どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

タバコ税

2011-10-07 20:14:24 | インポート
タバコ税の増税が出ている。ただ、この議論タバコ嫌いとタバコ飲みの感情的な議論になりがちだ。私もタバコ飲みなのでこの辺はどうなっているのかがよくわかっている。その上で周りに遠慮せずにタバコをすっている野蛮人はともかく、ほとんどのタバコ飲みは相当遠慮してタバコをすっている。嫌煙家と話しになった時も、相当頭を低くしている。大体自虐で、ホントやめたいんですけどネ~とか禁煙失敗談で笑いをとってジブン弱いんですネ~とかいってなんとかしようとがんばっている。もちろんこの際タバコは吸わない。その上何のタバコをすっているのか解らなくなる喫煙室に追い込まれている。しかしだ健康増進法以降、喫煙室から空気清浄機が無くなっているのだ!タバコが切れてイライラしている時は喫煙室に入るとホントすった気になる。どちらにしてもこの日本では、大規模な人体実験が行われている。
しかし嫌煙家は、どちらかといえばファンダメンタリストで病気になって健康保険の破綻で、受動喫煙で火事によっての財産の損失がで、子供の教育と町の景観の問題で、その匂いの不快感と加齢臭と加齢についてで、放射性物質ポロニウムまで登場し、最後にはタバコのみは全員死ぬべきだとなって行く。
この状態で議論なんて出来ない。だからJTは税収は上がる事は無いと金額面で議論をかけて行っている。
その前にそもそもの話しをしたい。
タバコ税と酒税は、日露戦争の費用を捻出するために設立された税だ。目的税だったので、その支払いが終わった以降は廃案にするべきだ。実はこの費用だが、最近払い終わったものだ。大昔に払い終わって、それでも残したものではない。国費がないからズルズルと残したものだ。
それでは、自動車税が無くなった消費税のときにこの議論はあったのか。ほとんどなかった。2重課税にならないかが問題になった程度だ。確かに酒税はイギリスでのアル中が増えるのを予防するための税でもある。しかしタバコは奢侈品であるという名目だったはずだ。本来は自動車税と同じ扱いになるべきだった。
なぜそうならなかったといえば、タバコ税は国税と地方税の二つの顔を持つからだと思う。消費税より税率が高かったので、地方からも消費税に一元化する事を嫌われたのだろう。
私のように酒好きでタバコ飲みは、だからこそ言いたい。本来だったら酒とタバコはもはや税金をかける名目が無いものだ。これらは消費税に一元化するべきだ。誰もがこの議論をしない。品目による税の不平等は、消費税にはあってはいけないものだ。そこをタバコを止めさせるために税率を上げるとか、税を上げるとタバコの売り上げが下がって安定した財源にならないというトンチンカンな議論になるのだ。
まず、税はどうあるべきなのかを考えた上で酒税やタバコ税は考えられなければ行けない。その上で消費税の平等主義とどう整合つけれるのかを考えなければ行けない。そういった議論が無いのが腹ただしい。
所得税や消費税、地方税と同じ土俵で議論しなければ行けない議論だ。あるから使うのはとてもよくない議論だ。議会からマスコミまでそういった根幹を考えようとはしない。それがどうゆう事なのかも解っていない。
廃止を前提で議論して欲しい。
税とは憲法に関わる問題だ。浅く語っては行けない。
なので復興というお題目がついても、私はタバコ税増税には反対する。岩手に住む人間でも反対する。ついでに酒税にも反対する。人と言われても反対する。
どんなに税制の法理論が構築されていようが、消費税以降の矛盾を議論せずにごまかしている世の中に反対する。
ついでに消費税に反対する。しかし売上税に変更するのは賛成だ。インボイスによる控除があるからだ。
私も反対ばかりするほど馬鹿ではない。なので対案がある。
酒税とタバコ税は、目的税になるべきで一般財源にしてはいけない。もともとが目的税だったのだ。それを大戦中のドサクサで一般財源にしてしまったのが間違いだった。これを財源不足と、キリスト教的潔癖主義のアメリカ人が、タバコ税をなんとなくスルーしてしまった所もある。そのまんまズルズルきたのがタバコ税だ。
復興を目的にするなら10年後に元の税率にするべきだ。そういった議論も無い、税制の意味すら感じられない議論にはあきれている。復興以外の目的があるのだろうと疑う。
酒もタバコも健康に悪いもので、それが問題ならその税金を国民健康保険制度に使われるようにするべきだ。そのための目的税にするべきだ。それだったら、この課税者も納得する。スジがとおって入れば納得する。
タバコ嫌いだし~税制あるし~健康に悪いし~上げちゃえ!見たいな議論にはうんざりしている。
本質は税制の問題なのだ。上げる前にこの議論が無いのは全くよくない。
終わった事ではないはずだ。


緑の羽根募金

2011-10-07 02:32:42 | インポート
Dsc_6805

町内会の回覧板で、緑の羽根募金のお願いが回ってきた。
こういったお金がまつわる町内会活動は重要だ。絶対顔を合わせて、回覧板をまわさなければ行けないからだ。そういった些細な積み重ねが大切だ。
驚いたのは、羽根からピンが無くなった事。これまでもこういった回覧板があったが、ピンが無いのに気がついたのは今回初めて。回覧板から落ちた羽根を拾ったら、シールで服に貼るようになっていた。これはいいかもしれない。
緑の羽根の緑化事業は、今回は全国区で動くと思う。ただ来年度には震災で荒れた山や沿岸の緑化にも役立てて欲しい。
森と海が関連しているのを証明したのは、三陸の海だった。山に樹があると海も豊穣になる。そこが震災と津波で壊れている。復興事業に欠かせない問題だ。
ただもうそろそろ赤も緑も、募金を街頭で、しかも中学生なんか使うのは止めて欲しい。寄附したサインとして羽根が必要だったのだが、シールだろうがピンであろうが毎日つけられない。それでいて町に行くと、子供たちの声が響く。
罪悪感を感じる。
雷が近づいている。それではおやすみなさい。