今日は少し涼しかったが、午後に蒸してきて気分が悪かった。
そこに劇団よしこから電話があった。「くるくる哀歌」の撮影依頼だ。ヒャホーだ。だが同時に悲しいお知らせでもあった。この公演以降、活動を無期限で休止するという。ついにきたかというのが本音だ。社会人演劇は、その登場人物の人生模様で変化してゆく。それを今までものすごい努力で、高度に維持し続けたのだ。だが変化に耐えられる個人はいない。それがついにきたということなのだろう。
無期限休止なので、いつかは再開するかもしれない。だがそれはいつかはわからない。だからこそ、今見ないといけない演劇なのは間違いない。
2016年7月22日(金)開演19:30、23日(土)開演19:00、24日(開演)14:00、会場は盛岡劇場タウンホールです。前売りチケットは1800円、当日2500円です。
確実な劇団の、確実な公演です。間違いなく外すことはないでしょう。その意味で格安チケットです。
アマゾンのオススメはなかなか理解しがたいものがある。ただ今過激なものを聞きたい、できればクラシックかバロックかで。そう思っていたらGiardino Armonicoのボックスセットが格安で出ていた。評価では過激な演奏だという。
ポチッた結果は、演奏は過激だが中身は保守的というものだ。つまりはイタリア人なのだ。もうどうしようもないくらいに、根っこが深い。どうしようもなくテクニシャンでどうしようもなく華やかでどうしようもなく歌いまくる。もちろん古楽器演奏だというのはある。技術的には難しい。だが彼らから見たら、たかだか300年前の技術だ。そうゆうことなのだろう。
真面目に思うが、オランダ人の方が革命的な解釈をしている。そこには土地それぞれの何かがあるのだろう。そう、ウート・ウーギのバイオリンのように。
昨年の山はブナのみが豊作で成体の死亡も少なく、出産率も高いとみなされているからだ。クマが増えて人と遭遇する率が上がっている。そこでツキノワグマ注意報が岩手県内に出た。秋田の4件の事件が特に響いている。殺人クマではないのかという問題だ。このため岩手県では大々的にクマ注意報を出したのだと思う。
今自然保護派に苦悩があると思っている。
以前は人による開発が原因で野生動物が減少していると考えられた。農産物の鳥獣被害もその文脈で捉えられていた。だが今では増えているのだ。理由は農家が減少し里山の手入れも少なくなり、逆に野生動物の生息域を広げた。人が作った便利な道路は動物にも便利で、生息域の拡大につながった。
それでは適度に間引きをしながら推移を見ましょうと思っても、今度は猟師が減った。高齢化だ。猟師が減るのと猟犬の減少も一致する。新たに猟師を増やそうとしても、法規制で時間がかかる。ここでは、野生動物を保護する法案がないとして、話をする。
一番の問題は、増えすぎた野生動物を利用しましょうと言っても、それを流通させる方法がないのだ。例えばジビエ料理という店があっても、個人からの素材購入か、数少ない業者からしか手に入らない。理由は肉の流通に関する法が、家畜を前提にしているからだ。家畜のと場に関しては各県で整備されているが、そこでの野生動物の持ち込みは基本的にできない。野生動物が何を持っているのかわからないからだ。それでは野生動物専用のと場が作れるかといえば、難しい。
なお野生動物に関してはトレーサビリティが理論上できない。できるけど、書面上ではもうどうしようもない。どこで生まれたかどうかすらもわからない動物は、そもそもなのだ。偽装の温床にもなる。トレーサビリティのない農産物の流通は基本的に認められていない。
私が猟銃免許を今とったとして、そこにかかるコストを無視したとして、哺乳類を取れる散弾銃の免許までは10年かかる。空気銃では苦しい。罠の免許は最初っから取れるが、それは見回りの時間がかなり必要だ。狩猟を専門にする人が欲しいところだが、流通が阻害している。と場は個人のものでしかない。個人契約できる名人以外のものはなかなかに外に出て行かない。
全くお金にならないのだ。だから後継者もいなくなるし猟犬もいなくなる。
増えた野生動物は食べればいい。これは真実だ。だが野生動物保護法がこれに制限をかけている。頭数制限がかけらていたりする。鹿やイノシシは群れごと一括で捕えなければ、拡大は防げない。
ここにもう一つの問題がある。ジビエとして流通させるためには程よい年齢のが必要だということだ。美味しい年齢と美味しい時期の野生動物でないと流通しない。ここにもう一つの問題がある。野生動物駆除には補助金が出る。だがその金額は使った玉のことを考えれば、足が出ることになる。そして夏場のクマとかになれば、もう価値がない。猟友会は義務的に出てくるが、こういったクマは焼却処分される。毛皮ですら価値がないものとみなされる。
野生動物保護の人たちからすれば、これほど厄介な問題はない。
今日は岩手大学落語研究会が初めておこなった寄席、つまり漫才のない演目ということだ。全部落語、だから寄席なのだ。ようやく落語研究会も落語になれたという瞬間でもある。以前も紹介したが、出演したのは超個性派の2年生のみだ。だから仕方がない。でもこれだけの個性だと楽しめた。
だがな、話は伝わっていないぞ。
ということで、イギリスの国民投票はEU離脱になった。知らんぞと言いたい。なおこのあたりの株式と為替変動に巻き込まれることはないので言い切る。
どうもイギリス、特にイングランド人はこの問題をサッカーと混同していないか?なんでドイツをそんなに敵視したのか。確かに移民問題ではドイツのメルケル首相のあの崇高な人道主義が影響はしていた。だが以外とドイツとイギリスは経済では協調路線だぞ。もちろん新自由主義に走るイギリスと、フランスの共和制との中間で動いていただけなのだが、ドイツ主導の硬直したEUという概念はどうも変なところがある。ドイツは硬直した国ではない。
いろいろ考えた。だがよくある報道の、いやCNNからニューズウイークからニューヨークタイムやフィナンシャルタイムズの無料版だとしても間違っていたことがあった。
あの国民投票は、サッカーだったのだ。多分その程度の意識でしかない。ドイツに勝てればいいのだ。フランスのことなんてすっかり忘れている。その程度のEUだったのだ。サッカーリーグとEUを完全に混同しているからこその、この結果だと思っている。
勝った後のことを考えているとは思えない。
それでは暗雲漂う参議院議員選挙だ。岩手選挙区は最悪だ。実はいい人がいる。だがその人は間違いなくいいからダメなのだ。いい人すぎるのだ。そして彼はラグビー閥だ。
参議院でなんでこの3回ラグビー閥を持ってくるのかね。いや彼は二度目の立候補だが、やっぱりもったいないから他行ってくださいとしか言いようがないのだ。2度目の挑戦は立派です。でも、でもだ。
私は森元首相を評価している。とても。だが彼がある意味落下傘であるのも間違いがなく、森さんの影響下にあると思えば、やっぱりダメなのだ。
ラグビーをやっている人や、そのOBたちも立派な人がとても多い。だが政治家として選ぶとなると少し違う。先輩の意見を聞かざるを得ない人には新しい道を作る可能性がない。そういった人である可能性がある限り、彼を国政に送り出したいとは全く思わない。
だが岩手選挙区は、今現在最悪なので、全員落選するという奇跡がない限りは、どうしようもなく彼が最高となる。
相対的で選びたくないものだ。