どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

以外と大雨

2016-10-03 21:46:01 | 日記

 

今日は11時頃から雨になった。午後1時からひどくなり、3時から4時までの間に14.5ミリの雨になった。午後9時時点で45.5ミリのあめだ。8月2日の76.5ミリは例外としても、台風10号がらみの8月26日の52.5ミリと9月8日の50.5ミリに匹敵する雨になった。

 

 

今日はまとめていい記事がニューズウイークにある。まず「コンゴ武器としての性暴力と戦う医師」という記事。人権や思想の自由を守るために献身的な活動をしてきた人や団体に与えられるサハロフ賞受賞のムクウェゲ医師の話だが、まずすごい。レイプといえばよくある紛争地域の話のように聞こえるが、実態は壮絶なものだ。例えば膣に銃を差し込むとか、そういったレイプの見え方が変わる。そこには徹底支配のためのレイプがある。男を徹底的に無力化するために女をレイプし、場合によっては差し込んだ銃を撃つのだ。そしてそれらが、紛争地域鉱物資源支配地に広がっている。

ただ流通ではいくらでも偽装されて、そういった鉱物が世の中にはびこっている。

「コンゴのような紛争地における組織的性暴力は「戦争の武器」と呼ばれる。性暴力は、AK47のような武器と違って調達もメンテナンスも必要としないため、費用がかからず、体一つで多くの人々を精神的にも身体的にも痛い目に遭わせることができる。しかも加害者は処罰されないままでいることが多いため、武器としていっそう効果的だ。」

被害を受けて、社会から差別された被害者を救うというのがムクウェゲ医師の仕事になった。そこまでも凄惨な現場に踏みとどまった映画は見てみたい。

たた手法は実は簡単であることからこういった犯罪は、ある。日本でも一族を恐慌状態にして支配した上に、互いに殺させるという事件があったが、あれは序の口だ。もっとすごいのはアメリカのグリーンベレーの洗脳手法を使う場合だが、これ以上は言わないようにしよう。



EUの難民受け入れをEU各国で受け入れ分担するという方針を、ハンガリーは嫌がっていたわけだ。だがその是非を問う国民投票は、98%が受け入れ分担を拒否したのにもかかわらず、投票率が40%で国民投票は不成立になった。

国民投票法がどうなっているのかはわからないが、投票率が低いという意味がものすごく重要になる。ハンガリーは不明瞭に分裂したのかもしれない。


で、ドイツの銀行が酷いことになっているが、イタリアを批判したのがブーメランになっている。

EU危機の時にイタリアの銀行は倒産させてもいいと言ったドイツが、倒産させられないと言い始めた。

金融というのは文化でもある。単純化してはいけないところがある。

 

 

こいつは最強の記事。アベノミクス失敗論は根強いが、日銀のできる政策はほとんど打ち止め状態になっている。何しろもうこれ以上やろうとすると、100年国債とかそういった国債発行を政府がしない限り限界になったのだ。

そこまではこの記事はいっていないが、最も他紙と違うことを言っている。

「そして、最大の問題は、インフレ率が高めの方が望ましい、2%あるいは3%の方が望ましいという、この数百年で初めて出てきた議論の、学問的にも、現実経済においても重要なポイントは、長期的な成長率の低下により、望ましい実質利子率(経済学の今の流行で言えば中立利子率:現状で景気が減速も加速もしない利子率、あるいは需給がバランスする利子率)がマイナスに落ち込んでいるから、名目利子率がゼロ以下では弊害があり、ゼロが長期的な水準としては下限であるならば、インフレ率が高くないと、望ましい実質利子率に到達できない、というところだけがポイントなのである。

 実際、米国経済学会においては(あるいは、その中の少なくともまともな人々だけは)、この点だけが大きな議論となっており、テクニカルな金融政策、ましてやヘリコプターマネーは、極東の未開の地の日本で行われている呪術として面白い話題となっているに過ぎない。

 ローレンス・サマーズ元米財務長官の長期停滞論が正しいのか、所詮、短期的な生産者の都合として供給過剰になったのをなんとか需要で解消してもらいたいという、実体経済バブル後の処理の願望なのか、もちろん後者はわたくしの意見であるが、という論争が必要なのであって、日銀の金融政策は、もはや実質的には議論する余地はないのである。」

全く正しい。

今必要なのは税制改革だ。内需の問題であって、日本は内需で成り立っているという認識が必要なのだ。

とうとうつに行っているように思われるが、行政ができることは限られているのだ。

真面目に酒税を撤廃しなさい。あれがいかに市場を歪めてきたのか。

 

 

少し昔は、第3次世界大戦が起きてもおかしくなかったのだが、今その状態にあるのにあの時のような捉え方ができない。

ただ可能性の増大を指をくわえて見ているというのは、アッポーペンなのだろう。