どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

泳いで酒買地蔵尊のお祭りです

2016-07-23 22:13:12 | 日記

 

さて水泳強化週間です。ダラダラと泳ぐのが強化と言えるのかどうかはともかくとして、今日も泳ぎに行きます。しかも屋外にね。

 

 

で、この前見つけた飛ぶのが下手くそな猛禽類を探そうと300ミリ何ぞ持ってきています。

アオサギがとおります。

 

 

貨物車が通りました。

 

 

普通車も通りました。

 

 

あ、いた。でっかいハヤブサっているのかということになると厄介だ。頭が白いしな。

 

 

ということで泳いで体調を整えて、酒買地蔵尊大祭恒例の、岩手地酒巡りです。岩手県の盛岡以外から17蔵が吟醸・大吟醸・純米大吟醸を持ってきています。

300円で飲み放題です。どうなることやら。5時スタートを待ち構えています。

 

 

神輿も出ています。

 

 

始まりました。今年はコンプリートしました。

 

 

 

50分後には用意した酒がなくなりました。

 

 

 

結論。今年の岩手の酒は甘いです。なので特徴が出にくくなっています。どうもこれは品評会での問題があるようです。辛口では採点されにくくなっているようです。米の味を感じる、というのがあるようです。

その意味では、ぶれない酒が一番いいのかなと思います。

震災以降、酒の味の均質化が目立っています。これは多分復興支援で小さい蔵に新技術というか作りの方向性が変わったというのはあります。その上で、現在評価されている日本酒の傾向もあります。

ただこれだけは言いたい。辛口が流行っているからといってアルコール度数を上げるために止めを遅くしていた蔵が、いきなり止めを早くするのはいかがかと思う。はっきり言ってそれは蔵の個性ではない。

 

 

ということで、ポケモンGOの方たちもいっぱいいたよいちでした。

本当にこれで背中を伸ばせるのかな。


泳いで、劇団よしこのゲネをみた。

2016-07-23 01:20:15 | 日記

 

今日は待ちに待った、劇団よしこの「くるくる哀歌」ゲネプロ撮影だ。もともと盛岡トップの市民演劇団体で24年間活動してきたキャリアと、一貫してきた世界観、そして徹底して構築してゆく舞台、全てにおいて最高だ。その最終公演となればもうこれは鉄板だ。そのゲネプロ撮影というだけでも光栄なことだ。

とはいえこの天気、泳ぎにも行きたい。なので早起きして荷物を劇場に置いて、泳ぎに行く。劇場はちょうど中間点にある。都合がいい。

身を清めてから撮影したいということ、ではないですね。まあ欲望を落としたのは確かです。

 

 

金曜の10時から泳ぐ奴っておかしいです。いえ一人私以外にいました。この時期日光浴したがるお年寄りというのが、数少ないのですがいます。なので泳ぐわけではないです。

なお今都南のプールの監視員の質が劇的に向上しています。理由は総合プールの50メートルプールと飛込み台が一般開放していないのと、水泳教室等が一切おやすみなので、インストラクターが余っているようです。若くてマッチョなイケメンとかキビキビした爽やかなイケジョがいたりします。まあそれ以外にもキチンとした人ばかりが派遣されていて、なんかいつものひなびた感じが薄くなっています。

お昼前から少しづつ子供が増えてきていい感じですが、1時間前には劇場入りしたいです。トイレとか体調を整えなおすとかお昼ご飯とか、1時間は最低欲しいですね。演劇の撮影は、ここが大切です。

公園によくあるこの背伸び椅子ですが、使っている人を見たことがないんですが。

 

 

撮影ですが、今回使えそうなレンズは全て持ってきました。なので妙に神経を使う羽目に陥りましたが、無事終了したようです。

ある意味楽な撮影です。劇がしっかりしているので、ここでこう絵を取らなければいけないかというのがはっきりしていますし、ここというのが向こうから指示されているようなもんです。あとはこちらのレンズの選択と露出程度が選択肢になるわけです。

ということでレンズは全部使いました。

しかしなんだろうね、いいものを見てそれを自由に撮影できるというのは。幸福なものです。

 

 

ただ、撮影の本質が難しい芝居だったと思う。アングラ系の劇団と言われていたのだが、この近年はわかりやすくなっていたと思う。香港活劇芝居の撮影でもそうだったが、たとえ台本を読み込んでいたとして稽古に付き合ったとしても、アングラ系は何が出てくるのかわからないところがある。徹底したよしこが間違うことはないとしても、出てくるものが予想をはるかに超える場合がある。ましてや初演前のゲネプロだと、マジで何がどうなってゆくのかわからないわけで、セリフを丹念に追いながら次を予測しつつ、考えて行かないと置いてけぼりを食らうことになる。それは撮影失敗という結果になる。

その意味で設定が極めて難しい問題だったのだ。その上その設定上避けられない過激さが、セリフの表面上の丁寧な言葉使いで和らげられた上に、そこに目立った伏線もなく、伏線ではなく少しの感情の揺れ動きが伏線になり、気がつくと言葉ではなく情念を察知しながらの撮影になってゆく。

折り重なった言葉が積み降った最後の方になると、飲み込まれていた。感情移入して泣くのではなく、飲み込まれてしまって泣けないのだ。多分これは私が男だったからかもしれない。ズドンと鉛を打ち込まれたように体が重くなり、全身鳥肌が立ってしばらく収まらなかった。

最後は確かに表面的に美しい。だがそこには圧倒的な絶望があるのだ。

ダメ出しの練習の時にようやく泣けた。本当に恐ろしい芝居だった。

ということで金曜のチケットは、まあもう終わったか、売り切れでした。ホームページで確認してください。と思ったら日曜日も売り切れです。土曜日にわずかに枠が残りそうです。

 

 

盛岡劇場前のいなだ珈琲に寄る予定だったのが、もうまっすぐに帰りました。家についてもまだ遠く離れたい気分です。響に行くと、奥様が土曜に行くようです。ネタバレを避けつつ激賞します。

そう、時間もあるのですが、落ち着くには距離が必要になっていました。そうでないと語ることもできない引力圏にあるように感じるわけです。

カイツブリがもうそりゃ可愛くて可愛くて、カイツブリがいなけりゃもっと遠くに行ったと思われます。

あとヨタ話をしないと、どうも日常に戻れないというのはあります。

 

 

で、今日はポケモンGOの日でした。すっかり忘れていた。深夜に隣の大学を通るとスマホ掲げて歩いている学生が結構いました。もうなんかすごいですね。ポケモンをゲットするところも見させていただきました。アニメーションが美しくて感動しました。

ゲットしたポケモンでなんかすると、なんかなんかして人が集まるようになるようです。ということは、こいつはDSのすれ違い機構、同じゲームをしている人がすれ違うと反応するモードの、大規模版のようです。学生に聞いたところ、最大で50人集まったと言います。「ヒトホイホイですね」。

つまりリアルSNSなのだ。ゲームをしていると同好の人が集まるしくみが備わっているわけだ。ネット上での交換やバトルだけでなく。対面ができるようになっているというのは凄いことだ。しかも人を集める機能がある。思想上のアーキテクチャという概念を思い起こさせます。

若干革命的すぎて、今までのポケモンソフトってよっぽどのことをしないと、次作は出せなくなるんじゃないのかと危惧しています。

なお私はおかしなことに、ゲームのシステムに興味があっても、ゲームはなぜかできない人でして、絶対面白いはずというのがわかっていても、絶対やれないというのが悲しいところです。