どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

何かがてんこ盛り、特に劇団よしこの無期限休止

2016-06-24 21:48:09 | 日記

 

今日は少し涼しかったが、午後に蒸してきて気分が悪かった。

そこに劇団よしこから電話があった。「くるくる哀歌」の撮影依頼だ。ヒャホーだ。だが同時に悲しいお知らせでもあった。この公演以降、活動を無期限で休止するという。ついにきたかというのが本音だ。社会人演劇は、その登場人物の人生模様で変化してゆく。それを今までものすごい努力で、高度に維持し続けたのだ。だが変化に耐えられる個人はいない。それがついにきたということなのだろう。

無期限休止なので、いつかは再開するかもしれない。だがそれはいつかはわからない。だからこそ、今見ないといけない演劇なのは間違いない。

2016年7月22日(金)開演19:30、23日(土)開演19:00、24日(開演)14:00、会場は盛岡劇場タウンホールです。前売りチケットは1800円、当日2500円です。

確実な劇団の、確実な公演です。間違いなく外すことはないでしょう。その意味で格安チケットです。

 

 

アマゾンのオススメはなかなか理解しがたいものがある。ただ今過激なものを聞きたい、できればクラシックかバロックかで。そう思っていたらGiardino Armonicoのボックスセットが格安で出ていた。評価では過激な演奏だという。

ポチッた結果は、演奏は過激だが中身は保守的というものだ。つまりはイタリア人なのだ。もうどうしようもないくらいに、根っこが深い。どうしようもなくテクニシャンでどうしようもなく華やかでどうしようもなく歌いまくる。もちろん古楽器演奏だというのはある。技術的には難しい。だが彼らから見たら、たかだか300年前の技術だ。そうゆうことなのだろう。

真面目に思うが、オランダ人の方が革命的な解釈をしている。そこには土地それぞれの何かがあるのだろう。そう、ウート・ウーギのバイオリンのように。

 

 

昨年の山はブナのみが豊作で成体の死亡も少なく、出産率も高いとみなされているからだ。クマが増えて人と遭遇する率が上がっている。そこでツキノワグマ注意報が岩手県内に出た。秋田の4件の事件が特に響いている。殺人クマではないのかという問題だ。このため岩手県では大々的にクマ注意報を出したのだと思う。

今自然保護派に苦悩があると思っている。

以前は人による開発が原因で野生動物が減少していると考えられた。農産物の鳥獣被害もその文脈で捉えられていた。だが今では増えているのだ。理由は農家が減少し里山の手入れも少なくなり、逆に野生動物の生息域を広げた。人が作った便利な道路は動物にも便利で、生息域の拡大につながった。

それでは適度に間引きをしながら推移を見ましょうと思っても、今度は猟師が減った。高齢化だ。猟師が減るのと猟犬の減少も一致する。新たに猟師を増やそうとしても、法規制で時間がかかる。ここでは、野生動物を保護する法案がないとして、話をする。

一番の問題は、増えすぎた野生動物を利用しましょうと言っても、それを流通させる方法がないのだ。例えばジビエ料理という店があっても、個人からの素材購入か、数少ない業者からしか手に入らない。理由は肉の流通に関する法が、家畜を前提にしているからだ。家畜のと場に関しては各県で整備されているが、そこでの野生動物の持ち込みは基本的にできない。野生動物が何を持っているのかわからないからだ。それでは野生動物専用のと場が作れるかといえば、難しい。

なお野生動物に関してはトレーサビリティが理論上できない。できるけど、書面上ではもうどうしようもない。どこで生まれたかどうかすらもわからない動物は、そもそもなのだ。偽装の温床にもなる。トレーサビリティのない農産物の流通は基本的に認められていない。

私が猟銃免許を今とったとして、そこにかかるコストを無視したとして、哺乳類を取れる散弾銃の免許までは10年かかる。空気銃では苦しい。罠の免許は最初っから取れるが、それは見回りの時間がかなり必要だ。狩猟を専門にする人が欲しいところだが、流通が阻害している。と場は個人のものでしかない。個人契約できる名人以外のものはなかなかに外に出て行かない。

全くお金にならないのだ。だから後継者もいなくなるし猟犬もいなくなる。

 

 

増えた野生動物は食べればいい。これは真実だ。だが野生動物保護法がこれに制限をかけている。頭数制限がかけらていたりする。鹿やイノシシは群れごと一括で捕えなければ、拡大は防げない。

ここにもう一つの問題がある。ジビエとして流通させるためには程よい年齢のが必要だということだ。美味しい年齢と美味しい時期の野生動物でないと流通しない。ここにもう一つの問題がある。野生動物駆除には補助金が出る。だがその金額は使った玉のことを考えれば、足が出ることになる。そして夏場のクマとかになれば、もう価値がない。猟友会は義務的に出てくるが、こういったクマは焼却処分される。毛皮ですら価値がないものとみなされる。

野生動物保護の人たちからすれば、これほど厄介な問題はない。

 

 

今日は岩手大学落語研究会が初めておこなった寄席、つまり漫才のない演目ということだ。全部落語、だから寄席なのだ。ようやく落語研究会も落語になれたという瞬間でもある。以前も紹介したが、出演したのは超個性派の2年生のみだ。だから仕方がない。でもこれだけの個性だと楽しめた。

だがな、話は伝わっていないぞ。

 

 

ということで、イギリスの国民投票はEU離脱になった。知らんぞと言いたい。なおこのあたりの株式と為替変動に巻き込まれることはないので言い切る。

どうもイギリス、特にイングランド人はこの問題をサッカーと混同していないか?なんでドイツをそんなに敵視したのか。確かに移民問題ではドイツのメルケル首相のあの崇高な人道主義が影響はしていた。だが以外とドイツとイギリスは経済では協調路線だぞ。もちろん新自由主義に走るイギリスと、フランスの共和制との中間で動いていただけなのだが、ドイツ主導の硬直したEUという概念はどうも変なところがある。ドイツは硬直した国ではない。

いろいろ考えた。だがよくある報道の、いやCNNからニューズウイークからニューヨークタイムやフィナンシャルタイムズの無料版だとしても間違っていたことがあった。

あの国民投票は、サッカーだったのだ。多分その程度の意識でしかない。ドイツに勝てればいいのだ。フランスのことなんてすっかり忘れている。その程度のEUだったのだ。サッカーリーグとEUを完全に混同しているからこその、この結果だと思っている。

勝った後のことを考えているとは思えない。

 

 

それでは暗雲漂う参議院議員選挙だ。岩手選挙区は最悪だ。実はいい人がいる。だがその人は間違いなくいいからダメなのだ。いい人すぎるのだ。そして彼はラグビー閥だ。

参議院でなんでこの3回ラグビー閥を持ってくるのかね。いや彼は二度目の立候補だが、やっぱりもったいないから他行ってくださいとしか言いようがないのだ。2度目の挑戦は立派です。でも、でもだ。

私は森元首相を評価している。とても。だが彼がある意味落下傘であるのも間違いがなく、森さんの影響下にあると思えば、やっぱりダメなのだ。

ラグビーをやっている人や、そのOBたちも立派な人がとても多い。だが政治家として選ぶとなると少し違う。先輩の意見を聞かざるを得ない人には新しい道を作る可能性がない。そういった人である可能性がある限り、彼を国政に送り出したいとは全く思わない。

だが岩手選挙区は、今現在最悪なので、全員落選するという奇跡がない限りは、どうしようもなく彼が最高となる。

相対的で選びたくないものだ。 


1日雨でした

2016-06-24 01:14:56 | 日記

 

1日雨だった。24時間で50.5ミリ降ったようだ。1時間最大13ミリ、10分間最大で4ミリの激しい雨もあった。大体これは3時半のあたりの記録だろう。この時はさすがに外の写真を撮る気力もなかった。

大粒の雨が降るのではなく、小さな雨が密集して降ってくる、そんなイメージだ。激しい雨音はしないが、密度が高いので一気に濡れてしまう、そういった雨だった。

今回気が付いたのだが、1時間当たり1ミリ以上の雨だと屋外で写真を撮るのが困難になるということだ。もちろん完全武装していればもう少しは行けるのだろうが、傘をさして荷物を抱えてでは、だいたいここが限界。

 

 

3時頃といえば、イギリスのEU残留か離脱かの国民投票が始まった頃だ。盛岡から見れば雨が最悪な時に始まった。どうなるのかはわからない。

ただ、報道で言われているより深い問題のようだ。イギリスは金融国家でもありEU離脱の影響は大きい。だがロンドンから見た景色と地方都市から見た景色は違うようだ。さらに工業都市だったところと農村のママのところではさらに景色が違う。若者と老人でも見えているものが違う。移民は残留支持が多いという。ここには人種的な問題もあるが、移民の多くが若者ということも重なってるようだ。

はっきりとわかっているのは、離脱派は陰謀説やデマゴーグにかなりな影響を受けているということ。ただここには右翼的なものもあるが、その前にイギリス人の生活が苦しくなっている、というのがある。特にロンドンでは家賃の高騰が激しい。ここにチャイナマネーの問題があったりする。まあそれだけではない。世界有数の金融都市であれば富裕層が集まりそれなりに家賃は高い。都市景観について保守的で厳しいイギリス人だからこそ招いた高騰でもある。

かといってマンションだらけになる日本はどうかとも思う。

このイギリスの問題は、日本と同じように感じる。ただ一番違うのは多元論的な国家で起きたことが問題であって、それが先鋭化しているという問題だ。日本は多元論ではない。単一民族という幻想を持っている。正確に言えば血統・同化主義だ。ただそこがすでに多元論的になっているのをごまかしているから、先鋭化しないだけだ。たとえとしては不適切かもしれないが、かつての民主党のマニュフェストに手を入れて実行しているのが今の自民党だ。対立する前に吸収してしまう。それでも残ったものは、無かったことにしてしまう。

最悪の事態になっても白黒つけようとしているイギリスは、ある意味健全だと思う。だが多元論を無理矢理二項対立にしてしまっている時点で、本来は無理筋の話だった。

 

 

二項対立にするのはわかりやすいからだ。だが調停者としての政治家の手を縛ることになる。

ドナルド・トランプに熱狂するアメリカ人の気持ちはわかる。だが二項対立での結果は、争いにしかならない。血が流されないと、いや血が流されたがゆえに激化することの方が多い。

 

 

JBPressに面白い記事があった。「なぜプーチンは腐敗を許しているのか」という記事だ。

プーチンが腐敗闘争を宣言しない最も重要な理由は、反腐敗運動は国民に変化を要求させることになるからである。それは国民の怒りとともに願望にも働きかける。中国のように、明日はよりよくなるとはロシアは約束できない。それに経済が天然資源に頼り、企業家精神に頼る度合いが小さい。ロシア政府は、腐敗は人生の一部で自然現象のようなものと考えている。ウォッカ同様、害はあるが、ロシアはそれなしには考えられない。」

実は透明化されていない中国では反腐敗運動が起きて、透明性の多少あるロシアでは逆のことをやっているという、その分析だ。

中国は反腐敗で2項対立の軸を持ち込んだ。結果強化し続けなければいけなくなった。ロシアは曖昧にした。そこが面白い視点だ。



私の経験上、とても頭のいい人がこの2項対立に走るように見える。特に頭のいい人が苦境にあるときに走るような気がする。例としてはロンドン市長ボリス・ジョンソンかもしれない。容姿はともかくとして全てにおいてエリートなのだが、キャメロン首相と同じ大学で彼の方が成績が良かった。

ロンドン市長というのもかなりすごいのだが、なにかそういったニュアンスがある。

そういったつまらなさが、歴史を作るのだが、できれば止めていただきたい。それが庶民の希望だ。

 

追記

舛添氏は、その意味でマトモだったぞ。エリートすぎて鼻持ちならないだけだ。そして歴代都知事がどんだけ豪遊していたのかと。

人を簡単に潰すのは、とてもよくない。とはいえ舛添氏はすぐに復活するだろう。