今日は待ちに待った、劇団よしこの「くるくる哀歌」ゲネプロ撮影だ。もともと盛岡トップの市民演劇団体で24年間活動してきたキャリアと、一貫してきた世界観、そして徹底して構築してゆく舞台、全てにおいて最高だ。その最終公演となればもうこれは鉄板だ。そのゲネプロ撮影というだけでも光栄なことだ。
とはいえこの天気、泳ぎにも行きたい。なので早起きして荷物を劇場に置いて、泳ぎに行く。劇場はちょうど中間点にある。都合がいい。
身を清めてから撮影したいということ、ではないですね。まあ欲望を落としたのは確かです。
金曜の10時から泳ぐ奴っておかしいです。いえ一人私以外にいました。この時期日光浴したがるお年寄りというのが、数少ないのですがいます。なので泳ぐわけではないです。
なお今都南のプールの監視員の質が劇的に向上しています。理由は総合プールの50メートルプールと飛込み台が一般開放していないのと、水泳教室等が一切おやすみなので、インストラクターが余っているようです。若くてマッチョなイケメンとかキビキビした爽やかなイケジョがいたりします。まあそれ以外にもキチンとした人ばかりが派遣されていて、なんかいつものひなびた感じが薄くなっています。
お昼前から少しづつ子供が増えてきていい感じですが、1時間前には劇場入りしたいです。トイレとか体調を整えなおすとかお昼ご飯とか、1時間は最低欲しいですね。演劇の撮影は、ここが大切です。
公園によくあるこの背伸び椅子ですが、使っている人を見たことがないんですが。
撮影ですが、今回使えそうなレンズは全て持ってきました。なので妙に神経を使う羽目に陥りましたが、無事終了したようです。
ある意味楽な撮影です。劇がしっかりしているので、ここでこう絵を取らなければいけないかというのがはっきりしていますし、ここというのが向こうから指示されているようなもんです。あとはこちらのレンズの選択と露出程度が選択肢になるわけです。
ということでレンズは全部使いました。
しかしなんだろうね、いいものを見てそれを自由に撮影できるというのは。幸福なものです。
ただ、撮影の本質が難しい芝居だったと思う。アングラ系の劇団と言われていたのだが、この近年はわかりやすくなっていたと思う。香港活劇芝居の撮影でもそうだったが、たとえ台本を読み込んでいたとして稽古に付き合ったとしても、アングラ系は何が出てくるのかわからないところがある。徹底したよしこが間違うことはないとしても、出てくるものが予想をはるかに超える場合がある。ましてや初演前のゲネプロだと、マジで何がどうなってゆくのかわからないわけで、セリフを丹念に追いながら次を予測しつつ、考えて行かないと置いてけぼりを食らうことになる。それは撮影失敗という結果になる。
その意味で設定が極めて難しい問題だったのだ。その上その設定上避けられない過激さが、セリフの表面上の丁寧な言葉使いで和らげられた上に、そこに目立った伏線もなく、伏線ではなく少しの感情の揺れ動きが伏線になり、気がつくと言葉ではなく情念を察知しながらの撮影になってゆく。
折り重なった言葉が積み降った最後の方になると、飲み込まれていた。感情移入して泣くのではなく、飲み込まれてしまって泣けないのだ。多分これは私が男だったからかもしれない。ズドンと鉛を打ち込まれたように体が重くなり、全身鳥肌が立ってしばらく収まらなかった。
最後は確かに表面的に美しい。だがそこには圧倒的な絶望があるのだ。
ダメ出しの練習の時にようやく泣けた。本当に恐ろしい芝居だった。
ということで金曜のチケットは、まあもう終わったか、売り切れでした。ホームページで確認してください。と思ったら日曜日も売り切れです。土曜日にわずかに枠が残りそうです。
盛岡劇場前のいなだ珈琲に寄る予定だったのが、もうまっすぐに帰りました。家についてもまだ遠く離れたい気分です。響に行くと、奥様が土曜に行くようです。ネタバレを避けつつ激賞します。
そう、時間もあるのですが、落ち着くには距離が必要になっていました。そうでないと語ることもできない引力圏にあるように感じるわけです。
カイツブリがもうそりゃ可愛くて可愛くて、カイツブリがいなけりゃもっと遠くに行ったと思われます。
あとヨタ話をしないと、どうも日常に戻れないというのはあります。
で、今日はポケモンGOの日でした。すっかり忘れていた。深夜に隣の大学を通るとスマホ掲げて歩いている学生が結構いました。もうなんかすごいですね。ポケモンをゲットするところも見させていただきました。アニメーションが美しくて感動しました。
ゲットしたポケモンでなんかすると、なんかなんかして人が集まるようになるようです。ということは、こいつはDSのすれ違い機構、同じゲームをしている人がすれ違うと反応するモードの、大規模版のようです。学生に聞いたところ、最大で50人集まったと言います。「ヒトホイホイですね」。
つまりリアルSNSなのだ。ゲームをしていると同好の人が集まるしくみが備わっているわけだ。ネット上での交換やバトルだけでなく。対面ができるようになっているというのは凄いことだ。しかも人を集める機能がある。思想上のアーキテクチャという概念を思い起こさせます。
若干革命的すぎて、今までのポケモンソフトってよっぽどのことをしないと、次作は出せなくなるんじゃないのかと危惧しています。
なお私はおかしなことに、ゲームのシステムに興味があっても、ゲームはなぜかできない人でして、絶対面白いはずというのがわかっていても、絶対やれないというのが悲しいところです。