どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

久しぶりに原発問題

2011-10-01 15:05:00 | インポート
気になる記事があったのでまとめて紹介したい。
東京都が東北地方のがれき焼却処分受け入れを表明しているが、それに対する抗議が殺到しているらしい。
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/snk20111001116.html
あれだけのがれきを焼却出来る施設は、東京くらいしか無いのだろう。そういえば川崎市はどうなったのだろう。
ただこの問題に関しては、風評だとか怒る気はない。むしろよくわかる。その上焼却灰を埋め立てに使うのはどうかと思う。これは東北に戻してもいいのではないのか?あと焼却灰ガラス固融プラントはどうなったのだろう。こうゆうときにこそ有効なプラントなのだが。砂粒大になるので放射性物質の封じ込めには限界があるが、有効だ。


次がプルトニウム発見のニュース
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110930-OYT1T01278.htm
このニュースを聞いて驚かない自分に驚いている。震災後いろいろ勉強した結果、プルトニウムが日本全国にあるという事。以外と人体に取り込まれない事。存在しているのが微量なので、埃として肺から吸収されるのもほぼ確率の問題。ほとんどないだろう。おまけに半減期が長過ぎてシュリーディンガーの猫ではないが、プルトニウムを体内に持っていてもそれが核分裂を起こさない確率がある。セシウムやストロンチウムのほうが問題になるのはこの半減期の問題。プルトニウムはむしろ問題なのは金属毒。猛毒らしい。しかし取り込む確率は低い。
ストロンチウムの大量発見は、骨折した私としては大変な問題。骨折箇所から骨がんが出来たらきっと原発のせい。カルシウム製剤をいっぱいとってますが…。

次は現代ビジネス。とてもいい鼎談になっています。参加者が日本でもトップクラスの農家です。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/20559
生産者の被ばく問題がちょっと出てきます。確かに土ぼこり舞う中での作業が多いです。特に福島の沿岸部では冬雪が積もらないので、土ぼこりが舞うでしょう。冬期間生育出来る緑肥作物などで土ぼこりを押さえる必要もあるでしょう。一番の問題点はここ、引用します。
「たとえば国の基準値が500Bqだとしても、ちょっとでも放射線が検出されれば、そういうお客さんにとっては10Bqだろうが1Bqだろうが同じことなんです。根源を絶つには土壌から放射性物質を除去するしかありません。しかし、表層5cmというのは作土層で、有機農業ではいちばん重要な部分で何年も何十年もかけて作ったわけですから、それをはぎ取ってしまうということは、農業の資産を捨ててしまうことになります。」
これは凄まじい事なのです。篤農家であればあるほど大きい問題です。実際土は15センチ以上耕す必要がないという農法もあります。これは根菜類には適用しませんが、この根菜類でも土の5センチは大きな所です。
はぎ取る方法にかえて天地替えという方法も提案されています。これは地面から30センチを上下ひっくり返すことです。実はこの方法はとてもいいのですが、消費者は納得しないだろうと思います。少なくとも根菜類では問題になるかもしれません。どちらにしても作土層が開拓初期の状態になってしまうのです。農家にとっては大変な問題です。
この記事はとてもいいので、いっぱい見てもらいたいです。特に生産者と消費者が一緒に考えて行く場を作って行くのは大切な事です。

フライデーの記事から
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/20558
東北の直面している問題は、放射能と共存する事。これは私もそう考えています。正しく怖がること、これが大切です。ベラルーシの事例が多く取り上げられています。ウシの体内からセシウムを排出させる薬品にプルシアンブルーが紹介されています。また実は人間用の薬に、放射性物質を大量に取り込んだ場合に排出させるための点滴剤があります。大戦中からこの薬品はあるようですが、あくまでも大量被爆の際に適用される薬です。どの程度かは解りませんが、想像する限りキレート剤なので副作用は大きいと思います。ウシ用のプルシアンブルーも人間用ではありません。ご注意ください。

放射性物質の植物への移行係数について古いデーターがあった。以外と少ないものだ。植物体での濃縮は無いといっていいのかもしれない。
http://www.rwmc.or.jp/library/other/file/kankyo1.pdf
88年の資料だ。この時期の地面のセシウム濃度がちょっと大きくてビックリしている。核実験の影響の大きさを物語っている。今後もっと細かく新しいデーターが集まるだろう。それによって放射性物質の影響の無い作物を作る事が可能になると思う。
まとめのいい記事があった
http://metabolomics.jp/wiki/Doc:Radiation/Agriculture
統計データをまとめてあるので、ありがたい。


最後に、原発問題で重要な事。やはりトリウム原発が話題になっている。ウエッジの記事から。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1507
ウエッジではトリウム原発について3連発で記事を掲載している。なぜトリウム原発が今まで発展してこなかったといえば理由は簡単で、冷戦下での原爆製造と関わっていたからだと知られている。最近では日本の原発も、その初期から原発製造も視野に入れていた事が、解っている。
ただ脱原発をまじめに考えると、難しい事が解る。核のゴミとかも問題だが、その停止した原発をどうやって維持して行くのか、そして最終的に廃炉にしたあとどうするのか、とんでもないコストになる。このコストを誰が負担するのか、国民全体で議論しなければ行けないだろう。電力会社に負担させる場合だと、その膨大なコストをまかなうだけ彼らがもうけなければ行けない。ということは既存の原発や建設途中の大間原発などを稼働させ減価償却を進め、その利益を廃炉費用に積み立ててもらうしかない。それでも核のゴミにかかるコストは税金で負担する事になるのだろう。
あと核のゴミにはモラルの問題がある。モンゴルが受け入れを表明しているが、それでモンゴルがどうなるのか。今現在でもモンゴルの開発で表土の砂漠化が進み、中国まで影響されている。ましてや核である。モンゴルの環境破壊を進めていいのか、考えなければ行けない。
またこれはすごい事なのだが、日本とアメリカからの核のゴミをモンゴルが受け入れたら、モンゴルは潜在的世界最大の核保有国になる。また核物質の紛失や盗難に対してどう対応出来るか、これもわからない。国際紛争の火種を作る事になるのは間違いない。ここにもモラルの問題が出てくる。
トリウム原発や核融合の研究も本来は進めて行くべきことだが、脱原発でこれらも止まってしまうのではないのかと考えている。脱原発は正しい。しかし時間をかけた方がいいのではないのか。少なくとも30年から50年。原発を全廃したとしても少なくとも300年は設備を整えて核のゴミを維持しなければならない。急に全廃した場合そのコストが税金や電気代に反映する事は間違いが無い。
最後になるが、脱原発の問題より生活の問題がある。エネルギーを使いすぎる事が直接的な地球温暖化の主原因なのだ。ここをもっと見直す事が正しいあり方だと思う。その覚悟をもって脱原発は語られるべきではないのか。放射能の不安から脱原発ではなく、違う未来を作り上げる、違う社会を作り出す、こういった視座が必要だと思う。少なくともその意味では政治に対する無関心や、地域サービスを人任せにしている状況を深く考え直さなければ行けないだろう。
実は民主党が政権を取った時の「新しい公共」はそんな概念も含んでいたのですが、どうなったのでしょうね。


盛岡私的観光案内 桜山稲荷2

2011-10-01 02:41:22 | インポート
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さて県庁から中央通を挟んで鳥居の前に小さな緑地があります。ここにも昔建物があったようですが、今はありません。さんさ祭りのときに見物席が出来ます。小さな石碑がありました。何でも測量のなんとかと書いています。新しいものなのですが、とても読みにくかったです。



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鳥居をくぐって左に向かうと、お寺も無いのに鐘があります。この鐘は江戸時代の時の鐘で、今の盛岡中央郵便局近くにあったようですが、点々としてここにあります。昭和30年頃まで時の鐘として使われていたようです。この土塁は当時この高さで張り巡らしていたもののようですが、城を壊すという事は、土塁も残さないという事なのでしょうか。


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道は二手に分かれます。真ん中に公園があります。いい感じです。航空写真と照らし合わせると、ここには建物は無かったようです。


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建物と建物の間はこんな具合です。勝手口でもあるので割と整理されています。


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お堀の向こうに岩手日報本社があります。実は桜山稲荷はそう安くもない通りです。もちろん大通りの女の子がいる店などに比べれば安い店です。以外と盛岡市役所や県庁職員は行かないそうです。ただ最近この辺りも地価の下落と店舗の老朽化とで家賃が下がってきているようです。もちろんあんまり空き家にしてしまえば、利用状況から空き家と見なされるので、安くなるのでしょうが。西側に安い店が多いようにも感じています。


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大通り側に来ます。服・雑貨の店が増えます。ラーメン屋とかもあります。昔ながらの軒の低いアーケードが懐かしいです。


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さて桜山稲荷です。江戸時代からあったが明治維新以降放浪し、明治33年に今の場所になったらしい。ここも発掘調査されているのかは、知らない。


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境内から山門を見下ろします。そういえば山門の隣に靴屋があったのですが、無くなって久しいです。ちょっと左が寂しくなって気がつきました。


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桜山稲荷の境内にある、古地図。実はこれら城の図面は、改修等をおこなう度に幕府に提出していたもの。実はかなりいい加減。理由はいざというときのため、正しい情報を知られたくない。そのためウソを織り交ぜて書いていたそうです。どう考えても敷地からはみ出したり、本当にこんな建物だったか実用が疑わしい図面もあるそうです。そのため発掘調査しなければ行けないのですが、これが難しいのが現状です。とはいえ観光名所のために天守閣を作るのもどうかと思います。


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桜山稲荷のご神体の烏帽子岩(兜岩)と奥の院屋根。これは違うと思うのですが、明治に移転したときにそうなったのだろうと。細かく見れば、岩が転落しないようにコンクリートの下敷きが、ちょっと古くなっているのが気になります。


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そのまま3の丸から降りて行きます。この辺りの石垣は立派です。


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お堀でも亀池と呼ばれる所から。この前にあるモールですが、ここもさっきのアーケードと同じような感じでした。再開発を受けてきれいになりました。昔はそれはそれでよかったのですが、今の方がいい。ここがうまくいったのは史跡でなかった事が理由のようでした。文化庁が関わらない、これだけでも変わるようです。あとこの時の担当者はかなり誠実な人です。その違いもあります。


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戻ってきました。実際この境内では愛されている店が多いです。左のえぞっこもファンがいます。


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同じ写真を使ってしまった…。こちらは西側の通り。最近若い人が借りて店を開いています。東側の老舗が多いのに比べれば、好みがわかれるかもしれません。この撮影をしているのは3時過ぎなのですが、もう開いている店が見られます。カラオケが流れたり、のれんは出ていないが客がいたりのどかな時間がながれます。東側が顕著かな?


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町おこしのための事務所があります。例の議員が熱心に討論していました。ただここは昔なんだったか、思い出せません。


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さて最も有名な‘白龍’です。盛岡ジャジャ麺発祥の地、なのですが実は白龍店舗を変えているようです。桜山から出て戻って、また出て戻って今日があるようです。この時間帯なので行列はないのですが、盛岡で数少ない行列のできる店です。
昔はおばちゃんの無愛想が有名で、ファンがいました。意図的にジャジャ麺以外を頼むとか、無理難題、卵なしチータンとかいうんですが、無愛想にオーダーを受けて出す。なので今でもキュウリ抜きとかネギ抜きとかわがままなオーダーが可能です。そのおばちゃんが、ジャジャ麺の上に乗っている肉みそに、魔法の粉(いわずと知れた味の素)を耳かきみたいな匙でぱっと、脇を締めて、機械的に正確に撒くのが芸術的でそれだけでもすばらしい店です。
なお現在彼女は見た事がないので保証しませんが。
ここの所若いイケメンな店員がいるのですが、味が半減して感じます。
ここよりおいしい店はあります。でもここがデファクトスタンダードなので誰も勝てません。
この店に難点を上げれば、27年前のゴマたっぷり肉たっぷりのみそがよかった。先代が別館をやっていた朝ジャジャがよかった。あれは感動的だった。
時代で変わってきているようです。とはいっても白龍に関しては、凄まじいファンがいますのでそちらを検索してください。私は邪道で追加ニンニクなし、ラー油少し酢が多くショウガは多い方がよくて、チータンは頼まない。
元々、中国北部のファーストフードだったようです。それを引揚者が持ち帰ってアレンジしたもののようです。



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もう一つの名店パイカルです。左側がそうです。最近看板が変わりました。おいしいのですが何か違うので通う事の無い店です。その違いは多分アルバイトの使い方なのかなと感じています。


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パイカル裏の通りです。二階も使って営業しています。

朝鮮系や中国系の問題だと早合点する人もいると思いますが、それはありません。ここはここなのです。土着化しきっています。盛岡の最もディープで最も楽しめる町です。