どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

2月17日のカラス

2014-02-18 14:10:11 | インポート
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え~オリンピックですが、私の回りではトリノ・バンクーバーとどんどん話題にならなくなっていたのですが、ソチに至っては全然話題にもなりません。強いて言えばスキージャンプの葛西紀明の銀メダルでしょうか。もの凄い記録なのですが、多分一年持たないだろうなと言う気がします。オヤジの輝ける星と言っても良いのですが。マイナースポーツの悲哀を見ます。昔競輪の中野浩一が世界大会でV9を達成したとき、ヨーロッパではセレブ扱いで美女に取り囲まれていたのに、日本に戻って来たらせいぜいスポーツ新聞の記者に取り囲まれただけでした。体力バカで頭空っぽとヨーロッパ人から言われていたのを、あえてスタンディング勝負で頭脳プレーを披露するなど、実力を見せつけての勝利でした。


マイナースポーツの悲しい所です。そう思っていたら虚報新聞社のニュース「日本、韓国破り雪辱の金 男子スノーボール決勝」が身もふたもない事を書いていました。


とはいえ羽生結弦の金メダルになると、仙台出身ですしとっても親しみがあるのですが、凄すぎてピンと来ない。特にあの容姿は凄すぎる。アンサイクロペディアとリンクしておきました。この記事の後半はアレですが、前半部分は誰もが感じた事だろう。



なおソチの競技会場ですが、雪はベタベタ、氷はカチンカチンでかなり異様な大会になっていると思います。特にアイススケートですが、技術で滑る日本のスピードスケートには相当不利です。体力勝負の所が勝つのは当然です。とにかく滑らないはずです。特に大会初期はとても酷かったように思います。もうちょっと報道なんとかしろよ。





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という事で今日もカラス見物です。この写真は県立中央病院前ですね。



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この日は一次集合地点が不明確になっています。なぜなのでしょうか。




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これは岩手医大教養部のウラです。教養部そのものは集合点になっていません。この周囲に分散して集合しています。



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そして上田一丁目も岩手銀行裏近辺ですね。



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この辺りに比較的まとまっています。




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そして岩大農学部。東側です。




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西側にも多少まとまっています。




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こうして分散している理由はよくわかりません。この前の猛吹雪の影響かもしれません。街の中では風をよける事が出来ません。そのため何本かの木を巡って争っていました。

そう言った文学的な理由かもしれませんが、一番大きいのは日長の変化かもしれません。盛岡市が音響装置による追い払い実証実験を行ったのは1月の7日から15日。16時から18時半まで音を出していたのですが、その時の日没時間は16時30分です。今は17時15分と45分長くなっています。盛岡だと西側に山があるので、光が100lx以下になるのはその15分前当たり、冬なので雲の影響もありその時間は早くなります。


これが行動半径を少し大きくして集合地点を分散化したのかもしれません。特にこの日は天気がよかったのでそうなったのかもしれません。そうしてどんどん分散してゆき、愛宕山の個体が減ってゆくのでしょうか。


しかしカラスは面白い鳥です。身近な鳥なのに解らない事が多すぎます。


凄い天気だった

2014-02-17 02:38:59 | お天気
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15日から16日の天気が凄かった。どう凄いと言えば午前3時から午後8時までに12センチの重い降雪があった。日中少し気温が高かったので、積雪は18センチまでなったが夕方の猛吹雪は凄かった。それがだ、午前0時からの強烈な風で、新たに積もった雪がほとんど吹き飛ばされてしまったのだ。あの重い雪がだ!

いったいあの雪はどこに行ったのだろうと思うほど無くなった。だが風の渦巻く所には当然吹き溜まる。家に入れなかったとかそう言った話しも出た。

しかしだ、16日の午前3時からモサモサと降り始め、9時までには15センチまで雪が積もった。

なのに駐車場には地面が見えている。もちろん夜間に車が止まっていたからだ。でもこの下には5センチの固まった雪があったはずだ。





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9時から気温がプラスに転じ10時からはプラス四度以上を記録し続ける。かなりあったかいのだ。一応除雪したのだが、見る間に雪が溶けてゆく。6時間で6センチ溶けた。


だがこのデーターは、少し微妙だ。盛岡の気象台は山王の丘の上にある。そして丘のてっぺんまで住宅に囲まれている。積雪データーがかなり風の影響を受けたものと思う。
高松の池に行くと、飛ばされた雪が集まったようで、かなりグズグズとした道になっていた。




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気温が高いので高松の池の鯉に餌をやる人の姿が多い。溶けた雪で辺り一面ビチョビチョなのだが。




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カラスの死体と思ったら、なんとオオバンの死体でした。最近高松の池に来る数が増えていたのですが、まさか死体を見る事になるとは。
しかしわざわざドウダンツツジの植え込みの上に置く人は、何なんでしょうか。




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こちらの写真の黒い鳥が、生きているオオバンです。キャベツを貰って喜んでいるようですが、ちょっと固いのかなかなか飲み込めずにいました。




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カラスは元々多いのですが、やはり数が多くなっているように感じます。
盛岡市の音響兵器で、カラスの生息地域がかなり変わったように感じます。




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今回はミコアイサがかなりいました。もう数えるのも面倒。ぱっと見た目で10羽はいます。特に群れを作るタイプでは無いので、たまたまでしょうか。




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ミコアイサのメスをオスが追っかけている、と言った画です。でもメスが餌らしきものをくわえているので、食い物争いのようです。
いつもはミコアイサは数が少ないのでこんなシーンには出あえませんが、今回は何かいっぱい見れました。






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今年の型松の池の氷はかなり薄いです。昔ここでスケートをしていたとは思えません。




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鳥の写真を撮るといつも思うのですが、昔の日本画の画家達の観察力の凄さに驚きます。もちろん誰かが発見した型を使っている場合もあるのでしょうが、それでも凄いですね。




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餌を求めていきなり陸上に飛び立つオナガガモ。ビックリします。





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高松の池は白鳥飛来地で有名なのですが、あまり撮影していませんね。結構この鳥を撮影するのは難しいです。何しろ巨大です。




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池の堤側では、カラスが集まっています。この木の影がトネリコの木だったら良いのですが、柳です。




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その木の上ではカラスがカアカア言っています。何を訓示しているのでしょうか。集まった部下は全然関係ない方向を向いています。




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今日一日は結果温暖な一日でした。でも風は強く、午後四時の時点で気温は4度なのですが、道路に氷が張りはじめていました。




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月が出ました。


吹雪のカラス達

2014-02-16 02:17:49 | インポート
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2月15日は、首都圏の大荒れと違って日中は穏やかでした。気象庁が大雪の予測は難しいと言っていますが、まあ本当。降雪確率90%が大はずれです。とはいえ低気圧の動きを見れば夕方から猛烈に降るはずです。




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四時頃から降る初めた雪ですが、5時にはかなり強くなっています。この中で、このカラス達はどこに移動するのでしょうか。今日は建物より手前に集まっています。風が弱いのでしょうか。



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ブワ~と飛び立っていますが、風が強く吹き飛ばされるカラスもチラホラ。逡巡しているようにも見えます。北の方から向かってくるカラスもちょっと違う方向に飛んでいます。



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仁王小学校から盲学校への通りに集まったようです。この頃には猛吹雪になっています。



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とはいえまばらな感じがします。

カラスは朝に餌を求めて分散してゆきますが、夕方はまず仲間を集めて小さな群れになります。三時頃に電信柱のてっぺんでカアカア鳴いて集めているようです。そして仲間を集めながらいっぱい餌を集めます。四時頃のカラスののど元はプックリ膨らんでいます。ここに一時的に餌を溜め込む事が出来るようです。そして仲間を集めながら一次集積地に向かう訳です。


あとカラスは子育て期間が長い鳥でも有名です。巣立ちから越冬近くまで子供にかまってやっているようです。7月頃まではくちばしの中が赤い幼鳥が親に甘えている姿を良く見ます。さすがに9月になるとそんな姿は見ませんが、大きな親とほっそりした子の組み合わせはよく見ます。

この家族単位が群れになってゆくようです。その上で本家・分家関係なんかあるのかもしれないと、思ってしまいます。



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そう言った意味では今回の群れの並びは拡散しています。いつもの一直線ではありません。どうもあの一直線と言うのは、序列の結果だったようにも思えます。天候が安定していれば場所取りも問題にならずに、力のあるグループに従って並ぶのでしょう。
この交差点からクロス状に並んで一部は仁王小学校の木立の中に入っています。小さな単位の移動もしょっちゅうです。

どうも良い場所を探しあぐねているようです。実際この時点で吹雪でかなり風も強くなっています。





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この時間で風速6~8メートルです。やはり木立の中がいいのでしょうが、ここのすぐ近くには木立がありません。
夜半の最大風速は22メートルの北風です。この後どこかに移動するにしても暗すぎますし、市街地とはいえ高い所は風が強いでしょう。


嫌われ者のカラスですが、同情します。幸いなのは気温が低すぎない事。現在ー1度程度です。低気圧が呼び込む南風が影響しているのでしょうか。
町中にカラスの死骸がゴロゴロって言うのは一番いやですね。ガルシア・マルケスの初期の短編みたいです。



でもいくらかは、この風で吹き飛ばされているのでしょうか。


さまよえるカラス達・盛岡

2014-02-15 02:42:36 | まち歩き
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盛岡市が1月7~15日の間、カラスの冬営地の愛宕山にトンビの鳴き声とカラスの警戒音を午後4時~6時半に30分間隔で流した。結果5000羽いる群れの一部が市街地になだれ込んで来た。


読売が詳しい。


気がつくのがずいぶん遅かったが、これはかなり面白い。
私の観察しているエリアは北側になるので、もしかすると観察しているエリア以外で夜営地があるかもしれない。




なお9月に撮影した映像があります。

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YouTube: 盛岡・愛宕山のからす





この映像で少し明快ではないのですが、夜営地の近くにカラスは一旦集まります。明るさに依存していると言われています。1次集積地とでも言いましょうか。そこから次に大きく集まる2次集積地が形成されます。そして一気に夜営地に飛び立ちます。撮影が9月なので明快ではありませんが、カラスによってずいぶん行動にバラツキがあるものだと思いました。このバラツキのために集積地が1次2次と重なるのかもしれません。




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2/9日です。上田通りの電線です。さわの近くかな?ここから盛岡一高に移動する様子が見られました。



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岩手大学農学部近くに集結しています。時間は午後5時です。




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ウワ~




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ただ言われているより数が少ないです。



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また大きな群れが飛んでいます。するとさっきのは1次集積地なのでしょうか。まだ本命がいるはずです。





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2月10日についに本命らしき集積地を発見。岩手医科大学教養学部です。




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5時13分頃です。一気に飛び立ちます。とはいっても飛び立って旋回してを何回か繰り返し、最終的な夜営地を決めるようです。特に町中なので結構不安定なようです。




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今回は本町の旧町名三戸町に決めたようです。




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どんどん並んでゆきます。





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それでもまだ、教養部の上空にはいっぱいいます。




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真面目に千羽はいそうです。どんどん増えてゆくますが、この日の観察はこれで終わりです。




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さて2月12日です。午後5時。上田通りに沿ってカラスの群れがやってきます。撮影場所は岩手県立中央病院前ですね。




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どうも岩手医科大学が集積地になっているのは、決定なようです。




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とはいえこの日のカラスの動きはかなり分散しています。一次は医科大として2次は岩手県福祉総合相談センターにゆき、大通り商店街に向かいます。




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さてどこに向かうのでしょうか。



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大通りの東側の路地です。ホテルエースの当たりです。




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どうも朝日生命盛岡中央通ビルが夜営地になりそうです。とはいえここで観察が終わっていまして、もしかするとここから菜園に移動した可能性もなきにしもあらず。落ちている糞とかを見ればそうなのかも。ガマガエルの観察と違って、高等生物なのでどう判断しているのか全く予測が出来ません。




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2月13日の観察です。やはり岩手医科大教養部に集まります。



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岩手大学農学部に一次集積が見られます。



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この日は月がきれいなので、ちょっとカッチョよく撮影したいものです。

1次集積の分散傾向は12日と同じようです。




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今日はどこに泊まるのでしょうか。



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ブワ~っと飛び立ちます。上空旋回の無い飛び方です。夜営地に向けて飛び立ったようです。




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観察期間が短いので何とも言えませんが、多分これは最大の集積。




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とはいえまた分散します。




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そうして七十七銀行近辺に集結しました。




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イヤ真面目に凄い。



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しかしカラスの面白い所は、ほとんどが互い違いに並ばない事ですかね。電線だったら一直線に、ビルだったらこうしてしっぽを外に揃えて並んでいます。そして切れたようにある所から先には絶対並びません。出来るだけ一直線に並ぶようにしていると思われます。


なかなか観察時間が取れないのが辛い所です。もう一時間は欲しい所ですが、そうすると暗くて撮影が難しくなります。


ナゾの足跡と三陸鉄道

2014-02-12 03:25:39 | インポート
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凍った歩道をみて、変な事に気がついた。大きな足跡ばかりが残っているのだ。大体靴のサイズで30センチ程度だろうか。人は歩く時につま先に少し力がかかる。雪の足跡だと、つま先の少しの雪が跳ね上げられて1センチほど大きくなる。だがそれにしても大きい。


この理由はよくわからない。考えられるのは足の大きい体重のある人が、一番最初に歩いた後だとなる。だがその後も人が歩いてかき消されるはずだ。それに初めに小さい足が通ったら、それが残っても良さそうだ。


多分なのだが、大きくて体重のある奴が雪を圧縮するのだろう。先に小さくて軽い足が通っても、その足跡を破壊して更に圧縮するのだろう。薄くて固い層が出来る。その後に通った体重の軽い人のは、その層を破壊できないのだろう。そしてその層が凍結するから目立つのだろう。



ビブラムパターンのソールもある。あのゴムは固い。雪を簡単に圧縮するのだろう。




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三陸鉄道で驚くニュースが出た。



東日本大震災で不通になっている岩手県のJR山田線宮古-釜石間(55.4キロ)の復旧問題で、JR東日本は11日、被災した駅舎やレールを再建したうえで鉄道施設と土地の全てを自治体に無償譲渡すると地元に提案した。既に、運行は第三セクター・三陸鉄道(本社・宮古市)への譲渡案を示しており、同区間の経営から撤退する方針だ。譲渡後の支援策として、10年間分に限り予想赤字計5億円を一括で補填(ほてん)する考えを示した。



これは毎日新聞。



【東京支社】JR東日本の冨田哲郎社長は4日の記者会見で、東日本大震災で被災し休止中のJR山田線宮古-釜石間について「復旧に必要な140億円については負担して復旧していこうと考えている。その上で、山田線運営を三陸鉄道に移管することを提案した」と鉄路の復旧を明言した。
同社は1月31日の復興調整会議で、三鉄への運営移管案を提示した。冨田社長はその理由を「利用者の見通しは非常に厳しいが、三陸鉄道の南北リアス線と一体運営することで、地域密着型でコンパクトな経営を行い、持続可能性の高い運営形態を実現するため」と説明。



これは岩手日報。


三陸縦貫鉄道は、昔から構想はあってそれが実現寸前だった頃に国鉄の赤字が酷くなり、用地や路線が引かれているのにも関わらず、開業が見送られた。その路線が通っている区間を第三セクターで運営する事で解決を見たのです。


ただそれでも宮古ー釜石間はJRの管轄下にあって、分断された路線でした。それが急転直下、いきなりJRの大幅妥協です。JRが震災の復旧費用も出すし、その土地権利も無償譲渡、そして10年間の赤字補填!

企業としてはあり得ない譲歩です。株主総会でも必ずや言われるポイントです。


なぜ譲歩したのかと言えば、明らかに岩泉線の問題でしょう。赤字路線で2010年以降土砂崩れで不通。そして岩手県が開通を強く押し出していた路線です。確か300億とも言われる復旧工事です。これに対してJRは道路整備までやるから廃止させてくれ!と岩手県と交渉してきました。


まあこれも凄い妥協ですね。JRはこれで20億の出費します。そして土地権利も無償譲渡します。300億に比べれば安いものです。



JRは撤退が安いと判断したのですが、これによって夢の三陸縦貫鉄道が出来る訳です。
もしかするとそういったドリームは、NHKの朝の連続ドラマ「あまちゃん」が後押ししたのかもしれません。




ただこの三陸鉄道に関しては、JRは初めから宮古ー釜石間を出資と言う形で譲渡してしまった方が、良かったのは間違いがありません。当時はまだ沿岸の鉄道が元気でした。この頃に三陸縦貫鉄道が一括運営されていたなら、客の利便性や依存度も変わったものと思います。ただJRが民営化する直前で、JRは赤字を減らすために高値で売りたかったがそれは全く出来なかったのも事実です。


しかしずいぶん高い歴史清算になってしまいました。