尖閣諸島問題は、わりと素直に見えるがそうではない。
まず日本が測量し、だれも使っていない土地だと確認したのが1885年。そのあたりから韓国情勢が不安定になり、まあその理由は清と日本の朝鮮半島情勢なのですが、そこでまあロシアを朝鮮が引き入れようとしたりなんだり、中国も光緒帝がどうのこうのと言うより西太后がどうのこうのと、まずムチャクチャ。
ちょっとその前に琉球がどこに所属するのか、実は明治維新以降もめている。日本語が通じる国ではあったが、江戸時代に薩摩藩が王族支配を認めた上で、属国にした。それが明治維新以降そのダブルスタンダードが法的にもうまくいかなくなり、武力制圧をした。そんな流れがある。
琉球王朝が存在した時代は確かに中国との冊封体制ではあったが、王国であり中国のものではない。沖縄に独立運動が起きたとしても不思議ではないが、中国の領土というにはあまりにもおかしい。そういった考えが中国にあるようで、改めて書いた。
なお沖縄が独立するならば、日本は支援するだろう。ただしアメリカの新しい州としてだ。尖閣諸島も付けよう。実は以外とこういった考えもできる。
脱線が続くが、本当にこの極東アジアの近代史は複雑奇怪だ。多分間違いなく19世紀から20世紀までの歴史を学ぼうとすれば、確実に1年は必要だ。もの凄く複雑なのだ。単純化するのに無理がある。
尖閣諸島問題は、確かに日本の測量と領土確認が早かったとしても、タイミングが日清戦争終了に近い、1895年なのだ。日本がドサクサにまぎれて国際法に則って中国に無断で領有化した、という話しになる。中国ではそう考えているようだ。しかしだ明の時代に台湾ですら実質的に支配できず、清になっても中盤からなんとか支配できるようになったが反乱ばっかり起きる。その状態で尖閣諸島を中国のものだと言うのはどうかと思う。
ただ日本が正当な支配者かと言えば、実効支配はして来たが経緯に少し隙がある。
そして戦後だが1952年にサンフランシスコ講和条約が結ばれ日本は独立するのだが、この時ソ連と中国はこの条約を締結しなかった。まあ中国は中華民国と中華人民共和国に別れていたことで、アメリカとイギリスの意見が対立したのが原因なのだが。これが千島列島問題と尖閣諸島問題の遠因になっている。国境線の画定を両国が認めなかったと言えるだろう。
さてよく1969年の海底資源を求めて中国が尖閣諸島の領有権を言っていると言われるが、少し違うように思う。1972年の日中国交正常化直前の1971年、まず台湾が尖閣諸島問題を言い出した。そして沖縄返還、最後に中国が尖閣諸島を問題にし始めたのだ。日中国交正常化は電撃的だったと言われるが、それは米中間の話しでこれが成立した以上日本がこれに追随するのは時間の問題だった。そこで国防上の問題から台湾が先に言い出したと考えるのが正しいだろう。そして沖縄が実際に返還されると、アメリカは尖閣諸島は日本のものだと言うことで日本に返還された。台湾とアメリカの動きを見ていた中国が、ここで改めて問題提起したと考えるべきだ。
つまり資源と言うのも理由の一つだが、あくまでも軍事的な問題だ。当時も今も中台間は、安定している状態ではない。万が一を考え台湾が先に領有権を言い出した。確かに飛行場の作れない小さな島だが、レーダー基地なら作れるだろう。領海でもあるので自国の船舶がいても誰も文句は言えない。中国本土としては、あの重たい真珠の首飾りの一角が切れる事で、太平洋に出やすくなる。中台間にとっては重要な島なのは確かだ。
その意味では、三すくみ状態は以外と都合がいい。だが今中国・台湾・日本の巡視船が入り乱れる状況だ。危険な状態へと突入した。
竹島の問題も、ちょっと厄介だ。江戸初期に日本人が実効支配したが、元禄に朝鮮と問題が起き、渡航禁止になる。ここで朝鮮のものだと言う交渉が行われたようだ。そして明治10年に「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」とする太政官の指令が出る。で、日本はこの竹島は、鬱陵島としていたるする。日本は鬱陵島を松島と言っていたりする。
所がだ、ここははっきり解らないのだが日本も朝鮮も竹島の位置がよくわかっていないようで、地図が変なのだ。大体島の名前も違ったりするし、これが問題を大きくしている。
さて日本人は忘れっぽいので、忘れている人の方が多いと思うが、日清戦争の最大の被害者は朝鮮だ。戦争の主戦場になったからだ。とはいえ当時の朝鮮半島の支配階級は何を考えていたのか。日清露を引っ掻き回すように外交を続ければ、日清戦争ではなく清露戦争になった可能性もある。世界史の中でみるとああいう外交をして生き延びた国は無い。
とはいえ日本はその前から内政干渉をムチャクチャしているので、やはり日本が悪いのだろう。
朝鮮の事大党と開化党の争いに手を突っ込んでいたのは事実だ。それが日清戦争後、日本が清に朝鮮の独立を認めさせ、開化党の勝利に終わるように見えた。大韓帝国の設立だ。だが事実上の日本の保護国で、大韓帝国はここでロシアにまた接近しはじめた。また事大党と開化党がイロイロしはじめたのだ。
そんなこんなで日露戦争が起きて、これに勝った日本が大韓帝国の保護国である事を列強に認めさせて事実上の独立は無くなった。外交権を取り上げられたのだ。
その直前の1905年1月に日本が竹島の領有を宣言したのだ。ちょっとドサクサまぎれと言われても仕方が無い。ただ日露戦争終盤戦とはいえ、まだあらゆる事を考えなければいけなかった日本が少しでも前線を確保しようとしたのだろう。そして1910の日韓併合となる。
さてやっぱり出てくるサンフランシスコ講和条約だが、韓国は当時日本領だったと言う事で、オブザーバー出席もかなわなかった。更に条約草稿では日本の放棄する領土に竹島が入ったり入らなかったりして、最終稿は入らなかったのだ。最後にはアメリカから竹島が朝鮮のものだった事実は無いとまで言われた。これに怒った李承晩大統領が、ほぼ勝手に国境線を引いたのが竹島問題の本格化であった。
さて韓国のこの問題だが、実はもっと根が深い。これは明治以降の日本の内政干渉に起源がある。そして事大党と開化党の争いだ。保守主義である事大党には既得権益がある。いやありすぎたのだ。開化党にはそれが無いが、このままだと間違いなく国が滅びる。だから文明開化を受け入れて真に独立しようと考えていた。日本はその手本で手助けをしてくれると考えていた。だがその手助けを事大党は最も嫌っていた。東夷だろ?そして開化党に対しては日本はやりすぎた。これが朝鮮のプライドをズタズタにしたのは間違いが無い。従軍慰安婦の件もあるのだが、韓国の歴史観の中にこの「恨」があるのを忘れてはならない。
更に朝鮮の反日運動の中に、事大党の流れはあると思う。次に裏切られたと感じている開化党の流れもある。だが第2次大戦が終わって、反日運動の勝利になった。ここで開化党の流れは一切無かった事にされた。大韓帝国時代の、あまりものメチャクチャな外交に、朝鮮の中からも日韓併合論が出ていた事をすっかり忘れている。
まあそうゆうグチは止めよう。日本人の中にも実際そういった例はある。第2時世界大戦中に、アメリカの日系社会のリーダーたちが、あまりにも迫害が大きいので保護を当局に求めていたのだ。それがなぜか強制収容所になるのだ。所が強制収容所に入れられた大多数の日本人は、ウスウス気がついていただろうが、よくわからなかったようだ。それが戦後賠償の話しになる。とはいえこの件だが、アメリカは徹底しすぎたと思うぞ。渡りに船だったのだろうが財産没収はやりすぎた。多分収容所建設費として必要だったのだろうが、収支報告はするべきだったろう。
日本人はとっても忘れやすい。2004年まで韓国では日本語の歌が放送に載る事は無かった。テレビドラマの放映時間も未だ制限がある。文化侵略といって日本文化を制限して来たのだ。これは日本統治下で、日本文化、特に日本語を強要された反動でもあるが、民族自治を成し遂げたのに朝鮮戦争を経て民族文化をどう定義し直すのか、その作業が大きかったのは理解している。そこでかなり儒教に頼った文化になってしまった。これがだ、先祖の受けた苦難は忘れてはいけないと、儒教では当たり前なのだが、現実的でない事になってしまっている。
だがこの事が象徴するように、韓国はあまりにも民族自立を反日に求めすぎている。実際韓国の仮想敵国は北朝鮮だが、第2が日本であると言う事を忘れてはならない。
今後の展望だが、尖閣諸島はまた3すくみに戻るべきだろう。少なくとも台湾は今の状況の方が有利だ。国交はないが交流の盛んな2カ国だから、資源開発も台湾とするべきだと言うのが私の考えだ。
中国だが、実は厄介な言葉を出して来た。核心的利益だ。この言葉を使う場合と言えば、チベットとウイグルだ。確かに資源問題がある。だが資源と言うよりは軍事的に重要な場所に多く使う。チベットばインドとのため、ウイグルは核実験場だ。この言葉が出て来たと言う事に注意が必要だ。
歴史問題に起源がある問題だから、学者同士が時間をかけて交流続ければ解決できる事が多いだろう。だが一旦社会的認知になったものは容易に覆らない。例えば南京大虐殺がそうだ。当時軍事機密だった。なので日本国内にいた国民のほとんどが知らなかった。この衝撃があった・なかったの不毛な論争を続けさせている。これは国内で起きたトイツのユダヤ人迫害と根本的に異なる所だ。
ただほとんどの学者が南京大虐殺は認めている。問題を人数にするのは、私の本意ではないが、そこで揉めがちなのが残念な事だ。人数にこだわると言うのはこの象徴的な事件に対して、事件を相対化させる作用しかない。
日韓中そして台湾の歴史だが、近代でも相当ややこしい。これを古代まで広げたら大変な事になる。それでも話し続けなければいけないだろう。そのためには互いにこれ以上ややこしくならないような努力が、今まで以上に必要になる。
少なくとも日本が歩んで来た歴史と言うのは、今の中国にも韓国にも役に立つだろう。民族の誇りは大切だが、暴走した先には、何も無い。これが日本の歩んだ道だ。
PS
尖閣諸島問題で、韓国が独島については日本は国際裁判を口にするが、尖閣諸島については紛争は存在しないと、ダブルスタンダードで望んでいる、と指摘されている。それがこの前の国連総会で、紛争調停に活用するべきだと日本が発言したが、とんだやぶ蛇になりそうだ。
多分だが、尖閣諸島に対して日本が領有権紛争が無いと言い続けているのは、常任理事国に中国がいるからだろう。もちろん調停裁判所と安保理事会は連結していない。だが調停裁判の結果を安保理事会にあげて、中国が拒否権を出して無効にする事が出来るからなのではないのだろうか。勉強不足でよくわからないのだが、なんとなくそう思っている。
まず日本が測量し、だれも使っていない土地だと確認したのが1885年。そのあたりから韓国情勢が不安定になり、まあその理由は清と日本の朝鮮半島情勢なのですが、そこでまあロシアを朝鮮が引き入れようとしたりなんだり、中国も光緒帝がどうのこうのと言うより西太后がどうのこうのと、まずムチャクチャ。
ちょっとその前に琉球がどこに所属するのか、実は明治維新以降もめている。日本語が通じる国ではあったが、江戸時代に薩摩藩が王族支配を認めた上で、属国にした。それが明治維新以降そのダブルスタンダードが法的にもうまくいかなくなり、武力制圧をした。そんな流れがある。
琉球王朝が存在した時代は確かに中国との冊封体制ではあったが、王国であり中国のものではない。沖縄に独立運動が起きたとしても不思議ではないが、中国の領土というにはあまりにもおかしい。そういった考えが中国にあるようで、改めて書いた。
なお沖縄が独立するならば、日本は支援するだろう。ただしアメリカの新しい州としてだ。尖閣諸島も付けよう。実は以外とこういった考えもできる。
脱線が続くが、本当にこの極東アジアの近代史は複雑奇怪だ。多分間違いなく19世紀から20世紀までの歴史を学ぼうとすれば、確実に1年は必要だ。もの凄く複雑なのだ。単純化するのに無理がある。
尖閣諸島問題は、確かに日本の測量と領土確認が早かったとしても、タイミングが日清戦争終了に近い、1895年なのだ。日本がドサクサにまぎれて国際法に則って中国に無断で領有化した、という話しになる。中国ではそう考えているようだ。しかしだ明の時代に台湾ですら実質的に支配できず、清になっても中盤からなんとか支配できるようになったが反乱ばっかり起きる。その状態で尖閣諸島を中国のものだと言うのはどうかと思う。
ただ日本が正当な支配者かと言えば、実効支配はして来たが経緯に少し隙がある。
そして戦後だが1952年にサンフランシスコ講和条約が結ばれ日本は独立するのだが、この時ソ連と中国はこの条約を締結しなかった。まあ中国は中華民国と中華人民共和国に別れていたことで、アメリカとイギリスの意見が対立したのが原因なのだが。これが千島列島問題と尖閣諸島問題の遠因になっている。国境線の画定を両国が認めなかったと言えるだろう。
さてよく1969年の海底資源を求めて中国が尖閣諸島の領有権を言っていると言われるが、少し違うように思う。1972年の日中国交正常化直前の1971年、まず台湾が尖閣諸島問題を言い出した。そして沖縄返還、最後に中国が尖閣諸島を問題にし始めたのだ。日中国交正常化は電撃的だったと言われるが、それは米中間の話しでこれが成立した以上日本がこれに追随するのは時間の問題だった。そこで国防上の問題から台湾が先に言い出したと考えるのが正しいだろう。そして沖縄が実際に返還されると、アメリカは尖閣諸島は日本のものだと言うことで日本に返還された。台湾とアメリカの動きを見ていた中国が、ここで改めて問題提起したと考えるべきだ。
つまり資源と言うのも理由の一つだが、あくまでも軍事的な問題だ。当時も今も中台間は、安定している状態ではない。万が一を考え台湾が先に領有権を言い出した。確かに飛行場の作れない小さな島だが、レーダー基地なら作れるだろう。領海でもあるので自国の船舶がいても誰も文句は言えない。中国本土としては、あの重たい真珠の首飾りの一角が切れる事で、太平洋に出やすくなる。中台間にとっては重要な島なのは確かだ。
その意味では、三すくみ状態は以外と都合がいい。だが今中国・台湾・日本の巡視船が入り乱れる状況だ。危険な状態へと突入した。
竹島の問題も、ちょっと厄介だ。江戸初期に日本人が実効支配したが、元禄に朝鮮と問題が起き、渡航禁止になる。ここで朝鮮のものだと言う交渉が行われたようだ。そして明治10年に「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」とする太政官の指令が出る。で、日本はこの竹島は、鬱陵島としていたるする。日本は鬱陵島を松島と言っていたりする。
所がだ、ここははっきり解らないのだが日本も朝鮮も竹島の位置がよくわかっていないようで、地図が変なのだ。大体島の名前も違ったりするし、これが問題を大きくしている。
さて日本人は忘れっぽいので、忘れている人の方が多いと思うが、日清戦争の最大の被害者は朝鮮だ。戦争の主戦場になったからだ。とはいえ当時の朝鮮半島の支配階級は何を考えていたのか。日清露を引っ掻き回すように外交を続ければ、日清戦争ではなく清露戦争になった可能性もある。世界史の中でみるとああいう外交をして生き延びた国は無い。
とはいえ日本はその前から内政干渉をムチャクチャしているので、やはり日本が悪いのだろう。
朝鮮の事大党と開化党の争いに手を突っ込んでいたのは事実だ。それが日清戦争後、日本が清に朝鮮の独立を認めさせ、開化党の勝利に終わるように見えた。大韓帝国の設立だ。だが事実上の日本の保護国で、大韓帝国はここでロシアにまた接近しはじめた。また事大党と開化党がイロイロしはじめたのだ。
そんなこんなで日露戦争が起きて、これに勝った日本が大韓帝国の保護国である事を列強に認めさせて事実上の独立は無くなった。外交権を取り上げられたのだ。
その直前の1905年1月に日本が竹島の領有を宣言したのだ。ちょっとドサクサまぎれと言われても仕方が無い。ただ日露戦争終盤戦とはいえ、まだあらゆる事を考えなければいけなかった日本が少しでも前線を確保しようとしたのだろう。そして1910の日韓併合となる。
さてやっぱり出てくるサンフランシスコ講和条約だが、韓国は当時日本領だったと言う事で、オブザーバー出席もかなわなかった。更に条約草稿では日本の放棄する領土に竹島が入ったり入らなかったりして、最終稿は入らなかったのだ。最後にはアメリカから竹島が朝鮮のものだった事実は無いとまで言われた。これに怒った李承晩大統領が、ほぼ勝手に国境線を引いたのが竹島問題の本格化であった。
さて韓国のこの問題だが、実はもっと根が深い。これは明治以降の日本の内政干渉に起源がある。そして事大党と開化党の争いだ。保守主義である事大党には既得権益がある。いやありすぎたのだ。開化党にはそれが無いが、このままだと間違いなく国が滅びる。だから文明開化を受け入れて真に独立しようと考えていた。日本はその手本で手助けをしてくれると考えていた。だがその手助けを事大党は最も嫌っていた。東夷だろ?そして開化党に対しては日本はやりすぎた。これが朝鮮のプライドをズタズタにしたのは間違いが無い。従軍慰安婦の件もあるのだが、韓国の歴史観の中にこの「恨」があるのを忘れてはならない。
更に朝鮮の反日運動の中に、事大党の流れはあると思う。次に裏切られたと感じている開化党の流れもある。だが第2次大戦が終わって、反日運動の勝利になった。ここで開化党の流れは一切無かった事にされた。大韓帝国時代の、あまりものメチャクチャな外交に、朝鮮の中からも日韓併合論が出ていた事をすっかり忘れている。
まあそうゆうグチは止めよう。日本人の中にも実際そういった例はある。第2時世界大戦中に、アメリカの日系社会のリーダーたちが、あまりにも迫害が大きいので保護を当局に求めていたのだ。それがなぜか強制収容所になるのだ。所が強制収容所に入れられた大多数の日本人は、ウスウス気がついていただろうが、よくわからなかったようだ。それが戦後賠償の話しになる。とはいえこの件だが、アメリカは徹底しすぎたと思うぞ。渡りに船だったのだろうが財産没収はやりすぎた。多分収容所建設費として必要だったのだろうが、収支報告はするべきだったろう。
日本人はとっても忘れやすい。2004年まで韓国では日本語の歌が放送に載る事は無かった。テレビドラマの放映時間も未だ制限がある。文化侵略といって日本文化を制限して来たのだ。これは日本統治下で、日本文化、特に日本語を強要された反動でもあるが、民族自治を成し遂げたのに朝鮮戦争を経て民族文化をどう定義し直すのか、その作業が大きかったのは理解している。そこでかなり儒教に頼った文化になってしまった。これがだ、先祖の受けた苦難は忘れてはいけないと、儒教では当たり前なのだが、現実的でない事になってしまっている。
だがこの事が象徴するように、韓国はあまりにも民族自立を反日に求めすぎている。実際韓国の仮想敵国は北朝鮮だが、第2が日本であると言う事を忘れてはならない。
今後の展望だが、尖閣諸島はまた3すくみに戻るべきだろう。少なくとも台湾は今の状況の方が有利だ。国交はないが交流の盛んな2カ国だから、資源開発も台湾とするべきだと言うのが私の考えだ。
中国だが、実は厄介な言葉を出して来た。核心的利益だ。この言葉を使う場合と言えば、チベットとウイグルだ。確かに資源問題がある。だが資源と言うよりは軍事的に重要な場所に多く使う。チベットばインドとのため、ウイグルは核実験場だ。この言葉が出て来たと言う事に注意が必要だ。
歴史問題に起源がある問題だから、学者同士が時間をかけて交流続ければ解決できる事が多いだろう。だが一旦社会的認知になったものは容易に覆らない。例えば南京大虐殺がそうだ。当時軍事機密だった。なので日本国内にいた国民のほとんどが知らなかった。この衝撃があった・なかったの不毛な論争を続けさせている。これは国内で起きたトイツのユダヤ人迫害と根本的に異なる所だ。
ただほとんどの学者が南京大虐殺は認めている。問題を人数にするのは、私の本意ではないが、そこで揉めがちなのが残念な事だ。人数にこだわると言うのはこの象徴的な事件に対して、事件を相対化させる作用しかない。
日韓中そして台湾の歴史だが、近代でも相当ややこしい。これを古代まで広げたら大変な事になる。それでも話し続けなければいけないだろう。そのためには互いにこれ以上ややこしくならないような努力が、今まで以上に必要になる。
少なくとも日本が歩んで来た歴史と言うのは、今の中国にも韓国にも役に立つだろう。民族の誇りは大切だが、暴走した先には、何も無い。これが日本の歩んだ道だ。
PS
尖閣諸島問題で、韓国が独島については日本は国際裁判を口にするが、尖閣諸島については紛争は存在しないと、ダブルスタンダードで望んでいる、と指摘されている。それがこの前の国連総会で、紛争調停に活用するべきだと日本が発言したが、とんだやぶ蛇になりそうだ。
多分だが、尖閣諸島に対して日本が領有権紛争が無いと言い続けているのは、常任理事国に中国がいるからだろう。もちろん調停裁判所と安保理事会は連結していない。だが調停裁判の結果を安保理事会にあげて、中国が拒否権を出して無効にする事が出来るからなのではないのだろうか。勉強不足でよくわからないのだが、なんとなくそう思っている。