どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

カジュアルと言うわからない言葉

2013-08-24 03:36:58 | インポート
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カジュアルと言う言葉がある。意味は形式張らない、と言う事だ。楽な・軽い?気楽なと言う意味合いもある。

しかしだ、カジュアル・ダイニングとかカジュアルなポップとかと言う言い回しになると、とたんに意味不明になる。頭痛が痛いみたいな事になる。そこでここではオサレという言い回しになるのだろう。
カジュアル・フラワーと言う花屋の業界用語もある。これは、普段使いの花と言う意味で、花の丈が短く、規格が少し低いという意味になる。スーパーの切り花がこれに当たる。冠婚葬祭の盛り花や、いけ花などでは60センチの丈が必要だが、フラワーアレンジメントではカジュアルフラワーで良い。ましてやご家庭の一輪挿しでは、カジュアルで良い。

思いつくカジュアルはこんな所だが、ファッションになると範囲が更に広がる。
シマムラがカジュアルファッションを標榜している。盛岡のミカワヤも店舗によってはカジュアルファッションといっている。多分岩手県藤沢町大籠の堂前商店もきっとカジュアルファッションなのだろう。
当然、ユニクロ・GAPもカジュアルファッションだ。DCブランドの多くは当然カジュアルだ。服ではないがフェラガモのあのお高いミュールは、カジュアルに分類されている。ニューヨーカーとかのビジネスブランドもジャケットなどは当然カジュアルだし、バーバリーのレーベルシリーズはカジュアルだろう。価格帯の差も大きいのがカジュアルだ。

カジュアルと言う言葉はどこからどこまでがカジュアルなのかよくわからない。ラグジュアリーと言う言葉は、形式張らないがゴージャスと言う意味ではじまったのだろう。


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日本の習慣で考えれば、カジュアルに相当する日本語はそうないのではないのだろうか。

江戸時代だと正装(ランクあり)、盛装(場所による)、略装(あったはずだ)、普段着、野良着のランクであったと思う。略装についてあったはずだと書いたのは、多分羽織袴が略装だったからだ。正装と言うのは、その地位に置ける服装で、儀式によって形式が変わったからだ。その中で正装の盛装とか、正装の略装とか、略装の盛装と言うものがあっただろう。
今私の念頭にあるのは、武士の服装なのだが、女性だったら今でも間違いなくこの分類は解るだろう。

問題は、江戸時代や明治期まで和服を来ていた人たちは、生地を使い回ししていたと言う事だ。どうゆう事かと言えば和服はそんなに洗濯出来ない。洗濯するときは縫い目をすべてほぐして生地を一枚一枚手洗いして、洗い張りしていた。竹ひごに生地を付けて張って乾かすのだ。だからしょっちゅう裁縫をしなければいけない。
縫い直して使い直すのが、極当たり前となっていた前提だった。

生地にもランクがあった。絹は普段着には使えない事になっていた。だが絹でも紬は良い生地ではないのでお目こぼしがあった。裏地に使う事も出来る。豪華な打ち掛けなどは、小物に変わってゆく。あとは棉・毛・麻・絽であろうか。当然織りでも生地のランクは違う。ちりめんのように縦糸と横糸の違いでシワが出来る生地もある。それぞれの生地を、使い回して普段着にしたり野良着にしたりと変化してゆくのが当然だった時代がある。

実はこれはそんなに古い話しではない。私の記憶にある限り70年代まではそうだった。もちろん和服は廃れているが、洋装でもそうだった。一家に一台ミシンがあった時代だ。お母さんのワンピは手直しして娘にとか、お父さんのスーツをほぐして、入学式のスーツに仕立て直すと言うのがあった。最近これが脚光を浴びているが、昔は当たり前だった。さすがにスーツし立て直しはプロに任せるしかなかった。女性でも、正装となるとそんなにものがなかった時代だ。生地をえらんで仕立てると言うのは割と良くあったと思う。
男も女もそうだったと思うが、正装が特に厄介だったと記憶している。スーツの正装の既製品がかなり少なくて、オーダーにならざるを得ない時代があった。特に女性が結婚式に呼ばれて着る服が、相当厄介だったと記憶している。同じ職場で寿退職する後輩がいっぱいいた、おばの場合が特にそうだ。正装の盛装、なので1年に一回オーダー、手直し、アクセサリーの変更、へたすりゃオーダーが二回三回となる。昔は安く作れたかもしれないが、それでも結構大変だった。型が合うどうしの貸し借りもあったと記憶している。
今でもかぶらないようにすると言うのがあるが、当時だとかなり厳しい。貸衣装も充実していなかったからだ。

なおバブル期の女性スーツの肩パッドの厚みだが、このオーダー時代の名残だと思っている。ガシッとした体型の人にはパッドが厚い方がゴージャスに見えるのは今も変わっていない。多分過渡期だから目立つのだろう。


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カジュアルと言う言葉を出さなくとも、カジュアルを目指したブランドがあった。VANだ。型をずらす方向でのカジュアルだ。その後のDCブランドもその方向にある。
ただその中で、ポパイだと思うがアメリカンファションを提案していたのだが、多分ここからよくわからない事になってる。カジュアルの範囲が広がったのだ。Tシャツ・ジーンズがファッションかどうかだ。このあたり喧々諤々だったと記憶している。

基本的に、オサレに着こなせればOKだったのだが、まあそうはいかない。だれだってモデルになれる訳ではない。

既製服が充実して来た時代でもある。着こなしがどう出来るのかが手探りの状態だった。失敗しない方法はあった。全部一つのブランドで統一すると言うやり方だ。当然Tシャツ・ジーンズ派からは批判を受ける。そう言った感じで、カジュアルは進んでいったと思う。

品が悪くなければいいよ、そういった具合になっていると思う。


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今のカジュアルと言う言葉には、安いという意味もある。格安感と言い換えた方が良いかもしれない。
だがファッションに関しては、少し違う感じがしている。

天然素材が遠くなって来たと言う事だ。確かにオーガニック・コットン(最高級の海島棉ではない。これには注意が必要だ。)の使用とかカシミアの使用とかはある。素材にこだわる方向はあるが、天然素材比率は下がっているように感じる。DCブランド等ではやはりこだわっているが、どうなのだろうか。

実は客がこだわらなくなったのが大きいと考えている。いや今でもいる事はいる。しかし和服時代の羽二重と平織りと、紬の種類にこだわる客がいなくなったのは間違いがない。もちろん和服の世界は今でもそうだ。だがこのニュアンスを手で解っているひとは少なくなっている。絽と紗とかになると相当難しいのではないのか。
平織りと綾織りの本質的な違いとかになると、単純な着心地だけになっているような気がする。


化繊の発展が更に押し上げている。高機能化繊もそうだが発色の良い化繊とかそちらの発展が大きい。次に大きいのは、天然素材はどうしても生産にむらがあると言う事だ。化繊はむらを押さえる事が出来る。しかもむかしのポリエステルのようなペラペラ感もない素材が出来ている。
むらと言ったが、縫製ではとんでもなく大きな話しだ。大量生産ではむらがないのが好ましい。だが意図的にむらを作っても寸法精度は確実な素材が出来たら?

技能がない工場に発注するためには?

カジュアルと言う言葉が、言い訳に使われていた時代は終り、更に進んだ製品に変わっている。だが各企業は最高の素材を使いたがっているが、大量生産を前提にすれば困難しかない。高級素材は生産が不安定だからこその高級であって、安定性に欠ける所がある。品質もバラツキがある。選別を厳密にすれば、やはり高価格になる。
そうなると寸法安定性の高い、化繊か化繊混紡となる。この流れは、大量生産がすすめば進むほど変わらなくなるだろう。

もうあるかもしれないが、次に来るのは安いラグジュアリーだ。だがかつてのような素材は使えるのだろうか。

パンツだけはなぜか高級素材が使われていたりする。見えないから発展性があるのかもしれない。

型があるからフォーマルであって、型を外したからカジュアルであって、普段着には型が無くてもおかしくなくて、だから和服に戻ると以外と見えてきそうな気がします。

とはいえ、遠くに来てしまったものです。


追記
午前7時修正しました。

カジュアルと名乗れる快適さには、実は統計もあったかもしれない。戦前から軍服のために身長や胸囲の統計を取っており、それにあわせて量産していたのだが、戦後ベビーブーマーが中学校以上に上がるに従って制服の需要と、そのデーターが積み上がって来たと思う。それが量産される服では大きな意味があったと思う。スーツも量産出来るようになり、更にイージーオーダーのシステム等でデーターが更に積み上がって来ている。
おおざっぱなで修正可能なパターンから、量産ながらオーダーに近いようなパターンが作れるようになって来ているのが今日なのではないのだろうか。