どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

泳ぐ

2016-07-12 00:54:26 | 日記

 

今日は晴れの予報だったが、どうも盛岡上空だけ雲が多いようで何かさっぱりだった。ゆぴあすに泳ぎに行く。2000泳ぐ。結構空いていた。総合プールは、国体のためサブコース8コースのみの開放になっている。あそこで泳いでいた人たちはどこに行ったのだろうか。

まあ水温が少し高いのでスポーツ志向の人には辛いかもしれない。でもダイエットにはいいかもしれない。

 

 

山萩の花が咲き始めた。キキョウも咲き始めた。花だけ見ていれば秋のようだが、まだ初夏だ。岩手なので梅雨はまだだが、秋ではない。

そういえばこの夏にはラニャーニャの発生はなさそうだ。秋に発生するという。そうすると冬は寒くなるのだろうか。いやだな。

 

 

スーダンが内戦状態になった。もともと大統領派と副大統領派に分かれていた内戦をアメリカの調停で抑えていた。それが大統領が副大統領を罷免、副大統領は脱出したが、服大統領派の民族を大統領派が殺したため対立が続いていたところ、副大統領の帰国。そこで内戦勃発なのだが、スーダン国内の人すらどちらが仕掛けたのか全くわからないらしい。報道を読む限り、突然指揮系統もなく起きたように感じる。国際法を無視しているとことがある。混乱している。

スーダンの邦人たちに危険が迫っているが、陸路が危険で空港までどうやって行けばいいのかわからないらしい。そこで南スーダンにいる自衛隊PKO隊が対応することになるようだが。改正PKO法にある「駆けつけ警護」ではないという。

「現地の情勢について「PKO法における武力紛争発生とは考えておらず、参加5原則が崩れたとは考えていない」との認識を示した。安全保障関連法の施行で可能となった自衛隊の「駆けつけ警護」に関しては「邦人保護のため、なし得る限りの対応を検討しているが、駆けつけ警護任務を付与して、それを行わせることは想定してない」と明言した。」ニューズウイーク・ロイターから。

これが、あの戦争法案と野党が言った安保関連法の姿だ。実際「駆けつけ警護」の際にも武器の使用はほとんど認められないだろう。戦争しない国だからこそ、戦争に直接加担してはいけないというのが原則なのだ。弾1発も打てない。でも内戦だからこそ、武器の使用は考えなければいけないと思うのだが、法的にはどうしようもない。

 

 

アフリカは奴隷貿易と植民地の歴史があり、それ以前からある部族の伝統とがないまぜになった、屈折した歴史がある。宗教もイスラムやキリスト教、そして部族ごとの宗教といっぱいある。白人もいる、ギリシャ人なんか古代からいる。それがどうこうすれば悲惨なことになるのが、今現在である。

そこを考えるためにアフリカ諸国が集まった、AU会議というのがある。将来はEUみたいになりたいようだ。最近AU内でビザ無しで移動できるようにするというのが出ていた。素晴らしい考え方だ。確かに今の国境を引いたのは植民地時代の西側諸国だ。一旦交通が自由になれば新たな形ができる。そう思わないか?

そうは思わない。ポゴ・ハラムなどのイスラム過激派の問題、難民の問題、そして極端な貧富の差、そして民主主義なりの共通した法整備がある法治国家であること、それらがない状態でビザ無しというのは考えられない。

そう思っていたらニューズウイークに記事があった。イギリスのEU離脱に際しての記事のようだ。「悪臭放つアフリカ連合も解体せよ」ジョージ・アイッティー(米自由アフリカ財団理事長)の記事だ。

AUは2001年に設立された。植民地時代以来の初の汎アフリカ機関だったOAU(アフリカ統一機構)の後を継いだ。AUを構想したのはリビアのムアマル・カダフィ将軍(当時)だ。自らを「王の中の王」と称していたぐらいだから、アフリカ合衆国の最初の大統領になろうという妄想を抱いていたとしてもおかしくはない。

誰にでも加盟を許したのも勘違いだった。EUに加盟するためには厳しい政治的経済的条件を満たさなければならないが、AUには、どんな「ならず者国家」も破綻国家も入ることができた。実際、出資金の滞納で前身のOAUを追放されるべきだった18カ国も、カダフィが滞納分を立て替えて加盟させていた。AUはまた加盟国の内政には不干渉を貫いている。戦争犯罪や人権侵害を犯した政府を怖がらせないようにするためだ。その結果今では、モロッコを除くすべてのアフリカ諸国がAUのメンバーになっている。

AUでは民主主義の定義も一致しない。AUの判定では、どんな選挙も「自由で公平」になる(最近、反政府の指導者を投獄したルワンダやウガンダ、コンゴなどを非民主的と非難することも、AUの高邁な「不干渉主義」に違反することになるのだから)。

もちろん、腐敗した独裁者なら支払えただろう。たとえばスーダンのオマル・ハッサン・アフメド・アル・バシル大統領の資産は推定90億ドル。アンゴラ大統領の長女、イザベル・ドス・サントスでさえ個人資産は32億ドル。

AUの惨憺たる「実績」のなかで唯一明るい部分があるとすれば、2001年に発表した「アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)」だろう。IMF(国際通貨基金)や世界銀行などの指図を受けずにアフリカがアフリカのために作った経済政策だ。主としてインフラ開発のために、西側から640億ドルの資本を呼び込むことに成功した。

2003年、当時AU議長だった南アフリカのターボ・ムベキ大統領は、NEPADは失敗の危険に直面していると認めた。大半のアフリカ諸国には、大規模の投資を効率的に活用する能力がなかったからだ。3年後、NEPADは死の床にあった。投資はほとんど実行されなかった。当時セネガルの大統領でNEPADの生みの親の一人であるアブドゥライ・ワッドは2006年の記者会見で言った。「NEPADはわずか1マイルの道路も作らなかった」

すべてのアフリカ帝国は、マリ、ガーナ、ジンバブエ、かつてのゾンガイ帝国(今の西サハラ)などもそうだが、権限の移譲と権力分散による連合体になっていた。同様に市場も植民地時代以前のアフリカではどこにでもあったし、価格も管制ではなく取引によって決まった。」

凄まじく抜書きした。だからできれば本文を読んでほしい。なぜ異様なことが起きるのか、その裏側が少しだけ見えてくる文章だ。

AUはソマリランドを認めていない。そこに何があるのかも少しだけわかる。