どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

ひるがおがさいたよ

2016-06-10 00:59:50 | 日記

 

今日は1日曇で、午後から降った。気温は高くはないのだが、湿度があってなにか暑く感じる1日だった。

花暦では初夏ということになる。ひるがおはもう少し先の花のようだが、いたるところで咲き始めた。

 

 

花が小さく薄汚れたようなピンクで、葉っぱの形も妙に細長く気味の悪さがある。だから誰も愛してくれないのだろうが、多花性で開花時間が長い。極めて丈夫で病気も見当たらないし、多年草でもある。改良すれば園芸価値があるともうのだが、誰もしない。ドイツあたりがやっていそうな気もするが、多分別なやつを改良しているだろう。

 

 

薄いピンクから濃いピンクまで、実は色幅がある。

 

 

弟切草の花ですね。ピンクの花ばっかりなんで黄色を入れてみました。かっこうの泣き始める季節です。

ニューズウイークで冷泉彰彦氏が「伊勢志摩サミットの配偶者プログラムはとにかく最悪」という記事を書いている。冷泉氏は以前も08年の洞爺湖サミットや10年のAPECの配偶者プログラムを最悪と叩き切っています。なんで最悪なのかといえば、現在世界的に配偶者プログラムでは「社会貢献」を話し合う場なのが常識だ、ということです。なおここで配偶者プログラムという言葉を使っているのは、ドイツのメルケル首相が女性なので、配偶者としか言いようがないのです。

格差や難病などの問題、あるいは環境や資源の問題といった世界共通のテーマを選びながら、その土地で頑張っている人々を支援しつつ、人類共通のメッセージを発信するというのが「当たり前」なのです。」

今回はなぜそうなのかというのを説明しています。とにかく頭にきたのでしょうね。簡単に言えば、サミットなどの重要会議で配偶者が遊んでいたと見なされれば、それだけで政治失点になりかねないということのようです。今回の参加国は、ドイツとカナダ、EU議長の奥さんです。日本はホストなのでカウントしないと、参加国は半分以下で、イタリア・イギリス・フランス・アメリカは参加していません。確かに今微妙な政局にある国です。ドイツの場合は男なんでむしろ奥さんを際立たせる効果もありそうです。EUだと超越しすぎていて参加しやすかったのかもしれませんが、ヨーロッパ中でEU批判が吹き荒れている中でと考えれば、軽率だったかもしれません。カナダが一番安定していたと言える。

さらに観光地としての伊勢志摩のコマーシャルになるかといえば、各国ではプログラムの中身がなさすぎてニュースにならないと言います。逆に遊んでいたというニュースに仕立てやすい。だから逆に誰もニュースにしない。

 

 

冷泉氏の怒りが伝わってくる記事でしたが、そこで火に油を注いでみましょう。ダイヤモンドオンラインで、みわよしこ氏の記事「日本の貧困対策「周回遅れ」が伊勢志摩サミットで発覚」という記事があります。

大西さんは、「G7伊勢志摩サミット」に先立って開催された「市民の伊勢志摩サミット」(2016年5月23日・24日)に参加し、「持続可能な開発目標(SDGs)」分科会でスピーカーを務めた後、引き続き、伊勢志摩サミット期間中、各国からの記者のために開設された国際メディアセンター・NGOワーキングスペースにおいて、展示・企画などを行った。」

大西氏はNPO法人自立生活サポートセンター・もやい理事長で、生活困窮者支援を行っている。NGOワーキングスペースでは「ホームレスベット」という、ベットなんだけどホームレスの生活を再現した作品を展示していた。

「ファーストレディーの方々は、NGOワーキングスペースの近くまで来てくださいました。安倍昭恵さんが、カナダ首相夫人・イタリア首相夫人と一緒に来て、すぐ近くでおこなわれていたオリンピック・パラリンピックの啓発イベントにも参加していました。残念ながらNGOのワーキングスペースには立ち寄ってもらえず。」

とりあえずは、各国メディアからは好意的に受け止められたという。SPだらけで説明はできなかったというから、かなり近いところまで来ていたのだろう。



ただなんで日本では配偶者プログラムがおかしくなるのかはわかるような気がする。男女の役割分担の考え方が違う。男の仕事に女が首突っ込むなといったところだろうか。まあ天皇家は皇后が赤十字のトップになるという伝統はどうなのかと言いたくもなるが。メルケルの旦那はどうなんだということにもなる。

その次に、おもてなしの伝統が逆になっている。華やかに演出したいがためにこうなってしまったのだろう。外交の辛気臭い現場はできるだけ見せたくないのだ。

冷泉氏の意見に従えば、外務省は「逃げた」ということになるのだろう。日本は教育から始まって貧困対策から、誇れるものとは思っていないのかもしれない。正確に言えば昔の相互扶助の世界を前提にした福祉は充実しているが、それが崩壊したという前提では全くひどいものになりつつある。環境問題も和歌山が近いという問題がある。大地町があるからだ。格差の問題になると、それはないことになっている。

そして、日本にある問題はそれは個人の努力の問題であって、格差から全てを解決できるシステムはあるが、誰も使えない奥深くに隠している。

日本には問題はないのだ。素晴らしい。見なければいいだけなのだ。見せなければいいのだ。

北朝鮮とどこがどう違うのか?アジア的伝統でもある。

 

 

そんなこと、わかっている。

でも、見せないというのは誰に対して見せなかったということではない。国際的に無いということにしたということなのだ。

ここに国民はいない。

 

 

まあどうでもいいや。多分江戸時代から変わらん伝統なのだろう。この辺中国とあんまり変わらんと思う。マトモな日本にもあると思うぞ。