どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

私と水泳

2013-08-17 16:43:00 | インポート
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最近改めて思ったのは、私はプールが好きだ、と言う事だ。泳ぐ事が好きだ。人よりは速くは泳げないが、身体の周りに流れる水流を感じるだけで気分がよくなる。屋外プールが最高だ。屋内プールは人をストイックにさせる。多分屋根がつまらないからだろ。

ちょっと抜きのあるスポーツが好きだ。例えばサイクリングは好きだ。ただ今の機材がどうしようもないので長距離は出来ないが、イザとなったら諦められる所が良い。諦めても帰るための労力はあるが、まあそれもそれ。
そもそも人と争うのが嫌いなようだ。イヤもっと違う。自分が一番出ないと見せつけられるのが嫌いなだけかもしれない。
後楽しみ方が人と違う。他人がどうであれ自分が楽しいのが正しくて、他人から迷惑がられなければ更に良い。


私と水泳は、極めて不幸な時代があった。小学校3年だと思うのだが、その頃かなり遠く、バスを乗り換えなければいけないほど、水泳教室に兄と通った時期があった。ヤクルトだね。たしか。時間の関係で兄とは別々な時間に通った。
で、学級会で吊るし上げにあったのですよ。「子供が一人でバスに乗るのはおかしい」。ハア?ってなもんです。一回目はガン無視。二回目はそれでは東京の小学生はどうなるの?オレ一人で弘前辺りはいけるぞ。大体バスの運行時間は決まっているから大丈夫だ。てな反論をしたのですが、もう凄まじいブーイング。

母は母で、それはガン無視決め込みなさいってなもんで、フォロー無し。
そこから涙ぐましい努力が続きました。バス停を常に変えるとか。帰りのバス停も変えました。しかしそこは小学生。変えてもせいぜい二つか一つ。あとバス運賃の問題がありました。回数券で通っていたので、100円券が余るとかそう言った事を気にしていたと思います。行動障害のパターンですね。

いやしかしですね、私の行動を偵察している奴が居る訳ですよ。2~3人からへたすりゃ5~6人で監視されていたと思う。最後にはそいつらに追っかけられながらバスに乗った。

万事休す。次の日の学級会で強烈な突き上げを食らって、退会届をだすハメに陥りました。

ただあんまりなので、自分で退会届を出しに、バスを乗り継いでゆきました。



思い出すだけでイヤな思い出です。彼らのために一応弁護しますが、青森は海で泳ぐのが正しい、と言う土地です。ましてや浪内です。合浦公園のすぐそばだろうとなります。泳ぐのは習うものではない、というのもあります。泳ぎ方は、平泳ぎが基本でクロールってナニソレと言う時代でもありました。実際後で苦労しました。
平泳ぎって、かなり難しいのです。

ところが、兄は許されたのです。5年生だから当たり前かもしれないが、ナニコレ?って本当に思っていました。私が嫌われていたのは確かとして、次男坊に対する差別もあったような気がします。

そこから変な行動をはじめます。夏になればとにかく一人で勤労青少年プールに泳ぎに行きます。もちろん歩いてゆきます。3キロは離れていたでしょうか。しかし誰も教えてはくれませんし、いい人にも出会えませんでした。
実はクロールで息継ぎが出来るようになるのは、なんと16年後になります。ある程度は形にで来たので、中学校や高校・大学でもごまかす事が出来ましたが本質的には無呼吸です。それではどうも無理だと。

中学校は海で泳いでいました。リベンジとばかりに水泳部も考えたのですが、気温20度以下水温不明のプールで、片目義眼の竹刀を持った監督が居る訳で、これはもう楽しくない。これはダメです。

実はリトルリーグに誘われ、一度練習に行ったのですが、監督がシートノックをして私が捕るのですが、あのこれをいったらおしまいと思うのですが、シートノックって楽しい事をしていて、私に球拾いをさせている、と考えたのですね。一日で止めました。そもそも野球に練習があるとは考えた事もなかったです。

実は野球には興味がありません。特に高校野球に興味がありません。それでも理解出来るのは中学校の時応援団だったから。でも二回戦や3回戦で負ける学校の応援団て、結構辛い。彼らが負けた理由はよく知っているが、一部から応援団が悪いと言われる訳で。
ただ応援団の仲間とリヤカーを引きながら片道8キロとか歩いたのは、懐かしい思い出です。先輩は途中で居なくなるので、特に楽しかったです。

最近大学野球を見ていて、結構面白いと変わって来ています。なんJの嘘つきっぷりが更に楽しいです。実はこのネタ、かなりの人が引っかかっています。フジだけではないはずです。

高校・大学はサイクリングですね。かなり過激なサイクリングでした。

さて水泳。27歳の時に近所のプールが激安なのを発見。また泳ぎはじめたのですが、今度はダイエットです。まあそれでもあんまり熱心ではなかったのですが、多少はうまくなりたい。しかし全然うまくなりません。水中ウオーキングが中心で。たまに泳ぐと言った具合で、ダイエットは誤差程度の効果しかなかったですね。
それが30歳の頃、ギックリ腰を起こしてしまいました。そちらはマッサージで何とかなるとして、ダイエットが差し迫った問題になりました。本格的に水泳になるのですが、今度は距離を泳がないといけないとはっきりしています。出来れば1時間半で着替え含めて2000メートルという目標があります。
しかしやっぱりだめですね。ある時ボーっと浮かんで、頭を上下すると、それだけで前に進む事が出来るのに気がつきました。角度のゆるいドルフィンになるのです。あとはちょっと工夫をするだけ。ドル平になりますね。他にもイロイロやって見ましたが、ようは浮かぶのを邪魔しなければ前に進むという事です。それでは私のクロールはどうだったかと言えば、イロイロ無駄が多かったと言うのが解ります。

後はすこしづつムダを削れば良いだけですなんと1カ月後には目標をクリアー出来るようになりました。1時間半はさすがにそこから二ヶ月かかりました。
しかしですねある一定以上泳げるようになると、サーフパンツとかのヒラヒラした水着って水流で腰を引っ張るのです。これでは泳ぐのが腰痛の原因となります。目標もはっきりしていたのでここは気合いを入れてビキニにしてしまいます。理由は簡単。一番腰への負担がないからです。あと絶対ダイエット成功させるためでもある。もう追い込むのだか食い込むのだか解りませんが、これでへたくそだったら恥です。

ちなみにこの時、自分の尻の形が悪い事に気がつきました。ハイ、とっても。自転車乗りすぎていました。

大体年間120日、1回2000メートルから3000メートルは泳いでいましたね。夏は屋外でほぼ毎日、5000とか休み休み、本を読んだりしながら過ごしていました。この休んでいる間、秋の仕事をどうするのか考えると言うのが楽しかったです。
結構この解放された状態と、身体が程よく疲れている状態ってインスピレーションがわくのですよ。イヤな事は泳いでごまかして、休んでいる最中は前向きな事ばかりを考えられるのは良い所でした。
ダイエットは-11キロ。成功ですね。

これが37歳の時、近所のプールが閉鎖して一気に崩れてしまうのです。その時イロイロありまして、なんか気分が悪かったと言うのもあります。39歳までは年間4万キロ程度、あとはどんどん減ってゆき、ここ3年は全く泳いでいませんでした。

まあそれが突然泳いでみたら、気分のいい事。おまけにフォームの修正まではじめてしまいました。この10年間でねじれるようになっているのに気がつきました。相当左右の筋力バランスがおかしくなっていたようです。だがどうなるのだろうか。秋まではチョロチョロ泳ぎに行けると思いますが、冬はキビシイですね、プールが遠すぎます。