おととい夕方タヌキを見た。そして昨日もタヌキを見た。残念ながら今日は見なかった。ただおとといのはやけに細くて足が短かったのだアナグマじゃないのかと思っていた。野生動物に詳しい人に聞くと、「アナグマだったらおいしいからいいですね」と訳のわからない答えが返ってきた。「足がえらく短くてしっぽっが短く、胴がズングリしています。骨もかなり太いので、短い足が太くてさらに短く見えます」だそうだ。なのでおとといのはタヌキだったようだ。「ハクビシンもこの辺りまできていますし、アナグマだったら実験圃場への被害も考えられますねえ。でもタヌキですかねえ」。アナグマだったら捕獲する気満々だったようだ。
仕事のピークも明日で過ぎる。とはいえ足にきている。どうも荷物を抱えて歩きたくない。いや、すでに24ー70ミリF2.8なんて持ちたくない。カメラ単体と単玉だけでももう嫌な気がしてきている。階段は登りたくないし、坂道も嫌だ。
多分普通の50歳よりは丈夫だとは思うが、さすがに機材の重さで身長も縮むようだ。フと身長を測ったら2センチ縮んでいた。
参議院選挙が行われる。これでNHKFMの番組が変更になって、その特集になっていた。論点が錯綜して結果何が論点になるのかも不可解な選挙に成ってしまった。保守派は革新的な政策を打ちまくって、革新は逆に保守に回っている。この状況ではそもそも論点がない。その上良識の府と言われた参議院は、自民党政権の長さですっかり骨抜きになってしまった。この状況でどうすればいいのかはわからない。
ただどの政党も「安楽死法案」を出さない。これは是非出していただきたい。条件はベルギーなどと同じように、病状が重く他の医師からの診断でも回復は認められず、本人の苦痛が大きすぎる場合に認められるもの。そして「重度の痴呆で、セカンドオピニオピニオンから全てが回復を予想できなく、本人が健常だった時に希望した書面が存在し、看護している家族が同意している場合に限って、安楽死が行われる。尊厳死という言い方のほうがいいと思う。この場合は自殺ではなく、法的に自然死と同等とされる。生命保険等で多少の齟齬は出そうだが、生命保険はある一定期間加入していれば自殺でも保険は降りるので、基本的には問題がない。
なぜこんな極論を言うのかといえば、ニーズがあるからだ。多分ここは戦前と戦後の最大の違いだ。あまりにも多くの人が死んだ時代を、生き延びてきた負い目がある人たちは、生きなければいけない。そこの執着は大きい。だが戦後生まれは、ボケてまで生きていたくないという。自分が自分で無くなるほうが恐ろしい。避けられないのであれば、怯える前に人生をどう楽しむのかを考えたい。
とはいえ、なかなかうまくいかないのがこの法案だ。理由は簡単だ。人は簡単には死ねない。これは自分で体験した。足を骨折したらその場で自殺するとずっと考えていた。足のない私は考えられない。だが、骨折した時にした行動は全て真逆だった。そして車椅子だろうが仕事をするということができると証明してしまった。
危機に対して人はできることは全てやるのだ。だからぼけた人が以前に言ったことでその条件が全て揃っても、死を受け入れるのは相当の根性がいるのだ。で、その根性は大体の人は持っていないし、持てない。だからこんな法案はできるわけもない。だが誰かが言うべきだろう。政治家が言うべきだろう。政治家で言ってちょっとでも共感を得られれば、多分それだけで大成功だ。ニーズはこれから増大するからだ。
そして現在日本の既存の宗教基盤が崩壊しつつある。それでいて新興宗教がのし上がっているわけではない。
まあニーズがあるのにこれすらも議論できない。それでは憲法9条なんて議論もまともにできない。そもそも自民党案の惨憺たるものと幸福実現党の超現実的な法案程度しかない。そんな連中に人生を委ねたくない。
もっと法的に「日本が嫌だから自殺します」法案なんてできないものかね。そんなバカバカしいことを真剣に考えている政党があれば、支持したい。
赤城乳業のガツっとぶどうだったと思うが、食べた。赤城乳業は主力商品の「ガリガリ君」の値上げをした。当然販売数は落ちるだろう。だが製品のシェイプアップがすごい。とても美味しい。
こんな体験があれば、消費税が上がっても誰も文句は言わないのだよ。消費税が上がっても他が全く変わらなければ、何にも意味がないんだよ。
多分官僚がこれを一番わかっている。