当ブログは、過激にならないように気をつけている。特に生活圏に関することは書かないようにしているが、いわてアートプロジェクト2016は、生活圏を離脱した人たちばかりなので、まあいいか。
ということでアドレナンを消費すべく、泳ぎます。
無駄のない生き方とか平気に誰もが言いますが、無駄というのは重要です。それは人が肉体であるからです。
いわて2016アートは、滅多にない成功と失敗だったと思う。で、プラマイ、マイナスだったと思う。
みんな努力したといっているが、作家の仕事をわかっていない時点で話は終わっていた。
クロージングパーティーは、誰もが違和感を感じていたと思う。和装縛りがあったのだ。半纏という微妙な和装もいいということで、鳶の半纏があったのでコスプレしていたのだが、ダイソーで200円のハンチッグハットまで買ったが、和服というその領域をかん生える機会にはあった。
でもな、少しいい加減にしろと言いたい。
シシリアさんと話をしたかったのだが、よくある光景になっていた。呼ばれた外人さんは仕事をこなし、誰ともコミュニケーション取らずに帰ってゆく。通訳も関係者も取り合わない状況で、僕はクロージングパーティーを寂しく迎えたのだ。
なので米山に行く。米山曰く「書面の美術展」という。そうなのだ。
コミュニケーションが企画との間で、相当薄かっのだとおもう。
まあとにかく建材とかそれだけではなく、徳清倉庫の建物は、入った時点で時空が狂う建物だ。
人の器が問われる、そういった建物だ。