1日雨だった。毎年桜の時期になると、晴れの日ばかりを願ってしまう。とにかくありとあらゆる角度や光線から桜を撮り続けるのだ。だが雨の日の桜とかになると突然に難しくなるし、そもそもそういった高度なお題は誰の気も引かない。なかなかに使いようがないのだ。曇ったら曇ったでやりようはあるのだが、発色の問題が出てくる。花に立体感がなくなるし色が悪い。やはり晴れた日の方が、花には合う。
今年の桜の時期には曇りの日はあったが、1日中雨というのはなかった。おかげで仕事がはかどったが、休めなかった。とは言っても咲いている最中に雨が降るのは、休んでいても精神上良くない。焦ってしまうのだ。休んだ分、次の日無理をしてしまう。あまりいいことではない。
桜が散って、写真の整理もかなり進んだ。今日は本当に休むことにする。
今日は昼まで寝ていようと思ったのだが、朝に目覚めてしまった。二度寝しようと思ったのだがどうもうまくいかずに、起きた。意思が弱いというのは逆の場合にもあるようだ。もしかすると人は逆の方に魅力を感じるのかもしれない。早起きしなければいけない時の2度寝は甘美で優しい。そういったことなのかもしれない。
泳ぎに行くことにする。だが昼前に腹が痛くなる。どうも大腸のようだ。これはなんなんだと思ってトイレに行くが出ない。まあ出るまで待とうホトトギス、ぼんやりと待つ。
ただ単に、いっぱいあったということのようだ。本当にいっぱいあった。腹を壊したわけではなかった。
気がついたら痔が治っていた。
1100メートル泳いだ。多少は力を込めて泳いだつもりだが、右手首が少し痛い。腱鞘炎を軽く再発させたようだ。まあ仕方がない。忙しすぎたのだ。ゴールデンウイークは手首に負担のかからない方向で過ごそう。
例年だとゴールデンウイークは、桜がダブっていてダラダラと仕事が続いていたが、今年はきっぱり休める。
松園はまだ桜が残っていた。だがコブシも咲いている。変な年もあるものだ。
九州の震災について考えている。だがまだ言葉が出てこない。
その状況でなのだが、「勝手なこと言うな」みたいな論調がネットにあるようだ。さらに何も書きようがなくなる。もちろん極端なことを言うつもりはないし、書くほどのものでもない。だが抑制的になるのは間違いがない。
その上、変なところにいる。東日本大震災の時には盛岡はかなり安全なところだった。多少建物にヒビが入った程度で、交通の問題とか程度で、それでいて被災者だった。今熊本での震災を、避けている自分がいる。
あの時のあの中途半端さが、今蘇っている。あの時も大混乱で、特にネットが凄まじかった。デマと流言の嵐、詐欺っぽい人達とか良く分からない心のケアとか今でも続いている。だから何かものすごく引いて見てしまうのだ。何をやっても何をしても何を言っても、彼らを利用していると思われてしまうのではないのか。そういったことが起きるのではないのか、そう考えてしまうのだ。
中途半端な被災者だから、何も言えないし何もできない。その上こっちが終わっていないのにあっちを助けられないという考えに逃げてしまう。善意が悪意になるのも見てしまった。
ただ、私は熊本の震災をかなり羨ましく思っているのだ。これが書けない最大の理由だ。そこはそのうち言葉が見つかったら書こう。