。

開店の朝 白揚書房前

昭和37年9月2日、二年間の工事期間を経て四日市スワ百貨店がオープンした。四日市の新しい顔が誕生した。渡辺のジュースの素の看板をつけた八百屋の車が止まっている。荷台には桃の箱が積まれている。搬入の車だろうか。紅白幕に並べられた花輪。向かいの大阪屋前を多くの人が通る。諏訪南大通りのアーケードは台風で崩れ、撤去されている。

スワ百貨店の中には前の地権者が多く店を構えた。当時、近鉄ストアとここにしか無かったエスカレーターが珍しく、何度も乗りに行った記憶がある。街は希望であふれていた。

白揚書房前から北を望む


カンバック!昭和商店街28<近鉄ストア開店>

2019年02月08日 | レモン色の町

左は大正4年の図です。四日市駅(現 JR四日市駅)から三重軌道(内部・八王子線)と四日市鉄道(湯の山行き)が出て、諏訪駅で二手に分かれていきます。真ん中は昭和6年、近畿日本鉄道が敷かれて四日市駅へ入った近鉄線は、諏訪駅へ進み、諏訪駅から名古屋へ向かっていました。諏訪駅は湯の山線と八王子線の始発駅となりました。そして、昭和31年9月23日、近鉄線の短絡化工事が終わり、中央道路を挟んで二つの四日市駅が対峙することとなりました。

 

辻さんの写真には、近鉄ストア開店が昭和32年4月とあります。31年9月には駅が完成しており、近鉄ストア開店が翌年だったのでしょうか?

 

近鉄ストア1階

駅の屋上の電光掲示板は注目の的でした。友達と南の外階段から上がり、裏がどうなっているか見に行った記憶があります。おじさんに注意され、すぐ降りてきました。

昭和32年4月

平成20年頃の駅前

駅の南側に地下道が出来たということを聞き、探検に出かけました。暗い地下道の真ん中で叫んでみると、大きく反響しました。小さな冒険でした。

昭和43年の駅前マップ

 


中日新聞より

2019年02月07日 | レモン色の町

本日、高島記者の取材で中日新聞に「花の四日市スワマエ商店街 レモン色の町」を掲載していただきました。感謝です。

ブログ掲載のきっかけは、20年前辻さんが移り変わる商店街の記録写真を提示していただいたのがきっかけでした。辻さんとのご縁がなければ、この企画も叶わなかったと、感謝の念に堪えません。エキサイト四日市・バザールの折、本部席で辻さんは「桜の花を撮るのは、花曇りの方がいい色が出る」とおっしゃっていた言葉が忘れられません。

 


カンバック!昭和商店街27<若紀久前>

2019年02月01日 | レモン色の町

昭和33年7月24日、二番街の若紀久の向かい角を撮った写真。辻氏は移り変わる街の風俗や生活をカメラに収めた。当時の雰囲気が色濃く出た作品だ。飲食店の裏路地でくつろぐ女性たち。夏の暑い一日が終わろうとしている。開店までまだ少し時がある。

 

昭和43年のマップ。水炊き若紀久 となっている。

 

時代は移り昭和61年のマップ。

 

20年ほど前の若紀久前。現在は、スターアイランド東側に移っている。

 

昭和33年、シンガーソングライターで、当時十六歳のポールアンカが「ダイアナ」で春、一大ブームを巻き起こした。ロカビリー三人男の一人平尾昌晃はダイアナを「君は僕より年上と」の訳でヒット。アメリカではエルビス・プレスリーの影響でカントリーからロックンロールへの動きが目立った。アラン・ラッドの「シェーン」、ジョン・ウェイン「アラスカ魂」「リオ・ブラボー」、ヘンリー・フォンダ「荒野の決闘」などの西部劇は、映画と同時にテーマミュージックも良く聞いた。裏の北勢堂から流れてくる音楽が、帰路に急ぐ靴音に混じって流れていた。