
ここしばらく寒い日が続いていましたが、今日の日中はマイナスにはならなさそう。穏やかな天気です。

2月22日は、猫の日だそうで、ニャーニャーニャ~だからなようです。設定は一般社団法人ペットフード協会です。オス猫が盛りはじめて壮絶な縄張り争いを繰り広げる季節ですから、妥当かもしれません。
それでは犬の日はといえば、1月11日ではなく11月1日だそうです。協会としてはイベントを行うのに隣接しすぎてはいけないと判断しているのでしょうか。これまたワン・ワン・ワンですね。10月1日はワン・オー・ワンの「101匹わんちゃん」の日でもありますから、こちらの方がいいでしょう。
とはいえ語呂合わせだったら、三月三日はミャーミャーで「子猫の日」とかも言えそうです。

さてそれでは岩大の猫を見に行きます。まずは農学部の猫から。相変わらずいません。ただアオキの薮の中に雪の小道があります。少したどってゆくと誰かが餌を与えているようです。どうも時間帯が悪いようです。

天気もいいので絶対いるだろうと思っていたら、いました。天信系の猫です。今日は6匹いました。

全部成猫です。餌不足で小柄なだけです。
とはいっても、昨年カラスにかなりやられていたと思われます。結果餌の分配が多くなって、これでも体格が良くなった方です。

前にも書いたと思うのですが、猫に若干アルレギーがありまして、その毛が鼻や喉なんかに入ったりしたら、風みたいな症状になります。ネコがスリスリやって来ると、ウレシイのですがその直後から不安になってきます。なでるのはかなり厳しい。毛が舞い上がりますから。タッチ程度でしょうか。出来るのは。
なので本質的に猫好きになれないのです。猫とは若干の距離を置いています。

雪解け水を飲んでいます。
あんまりいい景色ではないですね。サバンナの水飲み場の光景とどこが違うのか。むしろ人間に近い環境の方が危なさそうです。
さて、ナショナルジオグラフィックに猫に関する記事がありました。
ネコは野生動物の深刻な脅威、というおぞましいタイトルです。
だれもがウスウスは解っていて、盛岡では市街地に生息するリスの研究者と野鳥観察者が警告を出していましたが、こうして研究発表されてしまうと、どうしようとなります。
この研究は、鳥類と人為的な世界がどう関係するのかと言う視点で研究されています。単純にネコを弾圧するための物ではありません。猫は人間のペットとして紀元前からいますが、人類の増大と比例して増えているから、人為的と考えたのでしょう。
「最新研究によると、アメリカ本土では毎年、多くの鳥や哺乳類がネコに殺されているという。その数は鳥が14億~37億羽、哺乳類が69億~207億匹にのぼると推定される。」のだそうで、このうち3分の2が野良猫や迷い猫、三分の一が飼い猫であると言う事です。
実は今までここまで大きい被害はないと思われていたのです。三分の一以下だろうと。確かに日本とアメリカでは野良猫の立位置が違う訳で、日本の方が人から餌を貰える率は高いでしょう。被害は少ないかもしれません。
そして日本の自然感もあります。アメリカと違って絶対的な自然はそうそうない物です。例えば岩手県の北上山地は90%以上が2次林です。つまり人の手で変えられた山ばかりなのです。
こうした所から、人為的世界と自然界を分ける事が出来ないというのが日本人の世界観で、野良猫が本能に従って暮らすのも自然ですし、野鳥を捉えて食べる事があっても自然です。
ただカラスが子猫を食べるのも自然だと思うのですが。
ただ残念ながら、そういった自然感は本当の自然からすれば、まったくの人為行為なのです。

少し離れた所にもう一匹いました。あまり見かけた事がないように思うのですが。私の勘違いでしょうか。
迷い猫のような気もします。

天気は一転して雪雲が近づいています。
さて家の近所でも猫好きと猫嫌いが分かれています。私は猫は管理されるべきだと言う立場です。だが猫好きは管理はダメだ。猫の自然に反すると言います。猫は愛される存在であり、社会に慰しを与える。この効果を考えなければいけない。餌は十分であり野鳥などを捕獲する事はあり得ないし、信じている。
猫嫌いは、猫は反社会的な破壊活動を行い財産を毀損する。その上野鳥を捕獲する、と言います。その上で嫌猫権と言う物もあるはずだ。猫の姿は見たくもないし、その匂いすら嫌いだ。もちろんペットとして飼うのはいいが、放し飼いしている現状はおかしい。猫は憎むべき存在で自然に対しても有害だから、家から出してはいけない。これは当然だ。野良猫の増大はこういった野方図な飼育法にあるからだ。
どちらも正しいのですが、結局自分の好き嫌いだけを主張しているだけのようにも思えます。とはいえこの文面、私の猫に対する二面性の独白ですね。
猫は猫だ。猫を知ったつもりになっているのが、一番良くないと思う。