どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

近況・園井恵子イベントが終わって

2013-08-30 03:11:27 | インポート
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あそこからもう4日が経った訳で、ようやく写真の整理がつきました。合計1100カットくらいでしょうか。ブラウザーソフトがなぜか嫌いなので、一点一点フォトショで見ています。だから時間がかかるのですが、この程度だったらまあ半日でしょうか。そこまでいかないかもしれません。

気持ちの整理ですね。これが一番でした。


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仙台での会議では、毎年恒例お前は何をとっても同じに見える写真を撮ってくる、と怒られました。ここ4年ほどこの批判が凄いです。なので今年はあえて技術的なスタンスの話しをしたのですが、更に紛糾。なにいっているのか解らない?と更に怒られました。

いや写真を文学的な表現で語るのは、違うでしょ?それでいながら、絞りの話しとかカメラの高低とか語るのは、変でしょ?僕らプロでしょ?写真の差異すらも見抜けないのか?
ぐっと言葉を飲み込みつつ言えば言うほど、紛糾する毎年のパターン。

しかしだ、今年はスタンスを聞いて来てくれたからまだマシだった。

ただ、彼らは一言私が漏らした本音を聞き逃している。「十月に毎年スランプが起きる」そう言ったが、華麗にスルーされた。アチャーだったが仕方がない。せっかくネタ提供したのに。

私は学生がとっても怖いのだ。だから若者研究しているし、服装の流行は見ているし、ネタになるTシャツをあえて着たりしている。だが4月から7月の忙繁期だと勢いで何とかなるのだが、十月以降は本当に苦労している。

そこが問題なのだが、それでもなんとか安定して写真を撮っていると、どうして解ってくれないのだろうか。スランプも見せず(写真点数が減るので解るようだが)仕事をするって、意外と大変なのだが。

何を撮っても同じ、と言うのは写真の世界では褒め言葉なのだが。


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今回は自分で言うのもなんだが、本当にスタンスが一定だった。記録写真だからそうなのだが、スターだけを追っかけてゆくのも一つの方法だ。だが舞台としての写真と、圧倒的な岩手町民の参加がある。このバランスがとても難しかった。
なので、まんべんなく町民舞台は撮影し、スターはスターでどう撮影しようかとなります。スターと町民の絡みはもう大切。でも変な事に気がついた。



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魔法は写真に写らないと言う事だ。スターのオーラは凄まじい。写真にもそれは見えるが、魔法までは写らない。あのビームの瞬間は確実に撮影したが、多分その瞬間だとは誰もが思わないだろう。

魔法に私がバリアを張っていた訳ではない。だまされんぞ!みたいな気持ちはもう本番ではない。むしろ魔法にかかっていた。バックヤードを見ようがすれ違った瞬間のワーキャーを押さえながら、自分に理性があると確認しながらの撮影だった。ようやく落ち着いたが「またせたな」の台詞は、まだ私の中で有効に働いている。

写真に写らないものを発見した。私には写したふりすらも不可能なのかもしれない。

いやこの撮影の前に、宝塚の写真とか見たのですがスゲースゲーで、どうすんのコレ?みたいだったのですが、あの魔法は弱く写っている。専業のプロですら壮絶に難しいと思う。

舞台の魔法。本当に凄い。


さてJUNさんが、鳴海じゅんさんの顔に‘振り付け覚えていない’と書いているといってました。ハイそうでした。写真を検討したら、そうでした。ご贔屓筋の目が凄い事を改めて実感しました。ズッカ・ズッカは本当に予習でした。本物は違う。
私はまあ解っていると思いますが、久城彬さんが好きだったようです。ちょっと写真分量が多い。あとダンスのタイミングの基準が、久城彬さんだったと言うのもあります。
シカーシ、鳴海じゅんさんはいきなりダイナマイトスマイルを出すのですね。この破壊力が凄まじいです。

写真って、本当に限定的なのかと思いました。