今回の会場は、パーテーションによって3分割できます。そこで9日に開催の2日目は「講座」という少人数制のプログラムのため、会場を1日目の3分の2の広さに仕切って準備されました。
セミナー最終回の最後の日ということで、この日は「セミナーの歴史展示コーナー」として、パーテーションに沿ってテーブルを並べ、過去19回のセミナーの案内チラシと機関紙に掲載された報告記事が配置されました。
ところが、前述のとおり想定を上回る人数の当日参加者によって「講座」としては断トツの40人と、定員を15人も上回る大盛況で、縮小した会場は人の行き来もままならないほど狭くなってしまいました。また、今回は支援関係者やひきこもり当事者の割合が最も高くなりました。
丸山の講義が毎回評判の「講座1」の今年のテーマは「家族コミュニケーションを考える」。昨秋以来各所で講義してきた内容の一部を進化させ、より詳細な“丸山式コミュニケーション論”が展開されました。
受講者がレジュメの記入欄に自分の考えを記入したり、場面に応じた受け答えを考えて挙手したり発言したりといった実習的な要素を挟みながらの講義が好評を博しました。
また最後に、1日目にもご出演くださった過去のセミナーのご出演者のひとりである堀内和彦氏がご挨拶くださいました。
2回続けて「学者枠」だった「講座2」は、今回はテーマの関係で初めて当事者をおふたりお招きしました。
まず丸山が、機関紙「ヒュースタ通心」最新号(前号)に掲載されたコラム『当方見聞読』を読み上げ、構想を進めている「在宅生活支援」を中心とした「スロープ型支援システム」について説明。階段を昇らせるような一般的な支援ではなく、スロープを進むような支援の必要性を訴えました。
続いておふたりの当事者に、体験談と利用した支援、ほしかった支援をお話しいただきました。
ひとり目のSさんは、2度の解雇をきっかけに20代半ばの3年間をひきこもり、親戚の葬儀への出席をきっかけに外出できるようになって、支援情報をあたって安い居場所に通ったのち「不登校情報センター」に定着。その間、ハローワークのキャリアカウンセラーの言葉に救われたり、若者サポートステーションでうまく行かなかったりした経験を含め、実感こもった語りが印象に残りました。
二人目のMさんは、小学校1年生からひきこもりに至る長い経験のなかで、親の理解があり家庭が居場所であったこと、しかしおとなになると学校に行っていない頃に比べプレッシャーが強くなって外出できなくなったこと、居場所で知り合った方の誘いでいろいろな場に参加するようになったことを語ったうえで、床屋に行くと「何やっているか」と聞かれるのを恐れて髪が伸び放題になって、人目が気になって外出できず、ますます外見が気になっていくという悪循環に陥ること、久しぶりに外出するとすれ違う人を避けられなかったこと、歯が悪くなっても歯医者に行けず、我慢できなくなって歯医者に行ったときに貧血で倒れたこと、などを語り、髪を切ってもらったり服装をコーディネートしたりする支援が必要ではないかと語りました。
また、おふたりとも将来の葬儀や遺産相続、名義変更の方法など行政手続きをともなう知識・情報の提供やそれらを実行する際の同行者がほしい」という点で一致し、ひきこもりの長期化=高年齢化にともなうニーズがうかがわれました。
最後に、過去のセミナーのご出演者でありながら1日目にご都合が合わなかった関水徹平氏がご挨拶とこの講座のご感想をくださいました。
20回に及ぶセミナーも、いよいよ大団円。半数以上の参加者が残ってくださったなか「終了式」と銘打ち、会場の青少年センター別館の担当課で、セミナーにも2回一般参加してくださったことがある職員の方によるご挨拶と県の施策のご説明、この日司会をつとめた増田康仁氏と会場スタッフをつとめた桑原和也氏の、スタジオスタッフでありセミナーに何度も出演した両名の挨拶、そして丸山の挨拶を行い、万雷の拍手のなか20回を数えたセミナーは幕を下ろしました。
今回は、初期の回に何度か参加された方の懐かしいお顔が見られた一方、初参加の方も多く、当スタジオの歴史とともに近年の口コミでの知名度上昇が感じられました。そのような上向き傾向のなかで最終回を迎えることができたのも、集客に苦しんだ時代のご出演者の方々、そして当スタジオの知名度が低かった時代から各回のテーマや内容で選んでご参加くださった方々のおかげと感謝にたえません。
当スタジオはこれをもちまして定期開催イベントを廃止しますが、次年度の新しい展開の幕開けを告げる特別イベントを4月第2週末に開催する予定です。
そんな当スタジオを引き続きご注目のうえ、ご支援ご利用のほど心からお願いいたします。
「第20回青少年支援セミナー」2日目の要項を振り返る
セミナー最終回の最後の日ということで、この日は「セミナーの歴史展示コーナー」として、パーテーションに沿ってテーブルを並べ、過去19回のセミナーの案内チラシと機関紙に掲載された報告記事が配置されました。
ところが、前述のとおり想定を上回る人数の当日参加者によって「講座」としては断トツの40人と、定員を15人も上回る大盛況で、縮小した会場は人の行き来もままならないほど狭くなってしまいました。また、今回は支援関係者やひきこもり当事者の割合が最も高くなりました。
丸山の講義が毎回評判の「講座1」の今年のテーマは「家族コミュニケーションを考える」。昨秋以来各所で講義してきた内容の一部を進化させ、より詳細な“丸山式コミュニケーション論”が展開されました。
受講者がレジュメの記入欄に自分の考えを記入したり、場面に応じた受け答えを考えて挙手したり発言したりといった実習的な要素を挟みながらの講義が好評を博しました。
また最後に、1日目にもご出演くださった過去のセミナーのご出演者のひとりである堀内和彦氏がご挨拶くださいました。
2回続けて「学者枠」だった「講座2」は、今回はテーマの関係で初めて当事者をおふたりお招きしました。
まず丸山が、機関紙「ヒュースタ通心」最新号(前号)に掲載されたコラム『当方見聞読』を読み上げ、構想を進めている「在宅生活支援」を中心とした「スロープ型支援システム」について説明。階段を昇らせるような一般的な支援ではなく、スロープを進むような支援の必要性を訴えました。
続いておふたりの当事者に、体験談と利用した支援、ほしかった支援をお話しいただきました。
ひとり目のSさんは、2度の解雇をきっかけに20代半ばの3年間をひきこもり、親戚の葬儀への出席をきっかけに外出できるようになって、支援情報をあたって安い居場所に通ったのち「不登校情報センター」に定着。その間、ハローワークのキャリアカウンセラーの言葉に救われたり、若者サポートステーションでうまく行かなかったりした経験を含め、実感こもった語りが印象に残りました。
二人目のMさんは、小学校1年生からひきこもりに至る長い経験のなかで、親の理解があり家庭が居場所であったこと、しかしおとなになると学校に行っていない頃に比べプレッシャーが強くなって外出できなくなったこと、居場所で知り合った方の誘いでいろいろな場に参加するようになったことを語ったうえで、床屋に行くと「何やっているか」と聞かれるのを恐れて髪が伸び放題になって、人目が気になって外出できず、ますます外見が気になっていくという悪循環に陥ること、久しぶりに外出するとすれ違う人を避けられなかったこと、歯が悪くなっても歯医者に行けず、我慢できなくなって歯医者に行ったときに貧血で倒れたこと、などを語り、髪を切ってもらったり服装をコーディネートしたりする支援が必要ではないかと語りました。
また、おふたりとも将来の葬儀や遺産相続、名義変更の方法など行政手続きをともなう知識・情報の提供やそれらを実行する際の同行者がほしい」という点で一致し、ひきこもりの長期化=高年齢化にともなうニーズがうかがわれました。
最後に、過去のセミナーのご出演者でありながら1日目にご都合が合わなかった関水徹平氏がご挨拶とこの講座のご感想をくださいました。
20回に及ぶセミナーも、いよいよ大団円。半数以上の参加者が残ってくださったなか「終了式」と銘打ち、会場の青少年センター別館の担当課で、セミナーにも2回一般参加してくださったことがある職員の方によるご挨拶と県の施策のご説明、この日司会をつとめた増田康仁氏と会場スタッフをつとめた桑原和也氏の、スタジオスタッフでありセミナーに何度も出演した両名の挨拶、そして丸山の挨拶を行い、万雷の拍手のなか20回を数えたセミナーは幕を下ろしました。
今回は、初期の回に何度か参加された方の懐かしいお顔が見られた一方、初参加の方も多く、当スタジオの歴史とともに近年の口コミでの知名度上昇が感じられました。そのような上向き傾向のなかで最終回を迎えることができたのも、集客に苦しんだ時代のご出演者の方々、そして当スタジオの知名度が低かった時代から各回のテーマや内容で選んでご参加くださった方々のおかげと感謝にたえません。
当スタジオはこれをもちまして定期開催イベントを廃止しますが、次年度の新しい展開の幕開けを告げる特別イベントを4月第2週末に開催する予定です。
そんな当スタジオを引き続きご注目のうえ、ご支援ご利用のほど心からお願いいたします。
「第20回青少年支援セミナー」2日目の要項を振り返る