どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

尖閣諸島と竹島問題・どこが問題か

2012-09-25 16:19:13 | インポート
尖閣諸島問題は、わりと素直に見えるがそうではない。
まず日本が測量し、だれも使っていない土地だと確認したのが1885年。そのあたりから韓国情勢が不安定になり、まあその理由は清と日本の朝鮮半島情勢なのですが、そこでまあロシアを朝鮮が引き入れようとしたりなんだり、中国も光緒帝がどうのこうのと言うより西太后がどうのこうのと、まずムチャクチャ。
ちょっとその前に琉球がどこに所属するのか、実は明治維新以降もめている。日本語が通じる国ではあったが、江戸時代に薩摩藩が王族支配を認めた上で、属国にした。それが明治維新以降そのダブルスタンダードが法的にもうまくいかなくなり、武力制圧をした。そんな流れがある。
琉球王朝が存在した時代は確かに中国との冊封体制ではあったが、王国であり中国のものではない。沖縄に独立運動が起きたとしても不思議ではないが、中国の領土というにはあまりにもおかしい。そういった考えが中国にあるようで、改めて書いた。
なお沖縄が独立するならば、日本は支援するだろう。ただしアメリカの新しい州としてだ。尖閣諸島も付けよう。実は以外とこういった考えもできる。
脱線が続くが、本当にこの極東アジアの近代史は複雑奇怪だ。多分間違いなく19世紀から20世紀までの歴史を学ぼうとすれば、確実に1年は必要だ。もの凄く複雑なのだ。単純化するのに無理がある。

尖閣諸島問題は、確かに日本の測量と領土確認が早かったとしても、タイミングが日清戦争終了に近い、1895年なのだ。日本がドサクサにまぎれて国際法に則って中国に無断で領有化した、という話しになる。中国ではそう考えているようだ。しかしだ明の時代に台湾ですら実質的に支配できず、清になっても中盤からなんとか支配できるようになったが反乱ばっかり起きる。その状態で尖閣諸島を中国のものだと言うのはどうかと思う。

ただ日本が正当な支配者かと言えば、実効支配はして来たが経緯に少し隙がある。
そして戦後だが1952年にサンフランシスコ講和条約が結ばれ日本は独立するのだが、この時ソ連と中国はこの条約を締結しなかった。まあ中国は中華民国と中華人民共和国に別れていたことで、アメリカとイギリスの意見が対立したのが原因なのだが。これが千島列島問題と尖閣諸島問題の遠因になっている。国境線の画定を両国が認めなかったと言えるだろう。
さてよく1969年の海底資源を求めて中国が尖閣諸島の領有権を言っていると言われるが、少し違うように思う。1972年の日中国交正常化直前の1971年、まず台湾が尖閣諸島問題を言い出した。そして沖縄返還、最後に中国が尖閣諸島を問題にし始めたのだ。日中国交正常化は電撃的だったと言われるが、それは米中間の話しでこれが成立した以上日本がこれに追随するのは時間の問題だった。そこで国防上の問題から台湾が先に言い出したと考えるのが正しいだろう。そして沖縄が実際に返還されると、アメリカは尖閣諸島は日本のものだと言うことで日本に返還された。台湾とアメリカの動きを見ていた中国が、ここで改めて問題提起したと考えるべきだ。
つまり資源と言うのも理由の一つだが、あくまでも軍事的な問題だ。当時も今も中台間は、安定している状態ではない。万が一を考え台湾が先に領有権を言い出した。確かに飛行場の作れない小さな島だが、レーダー基地なら作れるだろう。領海でもあるので自国の船舶がいても誰も文句は言えない。中国本土としては、あの重たい真珠の首飾りの一角が切れる事で、太平洋に出やすくなる。中台間にとっては重要な島なのは確かだ。
その意味では、三すくみ状態は以外と都合がいい。だが今中国・台湾・日本の巡視船が入り乱れる状況だ。危険な状態へと突入した。


竹島の問題も、ちょっと厄介だ。江戸初期に日本人が実効支配したが、元禄に朝鮮と問題が起き、渡航禁止になる。ここで朝鮮のものだと言う交渉が行われたようだ。そして明治10年に「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」とする太政官の指令が出る。で、日本はこの竹島は、鬱陵島としていたるする。日本は鬱陵島を松島と言っていたりする。
所がだ、ここははっきり解らないのだが日本も朝鮮も竹島の位置がよくわかっていないようで、地図が変なのだ。大体島の名前も違ったりするし、これが問題を大きくしている。

さて日本人は忘れっぽいので、忘れている人の方が多いと思うが、日清戦争の最大の被害者は朝鮮だ。戦争の主戦場になったからだ。とはいえ当時の朝鮮半島の支配階級は何を考えていたのか。日清露を引っ掻き回すように外交を続ければ、日清戦争ではなく清露戦争になった可能性もある。世界史の中でみるとああいう外交をして生き延びた国は無い。
とはいえ日本はその前から内政干渉をムチャクチャしているので、やはり日本が悪いのだろう。
朝鮮の事大党と開化党の争いに手を突っ込んでいたのは事実だ。それが日清戦争後、日本が清に朝鮮の独立を認めさせ、開化党の勝利に終わるように見えた。大韓帝国の設立だ。だが事実上の日本の保護国で、大韓帝国はここでロシアにまた接近しはじめた。また事大党と開化党がイロイロしはじめたのだ。
そんなこんなで日露戦争が起きて、これに勝った日本が大韓帝国の保護国である事を列強に認めさせて事実上の独立は無くなった。外交権を取り上げられたのだ。
その直前の1905年1月に日本が竹島の領有を宣言したのだ。ちょっとドサクサまぎれと言われても仕方が無い。ただ日露戦争終盤戦とはいえ、まだあらゆる事を考えなければいけなかった日本が少しでも前線を確保しようとしたのだろう。そして1910の日韓併合となる。
さてやっぱり出てくるサンフランシスコ講和条約だが、韓国は当時日本領だったと言う事で、オブザーバー出席もかなわなかった。更に条約草稿では日本の放棄する領土に竹島が入ったり入らなかったりして、最終稿は入らなかったのだ。最後にはアメリカから竹島が朝鮮のものだった事実は無いとまで言われた。これに怒った李承晩大統領が、ほぼ勝手に国境線を引いたのが竹島問題の本格化であった。

さて韓国のこの問題だが、実はもっと根が深い。これは明治以降の日本の内政干渉に起源がある。そして事大党と開化党の争いだ。保守主義である事大党には既得権益がある。いやありすぎたのだ。開化党にはそれが無いが、このままだと間違いなく国が滅びる。だから文明開化を受け入れて真に独立しようと考えていた。日本はその手本で手助けをしてくれると考えていた。だがその手助けを事大党は最も嫌っていた。東夷だろ?そして開化党に対しては日本はやりすぎた。これが朝鮮のプライドをズタズタにしたのは間違いが無い。従軍慰安婦の件もあるのだが、韓国の歴史観の中にこの「恨」があるのを忘れてはならない。
更に朝鮮の反日運動の中に、事大党の流れはあると思う。次に裏切られたと感じている開化党の流れもある。だが第2次大戦が終わって、反日運動の勝利になった。ここで開化党の流れは一切無かった事にされた。大韓帝国時代の、あまりものメチャクチャな外交に、朝鮮の中からも日韓併合論が出ていた事をすっかり忘れている。

まあそうゆうグチは止めよう。日本人の中にも実際そういった例はある。第2時世界大戦中に、アメリカの日系社会のリーダーたちが、あまりにも迫害が大きいので保護を当局に求めていたのだ。それがなぜか強制収容所になるのだ。所が強制収容所に入れられた大多数の日本人は、ウスウス気がついていただろうが、よくわからなかったようだ。それが戦後賠償の話しになる。とはいえこの件だが、アメリカは徹底しすぎたと思うぞ。渡りに船だったのだろうが財産没収はやりすぎた。多分収容所建設費として必要だったのだろうが、収支報告はするべきだったろう。


日本人はとっても忘れやすい。2004年まで韓国では日本語の歌が放送に載る事は無かった。テレビドラマの放映時間も未だ制限がある。文化侵略といって日本文化を制限して来たのだ。これは日本統治下で、日本文化、特に日本語を強要された反動でもあるが、民族自治を成し遂げたのに朝鮮戦争を経て民族文化をどう定義し直すのか、その作業が大きかったのは理解している。そこでかなり儒教に頼った文化になってしまった。これがだ、先祖の受けた苦難は忘れてはいけないと、儒教では当たり前なのだが、現実的でない事になってしまっている。
だがこの事が象徴するように、韓国はあまりにも民族自立を反日に求めすぎている。実際韓国の仮想敵国は北朝鮮だが、第2が日本であると言う事を忘れてはならない。

今後の展望だが、尖閣諸島はまた3すくみに戻るべきだろう。少なくとも台湾は今の状況の方が有利だ。国交はないが交流の盛んな2カ国だから、資源開発も台湾とするべきだと言うのが私の考えだ。
中国だが、実は厄介な言葉を出して来た。核心的利益だ。この言葉を使う場合と言えば、チベットとウイグルだ。確かに資源問題がある。だが資源と言うよりは軍事的に重要な場所に多く使う。チベットばインドとのため、ウイグルは核実験場だ。この言葉が出て来たと言う事に注意が必要だ。

歴史問題に起源がある問題だから、学者同士が時間をかけて交流続ければ解決できる事が多いだろう。だが一旦社会的認知になったものは容易に覆らない。例えば南京大虐殺がそうだ。当時軍事機密だった。なので日本国内にいた国民のほとんどが知らなかった。この衝撃があった・なかったの不毛な論争を続けさせている。これは国内で起きたトイツのユダヤ人迫害と根本的に異なる所だ。
ただほとんどの学者が南京大虐殺は認めている。問題を人数にするのは、私の本意ではないが、そこで揉めがちなのが残念な事だ。人数にこだわると言うのはこの象徴的な事件に対して、事件を相対化させる作用しかない。

日韓中そして台湾の歴史だが、近代でも相当ややこしい。これを古代まで広げたら大変な事になる。それでも話し続けなければいけないだろう。そのためには互いにこれ以上ややこしくならないような努力が、今まで以上に必要になる。
少なくとも日本が歩んで来た歴史と言うのは、今の中国にも韓国にも役に立つだろう。民族の誇りは大切だが、暴走した先には、何も無い。これが日本の歩んだ道だ。


PS
尖閣諸島問題で、韓国が独島については日本は国際裁判を口にするが、尖閣諸島については紛争は存在しないと、ダブルスタンダードで望んでいる、と指摘されている。それがこの前の国連総会で、紛争調停に活用するべきだと日本が発言したが、とんだやぶ蛇になりそうだ。
多分だが、尖閣諸島に対して日本が領有権紛争が無いと言い続けているのは、常任理事国に中国がいるからだろう。もちろん調停裁判所と安保理事会は連結していない。だが調停裁判の結果を安保理事会にあげて、中国が拒否権を出して無効にする事が出来るからなのではないのだろうか。勉強不足でよくわからないのだが、なんとなくそう思っている。


盛岡私的観光案内 いしがきミュージックフェスティバル

2012-09-24 02:53:31 | まち歩き
Dsc_8388


劇団よしこ「花葬日記」の撮影データーを納品しに外に出ました。さすがに夕べ泣きながら写真をチェックしていたせいか、どうも体調が優れません。盛岡劇場が近づくにつれ、確信的になってゆきます。いつもだったらせっかくの楽日のステージ、見たかったのですが1時間45分以上耐えられるとは思えなくなり、その上満員御礼なので泣く泣くあきらめました。
とはいえ、筋肉痛は運動で直せ、では無いですが少しだけ歩いて体調を整えようと思います。丁度「いしがきミュージックフェスティバル」が開催されています。
実は私、こういった音楽を聴くのは好きなのですが、バンド名を覚えられません。曲名もかなり覚えられません。それって関心が無いからだろうと言われるとそうなのかもしれません。CDを買ったりすると覚えるのですが、なかなか買いません。なのでちょっと音楽について言われると相当苦しいので、その辺り勘弁してください。
さてこれは肴町きたぎん前のステージです。地元のお客さんで盛り上がっています。肴町ではもう一カ所ステージが儲けられています。



Dsc_8389


街の中には楽器をもったミュージシャンが一杯います。友人が出ると言うのですが出演が3時から。ちょっと体調が悪いのであきらめます。


Dsc_8390


盛岡歴史館前です。岩手県の被災地からの出店が一杯あります。蒸したての蒸しウニが500円です。いいにおいです。食べたかったな~。
「いしがきミュージックフェスティバル」ですが、具体的な歴史はよくわからないのです。記憶にある限りだと盛岡城趾公園の中津川の川縁で、「中津川フォークジャンボリー」という岐阜県にありそうなフェスティバルがあったのですが、それが規模拡大して「いしがきミュージックフェスティバル」として、盛岡城趾公園で行われるようになり、更に規模拡大して肴町・城趾公園周辺・カワトク前・大通りモスビル前・クロステラス前・盛岡駅前といろんな小さなステージが開かれています。
仙台市の定禅寺通りフェスティバルみたいなものでしょうか。


10/1注
すいません。認識不足でした。「いしがきミュージックフェスティバル」と「中津川フォークジャンボリー」は別系列で発展しています。「中津川フォークジャンボリー」は今年も行われるようです。




Dsc_8391


歴史館前ステージです。結構にぎわっています。


Dsc_8394


もの凄く盛り上がっています。ちょっとバンド名が解らないのですがとてもうまいです。ステージが小さい分盛り上がると言うのもあるようです。


Dsc_8395


いやはや凄い盛り上がりです。


Dsc_8396


やはりミュージシャンが多いので、個性的なファッションの方が多いです。ファンキーな方も多いです。でもです。最も目立つのが巨漢です。盛岡にこんなに巨漢が多かったのかと驚きます。盛岡もミルウォーキーみたいになるのでしょうか。


Dsc_8397


一番大きなステージ、いしがきステージです。六魂祭のときもここにステージがあったのですが、あのときの4倍は人がいます。


Dsc_8401


4倍で効くのかな。もっと多いように感じます。人の密度が違います。


Dsc_8398


こちらは教育会館前ステージです。たまたま公演の間なのでしょうか、ちょっと寂しい感じです。



Dsc_8399


車まで展示されています。


Dsc_8400


出店も多いのですが、ゆったり出来るスペースもあります。
野外フェスなのでテントを持ち込んで、自前の休憩所を作ったりしてお目当てのバンドが出てくるのを待っている人たちも一杯います。
でも皆ビールを呑んでいる。ウラヤマシイ。


Dsc_8402


赤い羽募金も出ています。今年のポスターは初音ミクです。とはいえ初音ミクってこんな顔だったかな?


Dsc_8403


大学生バンドのステージです。盛岡大学・岩手県立大学・岩手大学の学生によるステージです。桜山稲荷の隣です。
すいません。もうドラムの重低音が至る所で響いていて、場所によっては定在波が出来ていたりします。具合が更に悪くなってきました。


Dsc_8404


ただ人出はすごいです。実際このフェスティバルはあまり注目していなかったのでここまで大きくなっていたとは知りませんでした。人出は六魂祭のほうが全体で多いのですが、思い思いに楽しんでいる姿を見れば、いいイベントだなと思います。


Dsc_8406


さて大通りでは、専門学校などが発表を行っています。なのでいきなり空気が変わります。まったりしています。ファンキーな人がいきなり少なくなります。しかし巨漢はいます。
手前ですが、キネクトを使って実際のダンスをアニメキャラのダンスに置き換える実演です。たしかユーストリーム中継もしています。基本はモーションキャプチャーなので、チト重いのと、実際のダンスのスピードについて行っていないようにも見えました。
しかしこの制服姿の子、ほんとにこういったダンスがうまいです。


Dsc_8408


トレースロボットです。黒の線の上を走ります。


Dsc_8409


さまざまなロボット。正直な所20年前だったらこれ一つを作るだけでベンツが買えたりしたものですが。いい時代です。



Dsc_8410


どの学校なのかよくわかりませんが、美男美女コンテストです。例のごとく男が女装してと言った具合です。突っ込みどころ満載です。ウォークウエイですが、赤パンチを引いて欲しかった。後は…


Dsc_8411


大通りの中心部分では、復興屋台とかあって健全な感じがします。
私自身は、いしがきフェスの盛り上がりよりこっちのまったり感が安心できますが、なんというかフェス目当ての人たちの視線の厳しい事厳しい事。
でも先のモーションキャプチャーですが、明らかにフェス目当てで来たのにこれにブチ当たって、コレ踊りたい!とソワソワしている人もいました。
時代ですね~


Dsc_8413


体調悪いんだったらはやくネロ、と言われると思いますが、ネタは新しい方が。
残念ながら同人誌発表は見つかりませんでした。ただ岩手マンガ大賞と言ったかな、そういったものがある事を初めて知りました。その応募作が読めるのですが、ちょっと今ムリ、でした。とりあえず掲示されていたイラストを見る限り、インパクトのあるマンガは無さそうでした。すいません。読んでいないのに。ちょっと本当にあのときは体調が悪かったのですよ。劇団よしこ「花葬日記」の楽日をあきらめるくらいだったのですよ。その上劇団よしこ「花葬日記」と比べてしまうからですよ。昨日の今日だったからまずムリだったんですよ。
ごめんなさい。
でも岩手県に言いたい。こういったオタ路線はもう高知県に追いつけないから、軌道修正しろ。マンガに絞っている点は評価できるが、新人以外に山のように作者はいるのだから。
凄いよ岩手県。今まで使った作者は手塚治虫、井上雅彦、そして荒木飛呂彦だ。なんで吉田戦車を使わないのだ!



Dsc_8414


雨が降ってきました。このまったり感も通りを抜けると消え失せます。日常へと続きます。



Dsc_8415


だからだな、とは言っても解るがな!だからこそ庵野の初デビューアニメの大阪コンベンションのあのロボットを作らないのか!いやザブングルでもいい!
オタは孤高であるべきだ。








盛岡私的観光案内・遠山病院感謝祭

2012-09-23 18:06:01 | まち歩き
Dsc_7629


下の橋を渡って右側ですが、旧武家街でした。鷹匠小路とか馬場小路などの名称が残っています。


Dsc_7630


さて橋のたもとのコンビニに、遠山病院感謝祭とあります。病院が感謝祭?ちょっと面白そうです。


Dsc_7636


なぜ病院がイベントをするのかと言えば、当然経営的な事もあります。なかなかいきにくいイメージのある病院をもう少し親しみをもってもらうという意味合いもあります。そして地域住民の健康管理のために行うと言う事もあります。そこで以前は無料健康相談とか簡単な健康診断をするイベントだったのですが、もう少しイベントを大きくして集客を集めようと言う意味もあります。


Dsc_7631


更に最も大きいのは地域貢献です。医療はそれだけでも十分な地域貢献をしているのですが、人を元気にしたら街も元気にしようと言うようです。今日本各地で、そういった動きがあるそうで、遠山病院でも2年前からこの広い駐車場をもったのではじめたようです。
クライベイビーズが演奏しています。丁度イシガキフェスティバルをやっているので呼べたのでしょうか。



Dsc_7632


リハビリセンターを見学します。とやはり車いすに目が行きます。ニッシン製のこの車いす、なんと車高が3段階にかえられます。この意味は実は大変大きいのです。やはり個人差が大きい状態で、誰もが使いやすい車いすと言うのは難しいもので、こうして高さが調節できると言うだけでも大きいのです。更に背もたれシートの張り調整が出来ます。腰の部分は円形状になって腰をホールドします。また腰の大きさに対して調整できます。更に座椅子部分を動かせれるので、身体の大きさや健康状態に対してきめ細かな調整が出来ます。実際調整前と調整後に乗ってみたのですが、明らかに操作性が良くなりました。
なおニッシンの車いすは、どちらかと言えば介護用ではなく脊髄損傷の方が好んで乗るそうです。



Dsc_7633


さてマニアックにもほどがありますが、足こぎ車いすです。ハァ?と思われる方もいるかもしれません。足が悪いから車いすなんだろう?これはリハビリ用の車椅子です。脳梗塞の後遺症とか、一旦寝たきりになってしまった方などのリハビリに使います。かなり効果が高い器具なのですが一般に認知度が低いです。
特に足の筋肉量は身体の中でも最大です。第2の心臓とも言われます。足の筋肉の収縮だけでも血液の循環をサポートしているのです。全身の血液循環が良くなる事が知られています。
病気は寝て直しますが、あんまり寝てばかりだと血液の循環が悪くなり、悪化する可能性もあります。神経系だと身体を使おうとしていれば、神経系にバイパス機能が出来、ある程度機能が回復する事もあります。また移動できるので、同じ所でグルグルするウオーキングマシンより気分転換になります。
適応例に筋ジズトロフィーや筋硬化症があったのはビックリでしたが、さもありなんと思います。
方向転換には右手側のレバーで操作します。けっこうスムーズな操作感でした。


Dsc_7637


さんさおどりです。


Dsc_7639


さてもち巻です。その前にビニール袋が配られます。なんとサービスがいいのでしょうか。


Dsc_7642


さてはじまりました。お菓子の袋も混ざっています。



Dsc_7644


大変盛り上がりました。
さて遠山病院なのですが、中規模の病院です。でもスタッフが一杯いるのでビックリしていましたら、介護福祉もやっているので、そちらからのスタッフも来ているとの事です。



Dsc_7645

入院患者さんが帰ってゆきます。とやっぱり車いすに目がいってしまいます。外国製の高級品です。大柄な旦那さんなのでこの車いすなのでしょうが、コレ病院の持ち物です。
病院で買ったものもあるが、個人からの寄贈品もあるのでいろいろあるのだそうです。それでも個人差に会わせて、車いすが選べられるのはいい事です。




Dsc_7647


この辺りの解説はこちらからどうぞ。不親切ですね、私は。



Dsc_7648


ちょっと変わった家があります。なにか御稽古ごとをやっている家のようです。なんでしょうか。


Dsc_7638


このあたりはやっぱりお屋敷が目立ちますが、イロイロな家もあります。


Dsc_7649


かわらばしです。中津川に戻ってきました。


Dsc_7650


ハテ?個人宅に河川占有許可書が?どうも土手と住宅を繋げたので、許可が必要になったようです。


Dsc_7652


いい天気です。



Dsc_7653


下の橋中学校です。金田一京介が一番の有名人です。



Dsc_7654


下の橋の通りに戻りました。さてここから石井県令邸に向かいます。


Dsc_7656


盛岡で最も重要な建築物の一つです。多分最重要。設計者がオランダ人で建築が日本人の洋館です。明治初期の本格的な洋館です。


Dsc_7657


明治の初めに廃藩置県で赴任して来た石井県令が建てたものです。それが看護学校になって遠山病院の所有になって、保全されています。正直な所と遠山病院が買わなければ今頃残っているかどうか。


Dsc_7658


地上2階半地下一階のなのですがとても天井が高い建物です。今でも岩手山が見えます。


Dsc_7659


床の木組みも、130年前の建物としてはかなりいい状態です。建物の経緯から、半地下のワイン倉庫あたりはかなり手が入っていますが、上屋はほとんど改造されていないのが特徴です。


Dsc_7660


残念ながら常時公開していないのですが、10/8まで11時から18時、工芸展が開かれています。作品を楽しみつつ建物も楽しめます。入場料は無料ですが、建物の維持のために寄付金を募っています。一口200円です。


Dsc_7661


建物の中心には暖炉があります。


Dsc_7662


残念ながらこの建物、応接用のスペースしか残っていません。住居部分は別に売却され、現在はあんこ屋さんになっています。そちらはかなり改造されているようです。


Dsc_7665


外観はこんな具合です。いまでこそ駐車場の真ん中にポツンと立っていますが、当時はどうだったのでしょうか。庭の中央に堂々と立っていたのでしょう。


Dsc_7666


さきほどのクライベイビーズのコンサートが行われるようです。残念ながら参加できません。これから劇団よしこの撮影があります。よしこ最優先です。もう2ヶ月前から楽しみにしていましたから。



Dsc_7667


お城に近い方にお屋敷が多い感じです。



Dsc_7668


北上川近くは、もうちょっと庶民的な雰囲気です。これは岩手酒造組合の工場でしょうか。



Dsc_7669


杉土手のあたりの町並みはこんな感じです。北上川の治水が完璧になってから、この辺りに住宅が出来たのでしょうか。このちょっとの高さの違いが町並みを変えています。



Dsc_7670


盛岡で一番大きい料亭です。いいにおいがあたりに立ちこめています。



Dsc_7671


向かいに金比羅様があります。多分なのですが、水害の多い所と少ない所の境目がこのあたりなのでしょう。


Dsc_7676


家から猫が飛び出してきました。近づいたら引っ込んでしまいました。


Dsc_7677


下の橋町に向かいます。なんでしょうかこの建物は。今横から見ていますが、なんと幅が一間も無い薄っぺらな建物です。倉庫に使っているのでしょうか。


Dsc_7679


やっぱりスプロール化が起きていますが、なんというか新しい景色が出現するという、メリットもあります。



Dsc_7680


カルガモが餌をとっています。雨のおかげで中津川も水量が少し戻りました。



Dsc_7681


盛岡城趾公園の中津川ぞいです。ここは犬の散歩がとっても多い所です。犬ウオッチに最適です。いろんな犬種がいます。公園ではいしがきフェスティバルが行われています。明日はここを少しのぞいてみます。


劇団よしこ「花葬日記」大変迷惑をおかけしました

2012-09-23 03:04:38 | インポート
本番撮影なので、お客様に迷惑がかからないようにしたかったのですが。大変申し訳ない事に、600カット写真をとってしまいました。相当うるさかったと思います。申し訳ありません。
心から御詫びします。
現在その写真を見る作業が終わりました。ただこの時点で解る事なのですが、これは相当うるさかったと思います。あのときは本当にどうにかしていました。
ただとりすぎた言い訳はさせてください。よく言う舞台構成とか立ち位置とかあるんですけど、そのなんと言えばいいのか、生きている舞台でのその誤差がないんです。そうとしか言いようが無い舞台でした。それの写真を撮ると言う事で、かなり夢中になりすぎました。申し訳ありません。

さて写真を見終わったのですが、時間がかかりました。途中泣いてしまうんですね。ちょっと作業が遅れてしまいました。で、脇役からすべてが完璧な位置にいる。どこを撮ってもすばらしい写真が出来る。
その恐ろしい瞬間に立ちあった、カメラマンの行動として、シャッター音がとってもうるさいというとっても良くないことでしたが、すいません。本能のままに動いてしまいました。

自分は理性のある人間だと思っていたのですが、とにかく作品にやられっぱなしです。



劇団よしこ「花葬日記」をみてきた

2012-09-23 00:16:23 | インポート
写真がない?公式写真撮影なので出せないと言うか、まだ自分の撮影した写真を見終わってない。なので出せない。これほんと。

最高です。特に初演を知っているのでなおさら感じます。数段上のパワーアップです。
舞台装置は前回のシンプルさを、和のテイストで仕上げているのですが、これがゴチャゴチャにならずになぜかシンプルさを引き立てています。そこではじまる劇の、シンプルなのに複雑な機微に圧倒されるでしょう。
ネタバレとかいろいろあるのでこれ以上は言いませんが、盛岡市内もしくは周辺の方で、一度は芝居を見たいと思っている方には、心からオススメします。また大昔弘前劇場の芝居を見たのだが、それ以降いい芝居に出会っていない方にもオススメします。そのうえ今まで盛岡の演劇がウルサくてガナリ立てるばかりだと、一回見て敬遠している方にもオススメします。
前回も「花葬日記」は撮影で入ったのですが、まあそのときも泣いた。今回はオートフォーカスって本当にありがたいと思った。ピントあわせられないよ。あれじゃあ。撮影が泣いててどうすんの。もうまったく。
で冷静にしていたつもりなのだが、芝居が終わって立ち上がると膝がガクガク言っているんです。階段上がるのもかなりきつかった。心拍数も血圧も相当いっていたのではないのか。心臓(人体の臓器そのものの)が疲れているのがよくわかる。頭より身体が感動していたようだ。
頭じゃなくって、身体がです、この芝居。感動を司る大脳ではなく、むしろ小脳、いや記憶を司る海馬あたりでしょうか、感動しているのです。
さてこのブログ、ステマでしょうか。とりあえず撮影で入った人間ですからステマと言う人はいるでしょう。でもそれでこの芝居を嫌ったら、損です。間違いなく損しています。大損です。
以前ちょっとPRしましたが、やっぱり本公演は鉄板の舞台です。盛岡演劇史上最高峰のランクです。そして予想以上です。
さて9/23日、14時開演の舞台が最後です。場所は盛岡劇場タウンホールです。当日券一般2500円というお高いチケットですが、確実です。泣きながら撮影した私が保証します。
そしてだが、来年劇団よしこは1年お休みをします。なので来年はありません。この機会を逃す手はありません。
泣けます。あの切なさは本当にジワジワ来ます。