どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

盛岡私的観光案内 安倍館前九年2

2011-10-08 15:50:29 | まち歩き
一の蔵邸が続きます。

Dsc_6845


安倍館でもこの近所に住んでいました。そのため近所をよく散策していたのですが、当時はこのあたり相当迷路でして、よくこの庭に出てしまったものです。
いまでも凄まじい荒れ方ですが、当時はこんなもんじゃなかった。もっとひどかった。


Dsc_6846


盛岡市がお金を出して一気に伐採したりして手を入れましたが、庭の復元にはほど遠く、開墾作業でした。現在では管理人が必至に手を入れてがんばっていますが、復元には至っていません。航空写真の左上に当時の庭が見えますがそれを見ただけでも今の状態のひどさが解ります。


Dsc_6847


実はこの庭、灯籠がとても少ないのが特徴です。この規模の庭園ではありえない事です。多分ですが、ここにあった茶室を学校に寄贈した時、石や灯籠もあわせて寄贈したのではないのかと考えています。


Dsc_6848


池が広大で3つの島があったようです。建設当時は水があったようです。裏側に小川があってそこから引き入れていたようです。ただ昭和23年の航空写真を見ても、水の量が少ないようです。なのでかなり前から水を張るのを止めていたようです。水漏れが多かったのでしょう。水利権の維持も大変だったでしょう。


Dsc_6849


多分ですが、この庭は60年以上手が入っていなかったのではないのかと思います。そのうち庭石や灯籠が散逸したのではないのかと思うのですが、どうでしょうか。回遊式庭園なのに、飛び石がほとんどないのは不思議な事です。家がこうして数寄屋なのに庭とのギャップが大きすぎます。もしかすると庭を完成させられなかった何かがあるのでしょうか。
扁額がとてもいいです。
しかし公開されてから20年経ちましたが、私が住んでいた時の感想では本当にもったいない建物でした。18歳から見てもすごい建物だったのですが、とにかく荒れ放題でした。お化け屋敷となっていました。それをよくここまで持ってきたと、管理人の努力に脱帽です。


Dsc_6850


茶室が移転したので井戸のみがその名残を残しています。茶室の位置は特定されていませんが、もしかするとここから30メートルほど奥だったようです。


Dsc_6851


3の島と2の島が見えます。昔は安倍館の遺跡と何か関係があるんじゃないかと思ったくらい、深い池です。


Dsc_6852


台所裏の井戸。物置も近くにあります。そういえば友人が昔あの物置に住んでいたと言っていた。とすれば使用人の家だったのかも。とにかく残っています。


Dsc_6853


風呂場を外側から見ます。屋根が気が利いた感じです。


Dsc_6854


門前です。今は広い駐車場があります。昔はここからにして鬼気迫るものがありました。今ではなかなかのスポットです。なお邸内では抹茶が飲めます。


Dsc_6855


さて安倍館の遺跡に向かいます。昔はこんな家が多かったのですが、新築の家が増えています。なにしろここはスーパーがちょっと遠いだけで、とても便利なとこです。あの湿気さえ無ければ最高の場所です。


Dsc_6856


安倍館の遺跡です。中世の城郭です。堀がかなりよく残っています。で面白いのはその城郭跡が住宅地な事。かなり昔からそのようです。


Dsc_6857


バス停と白石パンの建物。もしかすると工場だったかもしれません。


Dsc_6858


城趾本丸に向かいます。


Dsc_6859


安倍館八幡神社があります。


Dsc_6862


東側は北上川で、崖になっています。20メートルはありそうです。そして堀がとても深い。


Dsc_6863


神社の脇には公園があります。使われている気配がない。


Dsc_6864


立派な解説があります。


Dsc_6865


本丸の右となりに行きます。


Dsc_6869


堀の北上川向き。


Dsc_6870


道路の方です。


Dsc_6872


ここが3.11で崖崩れしたあたり。忠魂碑と安倍館神社があります。この城跡ですが、連郭式という横並びの作りです。こんなんでどうするんだと思われるでしょうが、中世の千人単位での戦闘だったらこんなものでしょう。


Dsc_6874


古い家から新築まで混在しています。


Dsc_6875


城跡の北端です。家の土台が気になります。


Dsc_6876


その北端で、なんで庭石がここにあるんだと不思議に思う。


Dsc_6877


中世の堀がはっきり残っているのは珍しいようです。


Dsc_6878


先ほどの一の蔵邸を作った阿部氏の墓所のようです。



Dsc_6879


安倍館の北端はこんな感じの坂になっています。


Dsc_6880


さて前九年に向かいます。とはいっても前九年のうち安倍館の遺跡に関わる部分です。この道から考えても、城趾のすぐ前も崖に近い所だったようです。


Dsc_6881


この辺りは農家が多かったようです。お屋敷もあります。


Dsc_6882


謎の駐車場。コレクションでしょうか。


Dsc_6883


ずっと下がってゆきますと小川があります。


Dsc_6885


もう少し行くと、もう一本あります。あの城趾ですが、ポコっと高い所にあって、正面に沢があったようです。緩い谷があったと思います。敵を発見しやすく、侵入が難しい場所なのが解ります。実は城趾としてはかなり広くて、ここから500メートル先の天昌寺までがおよその城趾です。


Dsc_6886


上ってゆくと、前九年の通りに出ます。実は安倍館と結ぶ道が一本しか無いのです。ここが住むには安倍館の欠点です。まあ旧4号が前なので問題は無いのですが。


Dsc_6887


農家ですね。


Dsc_6888


ここにも残ってます。


Dsc_6889


コルビジェ風のアパート。ウエットに見えるのは土地柄のせい。なんか流行っていたみたいで、何件かこんな感じのアパートを見かけます。


Dsc_6890


自然に帰ってゆく車。なんなんでしょうか。実は史跡なのですがここは。


Dsc_6891


その脇に、塚があります。敵見ガ森というのだそうです。前九年の役のころにはあったようですが、安倍館の遺跡とも関係しているのは確かでしょう。なぜか地名は狐が森だったと思います。


Dsc_6893


天文台のある新聞屋さんと、奥にはお菓子屋さんの工場。実は宮沢賢治で有名な、盛岡の光源社は初めはこの辺りにあったそうです。


Dsc_6894


脇に入ります。また農家発見。


Dsc_6895


コンクリートブロックむき出しの家。かっこいいです。


Dsc_6896


やはりとても便利な場所なので新築の家が多いです。でも空き地もあります。ネコジャラシがきれいです。


Dsc_6897


またしてもミニ公園発見。いったいどうなってるんでしょうか。そういえば仙北町で幅2間奥行き5間程度の売り地があったなー。通りに面していたけど不可解な物件だった。ああいった土地がこういった公園になるのでしょうか。



Dsc_6898


さてぐるっと回って戻ってきました。次は前九年と天昌寺と大館町か。エリアが広すぎるな~。でもこの広いエリアでないと、安倍館城趾と前九年の役の廚川の柵が説明出来ない。
自分でも思うが、この企画長過ぎると考えているのにどうしよう。今回だって長すぎると思って、ちょっと説明のための写真を落っことしているし。まあおいおい考えてゆきます。


盛岡私的観光案内 安倍館前九年1

2011-10-08 14:15:41 | まち歩き
誰もが苦手な土地があると思う。私にとって安倍館がそうだ。
18歳で盛岡に来たのだが、半年間安倍館に住んだ。まあその時の下宿に迷惑をかけたと思っている。その事が苦手意識を起こさせている。それと、なんかとても湿度が高い感じがあった。わがままな18歳に取ってこのすべてが黴びてゆくような感じは耐えられなかった。
とはいっても二つの観光スポットと、盛岡の歴史を語る上でも欠かせない。


Dsc_6807


旧国道4号線館坂交差点(5叉路である)からはじめます。岩手大学生の間で有名な肉の小泉あつあつ弁当です。唐揚げ弁当が有名です。最近近くにラーメン屋が出来ました。


Dsc_6808


実はその向かいに、老舗のラーメン屋があります。実は店の名前はよく変わるのですが、看板のデザインからオーナーは同一と思われます。「宝介」「ちゃぐちゃぐ」「豪麺」と名前が変わってきました。最近館向に新しいラーメン屋が出来たので、このエリアには4軒ラーメン屋があります。


Dsc_6810


肉の小泉の近くにお菓子問屋があります。「おかしのイチロー君」が何ともいえません。


Dsc_6811


館坂といわれるだけあって坂が続きます。左の謎の旅館「左馬」ですが30年以上続いています。改装工事をしていました。


Dsc_6812


謎の雑居ビル。法律事務所があります。


Dsc_6813


ちょっと左脇に入ってみます。新築の家が多くなりました。ただ行き止まりの道が多くって、迷いやすい道です。


Tatemukaityou


ちょっとこの辺りから、館向町と西下台を見てみます。いい眺めです。


Photo


昭和23年の航空写真です。このあたりに整然と家が並んでいるのが解ります。


Dsc_6815


こんな家が並んでいたんですね。


Dsc_6814


さっきの雑居ビルの老舗。ワゴン車でラーメンの屋台もやっていた。一見閉めた店に見えるのだが、営業しています。


Dsc_6817


さて名所、一の蔵邸に向かいます。


Dsc_6818


明治40年に盛岡出身で貴族院議員・東京府知事を歴任した阿部浩が建てたもの。確か別邸です。盛岡に帰ってきたときに使った屋敷です。


Dsc_6827


玄関です。敷地面積2600坪、建物面積145坪の広大なお屋敷です。


Dsc_6819


すいません。いきなりトイレです。この辺りはさすがにかなり手を入れています。


Dsc_6820


いくつか天窓があります。ここも手が入っているように感じます。


Dsc_6822


客間は6つあります。これは東側の10畳間。ちょっと床の間の作りが不思議な事になっています。左は押し入れだったような?書院作りではないのが何ともいえません。


Dsc_6823


客間はぐるっと廊下が渡っています。これはそこにある流し。お茶会が開かれていたのでしょう。


Dsc_6825


これは西側の大広間。手前が10畳、奥が17畳半です。欄間がすごい。


Dsc_6826


こういった邸宅には必ず茶がつきものです。10畳の方に炉が切ってあります。


Dsc_6830


窓から庭を望みます。窓ガラスはいろいろあるようですが、明らかに明治時代のガラスが数多く残っています。建具が生き残っているのは実はすごい事です。


Dsc_6831


障子をあけた所の大広間。


Dsc_6833


小さな流しが多くあります。


Dsc_6834


実はこの邸宅ですが、生活していたスペースも公開しています。これはあまり無い事です。この建物は平成4年に盛岡市に譲渡されたのですが、その時点で人が住んでいなかった事。また生活スペースなので増改築が行われて、建築当時の面影が全く残っていなかったり、管理上大変なのと、歴史的に意味が無いと取り壊されたりします。その点、ほとんど建築当時に近い状態で残っているのはすごい事です。


Dsc_6837


風呂場やトイレもほとんど建築当時で残っています。これは洗面所。流しが銅で出来ています。


Dsc_6838


脱衣所。ゆとりがあります。


Dsc_6839


五右衛門風呂があります。小さいと思うでしょうが当時家付きの風呂は相当贅沢品。それにしても洗い場が広すぎる。洗濯もここでしたのでしょうか。木の風呂桶は、ガスに対応するため後代に使われたのでしょう。


Dsc_6840


全体数寄屋風に出来て、材料もすごいものばかり使っていますが、何か徹底していないところにこの建物の弱さがあります。これが建築史の上では軽く見られている原因です。正直な所別邸なのに実用バリバリといった所が、いかにも盛岡です。


Dsc_6841


台所前のいろり端。台所やお手伝いさんなどのスペースも残されています。そのあたりは公開されていないのですが、外観を見る限り改装はしていないようです。なお建物の割に台所が8畳程度しかありません。当時の習慣なのですが、お客を呼ぶ時は、仕出し屋や料理屋を呼んで客に振る舞います。なのでお客が多くても、暖め直し程度なので台所はそんなに広くないのが普通です。


Dsc_6842


生活スペースの8畳間です。ここの保存運動をしたのは確か市議会議員であった西郷さんなのですが、盛岡市はお金がないのでかなり渋ったようです。そこで奥さんがボランティアで管理人を請け負いました。ある意味第3セクター管理みたいなものです。なので管理人の趣味が強く出ています。様々な理由からこの建物は多元的な利用が求められて、公民館的な機能もつけられています。さっきからなんか飾り付けがすごい事になっていますが、丁度展示会があったようです。でもまあ一言、やり過ぎです。古い建築物好きには相当邪魔です。秋田・角館の青柳家にいった時のガッカリ感に通じます。


Dsc_6843


客間西側の廊下です。右上の10間通しの磨き杉や天井などにふんだんに秋田杉の良質なもののみが使われています。


Dsc_6844


外に出ます。物置も残っています。この点が貴重な所です。