気になる記事があったのでまとめて紹介したい。
東京都が東北地方のがれき焼却処分受け入れを表明しているが、それに対する抗議が殺到しているらしい。
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/snk20111001116.html
あれだけのがれきを焼却出来る施設は、東京くらいしか無いのだろう。そういえば川崎市はどうなったのだろう。
ただこの問題に関しては、風評だとか怒る気はない。むしろよくわかる。その上焼却灰を埋め立てに使うのはどうかと思う。これは東北に戻してもいいのではないのか?あと焼却灰ガラス固融プラントはどうなったのだろう。こうゆうときにこそ有効なプラントなのだが。砂粒大になるので放射性物質の封じ込めには限界があるが、有効だ。
次がプルトニウム発見のニュース
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110930-OYT1T01278.htm
このニュースを聞いて驚かない自分に驚いている。震災後いろいろ勉強した結果、プルトニウムが日本全国にあるという事。以外と人体に取り込まれない事。存在しているのが微量なので、埃として肺から吸収されるのもほぼ確率の問題。ほとんどないだろう。おまけに半減期が長過ぎてシュリーディンガーの猫ではないが、プルトニウムを体内に持っていてもそれが核分裂を起こさない確率がある。セシウムやストロンチウムのほうが問題になるのはこの半減期の問題。プルトニウムはむしろ問題なのは金属毒。猛毒らしい。しかし取り込む確率は低い。
ストロンチウムの大量発見は、骨折した私としては大変な問題。骨折箇所から骨がんが出来たらきっと原発のせい。カルシウム製剤をいっぱいとってますが…。
次は現代ビジネス。とてもいい鼎談になっています。参加者が日本でもトップクラスの農家です。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/20559
生産者の被ばく問題がちょっと出てきます。確かに土ぼこり舞う中での作業が多いです。特に福島の沿岸部では冬雪が積もらないので、土ぼこりが舞うでしょう。冬期間生育出来る緑肥作物などで土ぼこりを押さえる必要もあるでしょう。一番の問題点はここ、引用します。
「たとえば国の基準値が500Bqだとしても、ちょっとでも放射線が検出されれば、そういうお客さんにとっては10Bqだろうが1Bqだろうが同じことなんです。根源を絶つには土壌から放射性物質を除去するしかありません。しかし、表層5cmというのは作土層で、有機農業ではいちばん重要な部分で何年も何十年もかけて作ったわけですから、それをはぎ取ってしまうということは、農業の資産を捨ててしまうことになります。」
これは凄まじい事なのです。篤農家であればあるほど大きい問題です。実際土は15センチ以上耕す必要がないという農法もあります。これは根菜類には適用しませんが、この根菜類でも土の5センチは大きな所です。
はぎ取る方法にかえて天地替えという方法も提案されています。これは地面から30センチを上下ひっくり返すことです。実はこの方法はとてもいいのですが、消費者は納得しないだろうと思います。少なくとも根菜類では問題になるかもしれません。どちらにしても作土層が開拓初期の状態になってしまうのです。農家にとっては大変な問題です。
この記事はとてもいいので、いっぱい見てもらいたいです。特に生産者と消費者が一緒に考えて行く場を作って行くのは大切な事です。
フライデーの記事から
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/20558
東北の直面している問題は、放射能と共存する事。これは私もそう考えています。正しく怖がること、これが大切です。ベラルーシの事例が多く取り上げられています。ウシの体内からセシウムを排出させる薬品にプルシアンブルーが紹介されています。また実は人間用の薬に、放射性物質を大量に取り込んだ場合に排出させるための点滴剤があります。大戦中からこの薬品はあるようですが、あくまでも大量被爆の際に適用される薬です。どの程度かは解りませんが、想像する限りキレート剤なので副作用は大きいと思います。ウシ用のプルシアンブルーも人間用ではありません。ご注意ください。
放射性物質の植物への移行係数について古いデーターがあった。以外と少ないものだ。植物体での濃縮は無いといっていいのかもしれない。
http://www.rwmc.or.jp/library/other/file/kankyo1.pdf
88年の資料だ。この時期の地面のセシウム濃度がちょっと大きくてビックリしている。核実験の影響の大きさを物語っている。今後もっと細かく新しいデーターが集まるだろう。それによって放射性物質の影響の無い作物を作る事が可能になると思う。
まとめのいい記事があった
http://metabolomics.jp/wiki/Doc:Radiation/Agriculture
統計データをまとめてあるので、ありがたい。
最後に、原発問題で重要な事。やはりトリウム原発が話題になっている。ウエッジの記事から。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1507
ウエッジではトリウム原発について3連発で記事を掲載している。なぜトリウム原発が今まで発展してこなかったといえば理由は簡単で、冷戦下での原爆製造と関わっていたからだと知られている。最近では日本の原発も、その初期から原発製造も視野に入れていた事が、解っている。
ただ脱原発をまじめに考えると、難しい事が解る。核のゴミとかも問題だが、その停止した原発をどうやって維持して行くのか、そして最終的に廃炉にしたあとどうするのか、とんでもないコストになる。このコストを誰が負担するのか、国民全体で議論しなければ行けないだろう。電力会社に負担させる場合だと、その膨大なコストをまかなうだけ彼らがもうけなければ行けない。ということは既存の原発や建設途中の大間原発などを稼働させ減価償却を進め、その利益を廃炉費用に積み立ててもらうしかない。それでも核のゴミにかかるコストは税金で負担する事になるのだろう。
あと核のゴミにはモラルの問題がある。モンゴルが受け入れを表明しているが、それでモンゴルがどうなるのか。今現在でもモンゴルの開発で表土の砂漠化が進み、中国まで影響されている。ましてや核である。モンゴルの環境破壊を進めていいのか、考えなければ行けない。
またこれはすごい事なのだが、日本とアメリカからの核のゴミをモンゴルが受け入れたら、モンゴルは潜在的世界最大の核保有国になる。また核物質の紛失や盗難に対してどう対応出来るか、これもわからない。国際紛争の火種を作る事になるのは間違いない。ここにもモラルの問題が出てくる。
トリウム原発や核融合の研究も本来は進めて行くべきことだが、脱原発でこれらも止まってしまうのではないのかと考えている。脱原発は正しい。しかし時間をかけた方がいいのではないのか。少なくとも30年から50年。原発を全廃したとしても少なくとも300年は設備を整えて核のゴミを維持しなければならない。急に全廃した場合そのコストが税金や電気代に反映する事は間違いが無い。
最後になるが、脱原発の問題より生活の問題がある。エネルギーを使いすぎる事が直接的な地球温暖化の主原因なのだ。ここをもっと見直す事が正しいあり方だと思う。その覚悟をもって脱原発は語られるべきではないのか。放射能の不安から脱原発ではなく、違う未来を作り上げる、違う社会を作り出す、こういった視座が必要だと思う。少なくともその意味では政治に対する無関心や、地域サービスを人任せにしている状況を深く考え直さなければ行けないだろう。
実は民主党が政権を取った時の「新しい公共」はそんな概念も含んでいたのですが、どうなったのでしょうね。
東京都が東北地方のがれき焼却処分受け入れを表明しているが、それに対する抗議が殺到しているらしい。
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/snk20111001116.html
あれだけのがれきを焼却出来る施設は、東京くらいしか無いのだろう。そういえば川崎市はどうなったのだろう。
ただこの問題に関しては、風評だとか怒る気はない。むしろよくわかる。その上焼却灰を埋め立てに使うのはどうかと思う。これは東北に戻してもいいのではないのか?あと焼却灰ガラス固融プラントはどうなったのだろう。こうゆうときにこそ有効なプラントなのだが。砂粒大になるので放射性物質の封じ込めには限界があるが、有効だ。
次がプルトニウム発見のニュース
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110930-OYT1T01278.htm
このニュースを聞いて驚かない自分に驚いている。震災後いろいろ勉強した結果、プルトニウムが日本全国にあるという事。以外と人体に取り込まれない事。存在しているのが微量なので、埃として肺から吸収されるのもほぼ確率の問題。ほとんどないだろう。おまけに半減期が長過ぎてシュリーディンガーの猫ではないが、プルトニウムを体内に持っていてもそれが核分裂を起こさない確率がある。セシウムやストロンチウムのほうが問題になるのはこの半減期の問題。プルトニウムはむしろ問題なのは金属毒。猛毒らしい。しかし取り込む確率は低い。
ストロンチウムの大量発見は、骨折した私としては大変な問題。骨折箇所から骨がんが出来たらきっと原発のせい。カルシウム製剤をいっぱいとってますが…。
次は現代ビジネス。とてもいい鼎談になっています。参加者が日本でもトップクラスの農家です。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/20559
生産者の被ばく問題がちょっと出てきます。確かに土ぼこり舞う中での作業が多いです。特に福島の沿岸部では冬雪が積もらないので、土ぼこりが舞うでしょう。冬期間生育出来る緑肥作物などで土ぼこりを押さえる必要もあるでしょう。一番の問題点はここ、引用します。
「たとえば国の基準値が500Bqだとしても、ちょっとでも放射線が検出されれば、そういうお客さんにとっては10Bqだろうが1Bqだろうが同じことなんです。根源を絶つには土壌から放射性物質を除去するしかありません。しかし、表層5cmというのは作土層で、有機農業ではいちばん重要な部分で何年も何十年もかけて作ったわけですから、それをはぎ取ってしまうということは、農業の資産を捨ててしまうことになります。」
これは凄まじい事なのです。篤農家であればあるほど大きい問題です。実際土は15センチ以上耕す必要がないという農法もあります。これは根菜類には適用しませんが、この根菜類でも土の5センチは大きな所です。
はぎ取る方法にかえて天地替えという方法も提案されています。これは地面から30センチを上下ひっくり返すことです。実はこの方法はとてもいいのですが、消費者は納得しないだろうと思います。少なくとも根菜類では問題になるかもしれません。どちらにしても作土層が開拓初期の状態になってしまうのです。農家にとっては大変な問題です。
この記事はとてもいいので、いっぱい見てもらいたいです。特に生産者と消費者が一緒に考えて行く場を作って行くのは大切な事です。
フライデーの記事から
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/20558
東北の直面している問題は、放射能と共存する事。これは私もそう考えています。正しく怖がること、これが大切です。ベラルーシの事例が多く取り上げられています。ウシの体内からセシウムを排出させる薬品にプルシアンブルーが紹介されています。また実は人間用の薬に、放射性物質を大量に取り込んだ場合に排出させるための点滴剤があります。大戦中からこの薬品はあるようですが、あくまでも大量被爆の際に適用される薬です。どの程度かは解りませんが、想像する限りキレート剤なので副作用は大きいと思います。ウシ用のプルシアンブルーも人間用ではありません。ご注意ください。
放射性物質の植物への移行係数について古いデーターがあった。以外と少ないものだ。植物体での濃縮は無いといっていいのかもしれない。
http://www.rwmc.or.jp/library/other/file/kankyo1.pdf
88年の資料だ。この時期の地面のセシウム濃度がちょっと大きくてビックリしている。核実験の影響の大きさを物語っている。今後もっと細かく新しいデーターが集まるだろう。それによって放射性物質の影響の無い作物を作る事が可能になると思う。
まとめのいい記事があった
http://metabolomics.jp/wiki/Doc:Radiation/Agriculture
統計データをまとめてあるので、ありがたい。
最後に、原発問題で重要な事。やはりトリウム原発が話題になっている。ウエッジの記事から。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1507
ウエッジではトリウム原発について3連発で記事を掲載している。なぜトリウム原発が今まで発展してこなかったといえば理由は簡単で、冷戦下での原爆製造と関わっていたからだと知られている。最近では日本の原発も、その初期から原発製造も視野に入れていた事が、解っている。
ただ脱原発をまじめに考えると、難しい事が解る。核のゴミとかも問題だが、その停止した原発をどうやって維持して行くのか、そして最終的に廃炉にしたあとどうするのか、とんでもないコストになる。このコストを誰が負担するのか、国民全体で議論しなければ行けないだろう。電力会社に負担させる場合だと、その膨大なコストをまかなうだけ彼らがもうけなければ行けない。ということは既存の原発や建設途中の大間原発などを稼働させ減価償却を進め、その利益を廃炉費用に積み立ててもらうしかない。それでも核のゴミにかかるコストは税金で負担する事になるのだろう。
あと核のゴミにはモラルの問題がある。モンゴルが受け入れを表明しているが、それでモンゴルがどうなるのか。今現在でもモンゴルの開発で表土の砂漠化が進み、中国まで影響されている。ましてや核である。モンゴルの環境破壊を進めていいのか、考えなければ行けない。
またこれはすごい事なのだが、日本とアメリカからの核のゴミをモンゴルが受け入れたら、モンゴルは潜在的世界最大の核保有国になる。また核物質の紛失や盗難に対してどう対応出来るか、これもわからない。国際紛争の火種を作る事になるのは間違いない。ここにもモラルの問題が出てくる。
トリウム原発や核融合の研究も本来は進めて行くべきことだが、脱原発でこれらも止まってしまうのではないのかと考えている。脱原発は正しい。しかし時間をかけた方がいいのではないのか。少なくとも30年から50年。原発を全廃したとしても少なくとも300年は設備を整えて核のゴミを維持しなければならない。急に全廃した場合そのコストが税金や電気代に反映する事は間違いが無い。
最後になるが、脱原発の問題より生活の問題がある。エネルギーを使いすぎる事が直接的な地球温暖化の主原因なのだ。ここをもっと見直す事が正しいあり方だと思う。その覚悟をもって脱原発は語られるべきではないのか。放射能の不安から脱原発ではなく、違う未来を作り上げる、違う社会を作り出す、こういった視座が必要だと思う。少なくともその意味では政治に対する無関心や、地域サービスを人任せにしている状況を深く考え直さなければ行けないだろう。
実は民主党が政権を取った時の「新しい公共」はそんな概念も含んでいたのですが、どうなったのでしょうね。