今日も小雨の日だった。2時過ぎには雨も時折と変わったが、1日じっとりとした日だった。
仕事はそれなりに順調だ。今週は隙間なく仕事を組み立てられた。おかげで写真の整理が追いつかない。おまけに納品の終わっていない仕事の催促がきて焦っている。
まあ雨は余計なことを全て洗い流すということもある。
夜には岩手大学落語研究会の漫才を見て楽しんだ。まあ仕事でもある。一組しかいない3年生の漫才と2年生4組の漫才とがバトルする、つまり3年が4回バトルするという過酷なライブだ。超手堅くまとめてきた3年のオヒルネじゃすてぃすの圧勝と思いきや、2年の善し悪しが一勝を取りましたね。そう手堅すぎたわけですね。隙を突かれた格好です。ただ善し悪しのネタも前半が相当きつかったので、時の声なのかなと。
この岩手大学落語研究会ですが、6月24日18時20分から、大学生協中央購買2階大学会館大会議室で2年生の落語を3人やります。多分下手くそだと思いますが、この3人超個性です。私保証します。一人女性がいますが、踊れます。ダイヤモンドのとまでは行きませんが、確実に光るものがあります。一般人入場可ですから、このブログを見ている演劇関係者の皆さん、見て損はないです。
大昔に書いたマイルドヤンキーなのだが、一つだけ分かりやすい傾向がある。現場の細かいことは俺らが一番わかっているということだ。この考えはとてもわかりやすい。人間関係や機械の修理や現場を支える力や知恵を信じている。まあ知恵というのがどの程度知恵なのかはわからないが、人間関係を処理するための知恵でもある。現実に仕事に対して誠実でさらに発展させるべく知恵を絞って、実現のための人間関係の構築を進めて行く人もいる。突出したリーダーとして目立つ人というのはそういった人だ。
こういった人たちは、大学卒というのをえらく嫌う。正確に言えば大卒といっても様々あって価値観が同じだと大歓迎するが、そうでない場合に完全に拒否する。その理由は、多分なのだが自分たちの階層から逃げ出した人たちという、そういった認識に近いものを持っているのではないのかと思う。
それでは大学卒はどう考えているのかといえば、目的と解決法の合理性を考えてしまう。これまた正確に言えば、「考える習慣」というのを身につけたゆえにそうなってしまう。なぜこうなるのかという問いに対して、今までこうやってきたから正しいという平行線を辿ることになる。そこで原理主義よろしく納得できない理論を押し付けて行けば当然現場は破綻する。そういった現状がある。
イギリスの労働党下院議員のジョー・コックスの名前を初めて聞いたのは、彼女が殺された後だった。その実績も何も知らないが、彼女を殺したのは、EU離脱の国民投票の直前だったということだ。
「ブリテン ファースト」と叫んで男は彼女を殺した、と言われている。
本当なのだろうか。思わず陰謀説を考えてしまった。EU存続派が、あえて彼女を殺す理由はある。センセーショナルな事件を起こしてまでも、離脱派を懲らしめたいのか。暗い未来を予測させてまで陰謀を成立させたいのか。
間違いなく気のふれたやつの犯行だろう。なぜ女性を殺したか、それだけで十分だ。弱いからだ。政治的な背景はないと思う。ブリテンファーストと本当に叫んでいたのかはわからないが、何も考えていないとしか言いようがない。
ただここには階級差がある。イギリスは階級社会だ。だがそれも少しは薄まっているはずだ。だがまだ存在している。それがこの事件の本質なのだと思う。
イギリスと日本は、同じではないのか。一瞬陰謀説を考えたというのは、間違いがない。
階層間に問題が起きるのは、プライドの問題になる。多分ここだろう。
日本で今田中角栄を再評価する議論が多いのはそういった、つなぎの流れなのだろう。私の周りから考えるとそうなる。