晴れた。雫石川も北上川もいっときのあの増水ではなくなったが、まだまだ水は多い。
ただ天気図を見ても週間天気予報を見ても、梅雨が開けたわけではない。むしろ迷走している台風5号の影響が出そうで怖い。
まあそれよりも、今世界にあふれている「不安」の低気圧が何を起こすのか。
涼しくなって庭の草取りをしたら、虫に食われまくってほうほうの体で逃げ出した。
晴れた。雫石川も北上川もいっときのあの増水ではなくなったが、まだまだ水は多い。
ただ天気図を見ても週間天気予報を見ても、梅雨が開けたわけではない。むしろ迷走している台風5号の影響が出そうで怖い。
まあそれよりも、今世界にあふれている「不安」の低気圧が何を起こすのか。
涼しくなって庭の草取りをしたら、虫に食われまくってほうほうの体で逃げ出した。
高松の池の釣り堀のカイツブリの巣が、またしても流れてしまった。
実は二十四日の朝にはしっかり巣があったようなのだ。それがなんで流されたのかと言えば、大雨が降ったからといって急に池の水位が上がるわけではないからだ。市街地にある池なので、下水が完備された中にある。雨水の流れ込む状況ではないのだが、山に染み込んだ水が上流部から一気に噴き出したようだ。どうもその時間差のようだ。
しかもだ、釣り堀の排水堰の近くに巣があったものだから、押し流されてしまったのは間違いがない。普段は水流のゆるいところなのだが、40センチ以上水位が上がったようなのでひとたまりもなかっただろう。
海水温の上昇が大雨をもたらしていると考えられるが、なんでそうなったかと言えば地球温暖化なんだけど、それは人類のせいなのだけど、今の生活を手放そうという人類もいないわけで。
台風5号と6号が南鳥島近くで発生したのも、かなりおかしなことなんだけど。5号が絶賛大迷走中で一体どうなるのか。
世の中不安だらけだから、本質を見ようとしなくなる。
梅雨だねぇ。
昨日の凄まじい雨はから、曇り時々小雨の一日になった。
仕事で午後はほとんど山にいた。
時折小雨が降る中、撮影は順調に進む。もうオオウバユリの季節だ。
飛んでいった抜け殻が、至る所にあった。
山といっても里に近いので、ブルーベリーが植えられていた。そろそろ収穫期だ。
蝉時雨の中、山にいるのは気分がいい。
そう、手入れが行き届いた山は、それは古い日本だからだ。
山の音には五線譜はないが、秩序がある。
さて、頭でっかちな世界に帰ろうか。
東北は梅雨明けする直前にすごい大雨が降ることがある。そして今年は常に降れば大雨だ。九州の災害もそうだし、今回も秋田で大災害になったようだ。盛岡は一日中災害情報のエリアメールで騒々しかっただけで済んだ。
そう言えば災害情報のエリアメールの着信音って、震災の時のあの不吉な感じの音ではなくなって、微妙に可愛らしいが、何か不思議な音に変わっていた。
降った。一日127ミリ、1時間最大が23ミリ、10分間最大が6.5ミリ。一日の降水量としては歴代5位になりそうだ。七月の平年降水量が185.5ミリなので、平年の68%の雨が一気に降ったわけだ。これで今月の降水量は265.5ミリ。乾いた月かもしれないというのは遠くの予想になった。
台風も変なところに発生しているし、海水温が高いのだなぁというのはわかる。なので降れば大雨になりやすい。
今日の大雨の一番は寝坊して聞けなかったが、昨日の大雨は「蜜蜂と遠雷」を読んでいて全く気にならなかった。
今日も読後の印象を考えていて、雨音は気にならなかった。
読む前から、この本は「ショパンの森」という漫画への反証ではないのかというのがあった。漫画というのは絵で説明できるし、逆に言えばドラマの無理なところも絵で説明できてしまう。青年誌に掲載されていたが、ある少年の成長冒険にもなっているので、枠としてはかなり広いこともある。それを小説にするとなるとコンクールに焦点を当てた狭い枠にするというのは正しい。そして登場人物を限定しドラマを広げて、その上でコンテストの問題を書き出してゆく。特にコンクールの問題点については随分取材したのではないのだろうか。
そしてなのだが、天才がズラっと並ぶ年とか、本当にあるのです。
この小説が出てから、絶対音感がどうのこうのという人がいるのだが、実はちょっと違う。耳がいい人というのがこの本の人たちだ。絶対音感は例えばインドの音楽家は1/8音階のピッチだ。1/4ピッチというのは世界にゴマンとある。1/32となれば、実は演歌だったりするがこれを説明できる言葉は実はない。世間でいう絶対音感は1/2ピッチの音だ。12音階のピッチでしかない。その平均律の世界は訓練すれば誰でもわかるものだと思う。ソルフェージュの世界で、逆にこれで訓練されてしまうと寺の鐘の音が全部和音に変換されてしまうという苦痛な世界が待っているわけです。
世界は音に満ちている。だがそれに誰も気がついていない。音楽家だけはわかっているが、それをどう伝えるのか。これはすごい精度で書かれていると思う。
音楽というのは相当にめんどくさいものなのだよ。
とにかくすごくよくできた本だ。だが誰の演奏を参考にしたのかというのは考えない方がいい。その誘惑にかられるが、やはり各等する人物はいないのだ。今のクラシック界で起きているのはまさに、新しい音の出現なのだから。
今年もやってきました。材木町酒買地蔵尊例祭です。この日は大雨で10時頃から降り注いだ雨は16時まで18.5ミリと大雨になりましたがしかし、午後4時からは雨も止みました。
300円で岩手の地酒、しかも大吟醸クラスを飲み比べられる「岩手地酒巡り」を目指します。ただ雨が止んでから出発したので、到着したのが16時30分、地酒巡りは例年17時開催だったのですが今年は16時半開催ということで、遅刻してしまいました。
今年の岩手の地酒ですが、同じ方向性をパキっとみんな向いているようで、突出してどうかというお酒はありませんでした。これは鑑評会の基準が変わったことと無縁ではありません。世界に日本酒を輸出するためには、コメからできているというのを強調する必要があり、つまりはワインと同じような品種やテロワールなどの特徴が出るような酒造りが推奨されているから。とはいってもワインのように絞ったのを一定温度で管理すれば勝手に発酵する(言い過ぎか)ワインと違い、麹を使って糖化させて酵母を使って発酵する日本酒はそのあたりが出にくいとも言えましょう。
そのせいかこの3年でフルーティーな吟醸香より麹の香りの残る、甘い酒が増えてきていました。それでもまだ蔵ごとの個性があったのですが、管理をカッチリするようになったのでしょうか、久慈の福来や紫波の廣喜のような香りに癖のある蔵がいきなりおとなしくなり、辛口がウリだったのに徐々に甘口にシフトしていた釜石の浜千鳥が明快に甘くなったことなど、明快に甘口の方向に全てがなりました。純米大吟醸ばかりになったというのも理由のようです。
逆にかなり前から味の方向を決めていた鷲の尾や八重桜、月の輪、菊の司などが安定していて好感が持てます。南部美人も安定していますが、最近麹の香りを弱めて、濃厚さを抑えてきたようにも感じられます。
管理技術の向上で味が均一化するというのは致し方ないかもしれませんが、逆にこうなると金印の方が特徴が出そうですね。なお米の品種による違いですが、菊の司さんが別ブースで亀の尾を使った酒を出していましたが、爽やかな仕上がりになっていました。あと美山錦を使ったのも雑味がなくていい酒でした。岩手の酒造米の吟ぎんがなのですが、このコメでの酒作りはどうも難しいようで、特有の香りが残るように感じました。岩手の酒造米ではぎんおとめの方がスッキリゆくようですが、生産量が少ないのかあまり見かけません。特徴が出にくいのかもしれません。
酒造米に関しては、なぜか戦前のコメばかりがもてはやされるという、品種改良技術の進歩から考えれば不思議なものです。
なお憶測ですが、岩手の蔵にある冷蔵庫が、全部新しいものに変わったのではないのか?もしくは蔵の空調管理が完璧になったのではないのかと。そう考えられるところがあります。
ということで、本当に飲んだな。