西下台をもうちょっとと、材木町で前回行けなかった所を追加します。
西下台の紡績工場後に出来たマンションの前から。機械がモニュメントとして残っています。
左側が岩手大学農学部の農場です。この辺り日当り良好です。
駐車場脇の神社。個人宅の中にあったものでしょうか。昭和23年の航空写真からは見当たりません。
児童館があります。少子化でこういった設備はどうなってゆくのでしょうか。
その向かいに岩手大学・自啓寮と同袍寮があります。この二つの寮は戦前の高等農林と高等工業の伝統を引き継いでいますので、3月末から4月上旬にかけてストーム等新歓行事でメチャクチャうるさいのです。地域住民がよく我慢していると思います。
農家が何件かあります。
こちらの畑は立派。1000平方メートル耕作していれば、税制上農家でいられます。32メートル四方の土地ですからこんなもんでしょうか。
細い道が。奥に家があるようです。
左側に岩手大学農学部の取り付け道路があるのですが無視します。大正期の土木工事なので名所なのですが。
山田線の踏切です。梨木町側に向かいます。
道を行くと古い家が並んでいます。ここは昔から変わっていません。
田んぼだった名残で暗渠が入ってます。大学からダイソーに行く近道。
中央通りのドンつまりにある家。かなり目立ちます。
戦前からありそうな家です。
前回通れなかった道。山田線に列車が走っています。
さてここも材木町なのですが、北上川の護岸に降りる階段がついてます。何があるのでしょうか。
水が出ています。これを受ける升もあるのでなんか使っていたのでしょうか。
対岸の夕顔瀬町です。どうみても河川敷に半分家がかかっているようなのですが、大丈夫なのでしょうか。違法な感じがします。
降り口は二つあるのですが、この水はどう考えても飲用にはならないと思うのですが。昔この辺りで牛を飼っていたので、近所の子供たちもこの辺りでは泳がなかったといってますが、なぜあるのでしょうか。わざわざ作っている事から、何らかの理由があるのでしょう。
この辺りには古い大きなさいかちの樹があります。あの漆器を洗うときに使う大きな豆の莢の木です。って解るかな?
この長屋は戦前からあるみたいです。手入れがキッチリされています。
昔夕顔瀬橋が木造だったころ、この灯籠が橋の中程にあったそうです。木造の橋に大きな石灯籠、ちょっと無理があったみたいです。
鉄橋からコンクリート製の橋に変わった際、この灯籠を置く計画があったのですが重量オーバーで無理でした。多分共振を引き起こしかねないのでしょう。今あるのはレプリカ。奥に林が見えますが、中州に茂った木です。この中州は江戸時代に人工的に作ったもので、ここに木造の橋があったようです。
材木町の石垣を間近に見るための遊歩道があるのですが、どこかが陥没したため立ち入り禁止になってます。なおここの夕顔瀬の地名は、前九年の役のとき大混戦があり、人の頭がゴロゴロと夕顔の実のように転がっていたという伝説があります。瀬というのだから昔は川幅が広かったのかもしれません。
西下台の紡績工場後に出来たマンションの前から。機械がモニュメントとして残っています。
左側が岩手大学農学部の農場です。この辺り日当り良好です。
駐車場脇の神社。個人宅の中にあったものでしょうか。昭和23年の航空写真からは見当たりません。
児童館があります。少子化でこういった設備はどうなってゆくのでしょうか。
その向かいに岩手大学・自啓寮と同袍寮があります。この二つの寮は戦前の高等農林と高等工業の伝統を引き継いでいますので、3月末から4月上旬にかけてストーム等新歓行事でメチャクチャうるさいのです。地域住民がよく我慢していると思います。
農家が何件かあります。
こちらの畑は立派。1000平方メートル耕作していれば、税制上農家でいられます。32メートル四方の土地ですからこんなもんでしょうか。
細い道が。奥に家があるようです。
左側に岩手大学農学部の取り付け道路があるのですが無視します。大正期の土木工事なので名所なのですが。
山田線の踏切です。梨木町側に向かいます。
道を行くと古い家が並んでいます。ここは昔から変わっていません。
田んぼだった名残で暗渠が入ってます。大学からダイソーに行く近道。
中央通りのドンつまりにある家。かなり目立ちます。
戦前からありそうな家です。
前回通れなかった道。山田線に列車が走っています。
さてここも材木町なのですが、北上川の護岸に降りる階段がついてます。何があるのでしょうか。
水が出ています。これを受ける升もあるのでなんか使っていたのでしょうか。
対岸の夕顔瀬町です。どうみても河川敷に半分家がかかっているようなのですが、大丈夫なのでしょうか。違法な感じがします。
降り口は二つあるのですが、この水はどう考えても飲用にはならないと思うのですが。昔この辺りで牛を飼っていたので、近所の子供たちもこの辺りでは泳がなかったといってますが、なぜあるのでしょうか。わざわざ作っている事から、何らかの理由があるのでしょう。
この辺りには古い大きなさいかちの樹があります。あの漆器を洗うときに使う大きな豆の莢の木です。って解るかな?
この長屋は戦前からあるみたいです。手入れがキッチリされています。
昔夕顔瀬橋が木造だったころ、この灯籠が橋の中程にあったそうです。木造の橋に大きな石灯籠、ちょっと無理があったみたいです。
鉄橋からコンクリート製の橋に変わった際、この灯籠を置く計画があったのですが重量オーバーで無理でした。多分共振を引き起こしかねないのでしょう。今あるのはレプリカ。奥に林が見えますが、中州に茂った木です。この中州は江戸時代に人工的に作ったもので、ここに木造の橋があったようです。
材木町の石垣を間近に見るための遊歩道があるのですが、どこかが陥没したため立ち入り禁止になってます。なおここの夕顔瀬の地名は、前九年の役のとき大混戦があり、人の頭がゴロゴロと夕顔の実のように転がっていたという伝説があります。瀬というのだから昔は川幅が広かったのかもしれません。