どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

こりゃ疲れているわ

2016-04-20 01:00:42 | 日記

 

昨日はポコッと時間ができたので泳いだ。ただ自転車で行く元気がなかったのでバスで行く。信号でバスが止まっていると隣に牛を乗せた車が止まり、ウシと目が合ってしまった。

多分なのだが、田野畑から来た車なようなので、岩手大学の家畜病院で検査を受けてから出荷されるのだろう。南の方に向かっていった。

耳についたタグが現代っぽい。BSE事件以降、肉のトレーサビリティの徹底化のために付けられたタグだ。管理の行き届いた牧場では古くからあったが、今ではバーコードリーダーでも読める。最初は異様な感じがしたが、慣れると少しかわいく見える。

ただこの車に「産廃運搬車」と書かれていたのが気になった。まだ子供なので、産廃では無いだろうが、たまに産廃になる牛を運ぶことがあるのだろうか。

 

 

スイーツは別腹とも言うが、プールで2000メートル泳ぐのは別腕と言うか、むしろ疲れを分散化してくれて和らげてくれる。無理をし無い限りは、結構有効だ。だが900メートル泳いだあたりで違和感が出てきた。えらく腕が疲れているのだ。普段ならここで追い込みをかけてゆくのだが尋常では無い。

緩急織り交ぜながら和らげる方向で泳いでも、どんどんやる気がなくなってゆく。そうやる気がなくなるのだ。腕に力がはいらないのだ。入らない状態でダラダラと泳ぐようにして、なんとか2000泳いだ。

そう、カメラ持ちすぎて腕が疲れているのだ。

旧競馬場の駐車場を貫く道路ができた。これで喫茶「響」までの時間が、3分は早くなるだろう。響ではグリンカの曲などえらく通俗的なクラシックをかけてもらった。そして熱田さんとくだらない話ばかりをした。

少しは疲れが取れたようだ。

 

 

今日は「大三元の日」でした。何が大三元っていえば、仕事に使うレンズをF2.8のクソ重い高級ズームレンズ3本のみで動く日のことを自分でそう言っている。なぜF2.8のクソ重い高級ズームレンズ3本を大三元というかといえば、えらく高いからだ。だがその総重量も4キロ近く、カメラバックやらなんやらいれれば6キロになる重装備に成る。

なんでこれを出さなければいけないのかといえば、今日が今年の桜シーズンの初日だからだ。ベストはここから4日程度しかない。もうシャカリキに撮影しなければいけない。だからもう何も考えずにひたすら撮影するためには、この重装備しかないのだ。とにかく撮りまくるためには三脚やストロボなんかは省略した。でも6キロはなかなか堪えるものだ。

そのうち単玉の日でも作って、軽い装備で考え抜いたテクニックで仕事をする日を作らないといかんな。

 

 

とはいえ昼から曇ってきた。降水確率と60%は伊達ではない。そうするとやれることが一気に減ってくる。だから休もうかと思えば、今度はドンドコいろんなことが起きてガンガン撮影して行かなければいけなくなる。こういったことはこの時期にはよくあることだ。どんどんテンションだけが上がって行き体だけが取り残されてゆく。

 

 

昨日の強風で、岩手大学農学部植物園の松の木が倒れたようだ。演習林の職員がきて片付けていた。ただ被害甚大で、倒れた方向に桜の木とサワラの木がありそれもなぎ倒して、「山邊の松」の一部を押しつぶしてしまったのだ。

あまり注目されていないが、「山邊の松」というのは昔この辺りが南部藩氏の侍屋敷だった頃、山邊さんが殿様から頂いたゴヨウマツの盆栽を庭に植えて丁寧に仕立て上げたものだ。その土地を南部家一同が寄付をすることで岩手大学の前身「盛岡高等農林」が設置されたのだ。その歴史を担った松であり、最低でも樹齢200年の木でもある。ただこの20年くらい手入れが悪かったので何かなというところがあったのだが、この5年ほどかなり手を入れていい感じになっていたのだが、残念なことになってしまった。

岩手大学設置の際にも、実は岩手大学の土地は南部藩士の寄贈であったということで、東北大学編入反対運動が起きた。これは最終的にGHQの裁量で、東北大学に編入されなかったが、国立大学を一県一校という流れにつながる運動になった。

「山邊の松」というのは単なる古木ではない。手入れが悪い時期が長かったので名木でもない。だが歴史的な存在でもある。ややもすれば文科省からの通達だけで土地から切り離された存在になりがちな国立大学だが、この木の存在が土地と大学を歴史で繋ぎ止めていると考えている。大変象徴的な木なのだ。

そのせいか、この木の正面はなかなか見にくいようになっている。本当の価値をわかる人が少ない残念な木だ。

 

 

700カット以上撮影していた。さてどうしよう。

なぜか今年は余裕がないかと思っていたら、文科省が各大学に通達を出していたらしい。「大学の講義は15回で、そのうち最終試験は講義日に含まない」だそうな。つまり授業が1週間増えたわけだ。

年をとって疲れが溜まるというのはある。ただこうまた仕事が集中した理由は、これだったのかと納得している。写真を整理している暇がない。また1900カットまで溜まってしまった。いつ整理しようか…