今日は最低気温4.2度、最高気温が16.9度でえらく寒くなった。10月下旬並みだそうだ。
月から水曜と毎日1000メートル程度泳いでいた。距離が短くなるとハードワークになりがちで、実際水曜は100メートルの自己ベストを更新した挙句に、近いのを2本叩き出した。おかげで腕がだるい。
その上昨日のクロージングパーティーの、その盛岡のアッパーな方達に当てられて、米山で酒飲んで、上田会館の「大空」が本町通り(カメラにキクヤの前の雑居ビル一階)に出したので、寄って見て、まあ大酒になってしまっていた。泳ぎにゆこうかと思っていたのだが、さすがに休むことにした。
ただまあ筋肉の状態から過労にはなっていないようだ。
徳清倉庫や他の古民家などを少しまとめて見たが、疑問がいっぱい残った。こうゆうときに話を聞くのは、カフェ・ブルーメの川島氏だろうとあたりをつけていって見た。光源社創業者のうち川島家の2代目の次男という立ち位置がこのあたりの事情に詳しくさせている。
光源社そのものが知識階級にあって、南部家の破産の際に南部家が起こした南部鉄器研究所を引き受けて、そこから民芸運動に関わる関係上、日本の美術工芸のトップ達と付き合う家というのがあった。そのせいか、盛岡市の大金持ちとの交流が深かったようだ。商売というより光源社はブレーンであったようだ。またそこに野原正勝氏の息子さんもいて、曰く、「野原さんは彼らの使いっ走りで、僕はペットだった」という関係だ。ペットの目で彼らのやることをずっと見ていたというのは大きい。
で、まず徳清倉庫の台所はフランク・ロイド・ライトの弟子の設計だが、実はこの年代の方々はライトの信者だったらしい。で、帝国ホテル別館ができるとすぐに作ったのが、岩手県公会堂。似ていないですが、少しだけ趣は感じられると思います。問題は部材。大谷石は盛岡では凍結による風化で痛みやすいんですが、それをわざわざ使った上に帝国ホテルと同じタイルを使用します。
何かすごく腑に落ちました。
で、お金のあった徳清さんはライトの弟子に台所を設計させます。ものすごくわかりやすい。
さて、盛岡の豪商の普請を見てゆくと何か似ています。一番のポイントはどうもフォーマットが決まっていたようです。特に河南と河北で大工の流儀が違うということで、河南の大工の特徴があるようです。建材がやすいか高いかの違いはありますが、山持ちかどうかで多少変わるようです。山持ちは自分の山から木を持ってきて「コレ使え」というので大工は難儀したようです。難儀した分丁寧になったのが、中央公民館の中村家や徳清倉庫のようです。
そしてなのですが、光源社の建物と川島邸と徳清倉庫の台所と、岩手川の建物ですが、設計者は違うのですが、どうも同じ工務店のようです。
実はこの建物に何か共通する匂いがあったので、えらく気になったのですがこれで氷解です。大工の流儀みたいなのが出ているのですごく気になっていたのです。
どうもこの人たち、何か競い合っていたようです。で、すごい理不尽に対応できる大工というのがいたということのようです。多分同じ大工が作ったと思われる家が北山にありまして、版画家の大場さんの工房になっています。
さらに徳清倉庫の勘定奉行のところにあるトイレは、先先代が作ったということのようで、どうも床がケヤキの一枚板のようです。とすると大便器の黒漆はさらに後代になりそうです。
ただね、家いじりは金持ちの道楽というところがあって、かなりやりまくったらしい。だからどこからどこまでが本当に残っているのかもわからないというのはある。あの台所はオンドルの床暖房だったという証言もあります。
なお盛岡の民家には吹き抜けがあるというのは、本当のようです。だが吹き抜けの上に天窓をつけないと意味がないのですが、屋根の勾配と同じで高さが違う天窓をつけた吹き抜けだったようです。ただ天窓は維持管理が難しく、トタン屋根に吹き直した時に撤廃してしまって外見上見えなくなっているというのが本当のようです。その上、うなぎの寝床のような家屋で存在していて、そうでない家ではない。ウナギの寝床の家でも、店は残して後ろの居住区は取り壊して仕舞う場合が相当多いように思えます。そしてなのですが、吹き抜けの2階部分は回廊になっているのだけど、押入れが囲んでいるのが特徴だと。そう天井がさらに低くなっていますから、そうなんでしょうね。そのうちウナギの寝床の断面が見える家を探して観察したいと思います。
ただね、屋根に段差をつけて壁に天窓というか明かりとりを作るのは、古い作りだけど多分この大正期からの話だと思う。
歎異抄を読んだ。10代の頃から本棚にあった岩波の本だったが、初めて読んだ。
すごい本だった。すごすぎて読み飛ばせない。時間がかかってしまった。衝撃的な信仰告白だ。そして浄土真宗の本だと思っていたが、古典と言われる意味がすごい。普遍的なのだ。信仰というのはこうでなければいけない。「いずれの行も及びがたき身なれば、とてもじごくは一定すみかぞかし」。信仰というのは知識でもなく行でもない。自分をわかっていないとわからないのだ。悪人は悪を行なっていると自覚している分、自分をわかっている。善人は良いことをしていると自覚している分、自分悪を知らない。だから悪人にて往生をとぐのだが、念仏唱えればいいというわけではないというのがこの本だ。
凄まじい。鎌倉仏教はとにかく極端なのだが、この本の一点は確実に宗教の、ある普遍的な事柄を書いている。
信仰というのは、自分が不完全であるということを自覚しないといけないのだ。
キリスト教原理主義者もイスラム原理主義者も、これを自覚していないからよくわからないことを起こすのだ。歎異抄のもつ普遍性は、凄まじい。
だから神仏信じていないのだ。モダンな宗教は全部アウトなのだ。
地獄にゆくが、それはいいことだろう。