どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

オチョオチョ

2013-02-26 23:15:18 | インポート
居酒屋のママさんなのだが、以前PSYの「漢南スタイル」を教えた。するとお腹いっぱいでダメこれと言われた。見なけりゃ良かったと酷評を受けた。そしたらLINEのスタンプでPSYを使う常連が現れて、相当恨まれている。

「いつもあれが浮かぶのよ」

確かに「漢南スタイル」は毒に満ちあふれている。あの毒は刺激にもなり中毒にもなる。

なおその常連は確かに太っているが、PSYのようにではない。もっとポニョだ。顔はもっといい。完璧に小学生並のスタンプの使い方だ。

そこで反撃のように教えてもらったのが、オチョオチョだ。驚くほど毒がない。ここまでくれば解毒にすらならない。

ただこの曲、10年以上前のフィリピンのヒット曲らしい。中身は「ちびまる子」の主題歌よりもない。ただそれをプィリピンパブで歌う時に付けられた歌詞のようだ。「あれはあれ・これはこれ」とかもう日本語としては意味深すぎる。

なんかもう、日本とプィリピンってかなり近い。近いはずの韓国や中国の方が遠い。なんだろ、これ。


PS
オハイオ大学のマーチングバンドが「漢南スタイル」を演奏しているのだが、これがだ、音がいろいろ使えないマーチングバンドだから曲を解体しているのだが、そこになんとサムルノリが現れてくる。特にパーカッションのみの時に明快に現れる。2分14秒あたりに顕著に現れる。


盛岡の謎・解決

2013-02-26 21:55:26 | インポート
盛岡は周辺町村からかなり嫌われている。この理由がよくわからない。どの程度嫌われているかと言えば、都南村との合併にかかった時間や、矢巾町や滝沢村が合併を拒んでいる事実がある。滝沢村は近いうちに滝沢市になる。この柳村村長は、大昔に話しを聞いた事があったが、ニュアンスとして遅れている盛岡と合併するメリットはない、と言う物だった。実は都南村もそうで、遅れている盛岡市の住民サービスを問題にしていた。多分今でも旧都南村の方がゴミやなんやらサービスはいいはずだ。旧市内は20年前と変わっていない。

あと何か変だと思っていたものに、例えば上田三丁目に住んでいると言えば、人によってだが、太田地区とか周辺の人に多いのだが、急によそよそしくなる。
これは嘘だろう、そう思う人もいるだろう。問題は私がそもそもよそ者だからだ。このあたりは敏感になる。だから感じるだけなのかもしれない。

しかしだ、太田・桑島市長の連続6期の市政も問題だった。特に太田市長は都南村との合併を推進した人物だが、明らかに都南村を見下していた。これが原因で都南村と合併するのが難航していた。
確かこの頃だが、滝沢村村長選で柳村村長が誕生したのだが、この頃から盛岡市とは独立すると言いきっていた。またそれが滝沢村で受けていた。
何だろう。このニュアンス。

さて以前ウチの大家がサンサ踊りを見下していたと言う事を書いた。あれは近隣農民の門付芸で盛岡ではないと言い切って、見たいなら呼べばいいだけだというニュアンスが濃厚だった。

コメント欄で盛岡の歴史について語り合ったのがあった。udoさんのコメントで周辺農民が出入り禁止だったと言うのを読んで、それならいろいろ説明が可能だと思った。だが確証が持てない。南部業書なんて読み切れる物ではない。ましてや各当の通達なんか見つけられるかどうか。ましてや盛岡市の公式ホームページや博物館のページでは差が競れる物ではない。大体あるはずがない。

それでは簡単に日蓮宗の上人に聞いた。理由は簡単だ。盛岡市の寺を維持して来た家系であり、その歴史を把握している(出ないと檀家を把握出来ない)。武家とは宗派が少し外れているからだ。あっさりと答えが出た。


盛岡南部藩は、城下に関しては近隣農民が出入り禁止で、寺社ごとの通行手形がないと入れなかった。当家にもその文章が伝わっており、確認出来る。

本当にあっさりと解決出来た。
ちゃぐちゃぐ馬っ子は、あれは南部藩のお目こぼしのお祭りで博労の祭典だった。そして門付芸としてのさんさはお盆の頃に城下に入るのが許されたのだろう。


ただ、それが明治維新以降も意識に潜んでいた可能性はある。


風邪を引く

2013-02-26 18:42:18 | インポート
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25日です。なぜか岩手飯岡駅にいます。実は岩手県埋蔵文化センターに土偶を撮影に行きます。先日の怪しげな機材はこのために作っていました。


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岩手飯岡駅と言えば旧都南村の駅です。日本最大の村であった事もあります。その割には再開発で駅前が閑散としております。この10年間でこうなったようです。


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さて埋蔵文化センターでは、結局あの機材は使いませんでした。最初に通されたのは倉庫。ここで撮影をしろと言います。まあそれはそれでいいのですが、会議室ぐらい用意してもらいたかったです。
そうこうするうちに、写場に変更になりました。こういった機関では必ず撮影施設があるのですが、当然カメラマンがいる訳です。一日300点とか発掘された資料写真を撮影しています。
そういった場にカメラマンが2匹揃えばどうなるのかと言えば、つばぜり合いが始まります。このへん動物と同じです。とはいえかなりいい人で、アシスタントに回ってもらい、立たない土偶を文鎮などで器用に立たせてゆきます。本当にプロです。サクサクと作業が進んでゆきます。
まあ写場を私が一時的に占領しているのですから、さっさと終わらせたいのでしょう。とはいえ今回の撮影は資料用の撮影なので、なんでこんな撮影をするのかどうも不思議なようです。ライトをどうするのかとかいろいろ聞いてきます。資料用なので出来るだけ表現は避けて、一旦灯りが決まったら動かせないのですが。

資料撮影が終わって、フリー撮影タイムに突入すると、もう彼が暴走する事暴走する事。もういろいろ提案をしてきます。まあこちらも調子に乗って黒入れたりライトを動かしたりしていましたが。


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さて土偶の撮影です。実は土偶なのですが、所有権と管理権があります。この土偶の所有権はその土地の町にあるのですが、管理権が面倒くさいです。何に載せるとかそういった事がきめ細かく決められています。今回の土偶は国の重要文化財には指定されていないので、まだぬるいのですが、当ブログではボカしてごまかす事にしました。

この写真が暴走し続けた最終結果です。正直な所このイメージは使いにくいですね。おまけにスーパーワイドのレンズで撮影すると言う危険も侵しています。

なんか挑戦されたらやり返すしかないですよ。


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こう使うしかないのか。一応クライアントに提案しておくか。

とりあえず暴走っぷりを見てもらいたくて公開しました。


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帰りは仙北駅までタクシーでゆき、列車の時間が合わないので歩いて帰る事にします。

実はこの頃からなにかがおかしかった。まず雪かきの疲れが全然取れていない。おまけに撮影があまりにも簡単に進んだので、もの凄く拍子抜けしている。何かがカクっと外れた気がする。懸案事項の撮影だったのですが、4ヶ月も事務手続きが終わらずに、これって嫌われているんじゃないのかとか、全く信用されていないんじゃないのかと不安になっていました。それが現場ではヒョイヒョイと進むのですからもう分けが解りません。

歩いているうちに右膝が痛みだして、右手首が突然痛くなって、すぐに痛みが去ったり、イロイロ変化が起きています。


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まあそれでもテンション高いから良かったのですが、夜中12時過ぎに急に喉が痛くなりダウンです。一応微熱ですが、しんどいのは確かです。