脱出できたかと言えば迷ったあげく、エリアを広げてしまいます。もうどうしようもない。
さて前九年の役の古戦場の一つ、諸葛川です。前九年の役は実際12年に渡る戦争でした。ただ盛岡近辺は安倍氏の本拠地だったので決戦の場でした。壮絶な戦いだったようです。この川も死体がゴミのように流れていたと言われています。ただこの伝承は少しおかしいような気もします。当時は万単位での戦争ではないのですから。
ただ、源氏が皆殺しをした可能性はあります。
国道46号にきて体勢立て直しです。イオンモールでの渋滞がひどくなってきています。
チロっと。生きる事と車は関係ないはずなのだが。必要を考えるべきなのだが。
壮絶に迷って、稲荷町に重要な神社があったと思い直して向かいます。実は今回安倍館から歩いているこの地帯ですが、安倍氏本拠地でもあります。平安時代にはどうだったかと言えば、縄文時代に海だった地帯が干上がって湿地帯であったようです。そのうえ戦後まで北上川と雫石川の氾濫原だったので平安時代にはかなりの湿地帯だったと思われます。
湿地帯の中に岬という感じで突き出していたのがこの神社のようです。この地を押さえたのが源氏の勝利に繋がるようです。現在住宅地で見えませんが、きっと敵見が森や安倍館が見わたせれる位置でしょう。
雫石川の氾濫原を大きく迂回して諸葛川の激戦をへてこの地に来た源氏の執念は凄まじいです。そしてここしか無いのでしょうが、川を挟んだ危険な陣地でもあったと思います。
神社の脇は、線路をくぐって下に道路があります。水没しないのかな?
住宅街のど真ん中に田んぼがあります。郊外なので気にしないです。
この辺りに田んぼがあるのは用水の関係なのですが、用水が残っているのではなく、古代から用水があったのだろうと。この辺りを迷っているうちに、以外と古代の形を残しているかもしれないと思い始めました。
ミニ公園です。近いうちに使えないミニ公園がどうしてあるのか市役所に聞かなければ行けません。
ミニと言っていたらプチ公園と言い切ってます。できればプティと書いてもらいたい。よりいっそう意味が楽しくなる。この自虐的な感覚は好きだ。奥にある建物は教会。盛岡はキリスト者が多いようです。
ようやくたどり着きました。大館の縄文遺跡です。大型建築物は無さそうですが、大集落の跡です。
縄文時代にはここが岬のように、出ていたようです。
実はこの縄文遺跡が丘になっていて。先の稲荷が見えにくかったのかもしれない。10メータくらい高い位置だが影響はあるはず。
さてまた迷いました。ただ国道に戻れるので安心して迷います。そこに農地が。その看板ですが、どうしてそこを自腹で開発して、農地をよそに移転しないのか解りません。完全2車線の一等地で農業をする事が間違っています。
こだわるポイントは解りますが、先祖代々の土地を守る事と、農業を続ける事は分けて考えるべきです。
盛岡舞台。老舗の照明・音響屋さんです。私もそうですが、華やかな舞台を支えている人たちがどうして貧乏なのでしょうか。よくわかりません。
このエリアですがやっぱり川が多いです。ここでは左に謎の橋があるのですが避難用でしょうか。
蛇行した小さい川と南側の湿地帯があるので、中世の軍事拠点だったのでしょう。弓と石つぶてと刃物の時代の肉弾戦ではちょっと厄介な土地のようです。
国道46号に戻って天昌寺町に向かいます。写真だと解りにくいのですが、急に下がってゆきます。
天昌寺です。ここが安倍氏の居城だったらしいです。湿地帯から出た、丘陵地の出端にある陣地は攻めにくかったでしょう。
JRと岩手銀河鉄道の車両基地があります。
わびしくもあり、人の力も感じたりするよくわからないスポットです。あまり鉄道ファンを見かけないのも不思議です。
でもなんかすべてが終着駅、みたいなニュアンスがある。ここですべてが止まる。そんな空気が漂っています。
空手の道場が。なぜか思ったのですが、ここだけ神奈川の川崎なのかもしれません。ポッカリした空気があります。
意味不明だと思うのですが、戦い続けるためには何かこう行った場所が必要なのでしょう。古戦場ですし。
安倍氏の居城がどんな位置なのか説明するための写真をどうするのかが、問題。解り安いのは10メートルのコンクリートの壁。湿地帯との崖だったんです。でもそれでは当時になかったと言われるので曖昧な所を撮影。
盛岡でも有数の古刹、天昌寺。平安期からあるようですが、焼失したりして今日にあります。
先の稲荷町の神社もそうですが、戦略的な場所に神社や寺院があるのはよくある話しです。
もう少し安倍氏の拠点を探します。見つかったのは廃墟。あとはきれいな住宅地です。
列車が通ります。
さて帰ります。国道46号は今度は市内からイオンに向かう渋滞がはじまっています。大体2キロの渋滞です。
今回は解りにくいと思います。ただ歩いて迷うとけっこう面白い土地です。地面が面白いのです。
安倍館からこの辺りまで、小川が流れています。
天昌寺の脇には沢の谷があります。仙台の青葉城ほどではないのですが、かなり歩兵主体の古代では厄介な土地だったのかと思います。
今現在その名残は見えません。でも道に迷うと、古代が見えるかもしれません。アスファルトで覆われていますが、足で感じると楽しい土地です。
さて前九年の役の古戦場の一つ、諸葛川です。前九年の役は実際12年に渡る戦争でした。ただ盛岡近辺は安倍氏の本拠地だったので決戦の場でした。壮絶な戦いだったようです。この川も死体がゴミのように流れていたと言われています。ただこの伝承は少しおかしいような気もします。当時は万単位での戦争ではないのですから。
ただ、源氏が皆殺しをした可能性はあります。
国道46号にきて体勢立て直しです。イオンモールでの渋滞がひどくなってきています。
チロっと。生きる事と車は関係ないはずなのだが。必要を考えるべきなのだが。
壮絶に迷って、稲荷町に重要な神社があったと思い直して向かいます。実は今回安倍館から歩いているこの地帯ですが、安倍氏本拠地でもあります。平安時代にはどうだったかと言えば、縄文時代に海だった地帯が干上がって湿地帯であったようです。そのうえ戦後まで北上川と雫石川の氾濫原だったので平安時代にはかなりの湿地帯だったと思われます。
湿地帯の中に岬という感じで突き出していたのがこの神社のようです。この地を押さえたのが源氏の勝利に繋がるようです。現在住宅地で見えませんが、きっと敵見が森や安倍館が見わたせれる位置でしょう。
雫石川の氾濫原を大きく迂回して諸葛川の激戦をへてこの地に来た源氏の執念は凄まじいです。そしてここしか無いのでしょうが、川を挟んだ危険な陣地でもあったと思います。
神社の脇は、線路をくぐって下に道路があります。水没しないのかな?
住宅街のど真ん中に田んぼがあります。郊外なので気にしないです。
この辺りに田んぼがあるのは用水の関係なのですが、用水が残っているのではなく、古代から用水があったのだろうと。この辺りを迷っているうちに、以外と古代の形を残しているかもしれないと思い始めました。
ミニ公園です。近いうちに使えないミニ公園がどうしてあるのか市役所に聞かなければ行けません。
ミニと言っていたらプチ公園と言い切ってます。できればプティと書いてもらいたい。よりいっそう意味が楽しくなる。この自虐的な感覚は好きだ。奥にある建物は教会。盛岡はキリスト者が多いようです。
ようやくたどり着きました。大館の縄文遺跡です。大型建築物は無さそうですが、大集落の跡です。
縄文時代にはここが岬のように、出ていたようです。
実はこの縄文遺跡が丘になっていて。先の稲荷が見えにくかったのかもしれない。10メータくらい高い位置だが影響はあるはず。
さてまた迷いました。ただ国道に戻れるので安心して迷います。そこに農地が。その看板ですが、どうしてそこを自腹で開発して、農地をよそに移転しないのか解りません。完全2車線の一等地で農業をする事が間違っています。
こだわるポイントは解りますが、先祖代々の土地を守る事と、農業を続ける事は分けて考えるべきです。
盛岡舞台。老舗の照明・音響屋さんです。私もそうですが、華やかな舞台を支えている人たちがどうして貧乏なのでしょうか。よくわかりません。
このエリアですがやっぱり川が多いです。ここでは左に謎の橋があるのですが避難用でしょうか。
蛇行した小さい川と南側の湿地帯があるので、中世の軍事拠点だったのでしょう。弓と石つぶてと刃物の時代の肉弾戦ではちょっと厄介な土地のようです。
国道46号に戻って天昌寺町に向かいます。写真だと解りにくいのですが、急に下がってゆきます。
天昌寺です。ここが安倍氏の居城だったらしいです。湿地帯から出た、丘陵地の出端にある陣地は攻めにくかったでしょう。
JRと岩手銀河鉄道の車両基地があります。
わびしくもあり、人の力も感じたりするよくわからないスポットです。あまり鉄道ファンを見かけないのも不思議です。
でもなんかすべてが終着駅、みたいなニュアンスがある。ここですべてが止まる。そんな空気が漂っています。
空手の道場が。なぜか思ったのですが、ここだけ神奈川の川崎なのかもしれません。ポッカリした空気があります。
意味不明だと思うのですが、戦い続けるためには何かこう行った場所が必要なのでしょう。古戦場ですし。
安倍氏の居城がどんな位置なのか説明するための写真をどうするのかが、問題。解り安いのは10メートルのコンクリートの壁。湿地帯との崖だったんです。でもそれでは当時になかったと言われるので曖昧な所を撮影。
盛岡でも有数の古刹、天昌寺。平安期からあるようですが、焼失したりして今日にあります。
先の稲荷町の神社もそうですが、戦略的な場所に神社や寺院があるのはよくある話しです。
もう少し安倍氏の拠点を探します。見つかったのは廃墟。あとはきれいな住宅地です。
列車が通ります。
さて帰ります。国道46号は今度は市内からイオンに向かう渋滞がはじまっています。大体2キロの渋滞です。
今回は解りにくいと思います。ただ歩いて迷うとけっこう面白い土地です。地面が面白いのです。
安倍館からこの辺りまで、小川が流れています。
天昌寺の脇には沢の谷があります。仙台の青葉城ほどではないのですが、かなり歩兵主体の古代では厄介な土地だったのかと思います。
今現在その名残は見えません。でも道に迷うと、古代が見えるかもしれません。アスファルトで覆われていますが、足で感じると楽しい土地です。