ある気功師・608
いろいろな思いが混濁、混乱する中での治療。
それらの思いに対応しては力が弱くなる。
そんな思いなど感じない静寂を目指す。
究極の鈍感野郎を目指す。
故師匠の言葉を思い出す。
「私は霊感など無い、感じないのだ」
感じなくても霊は喋る。
本人、あるいは近くの人の口を借りて話す。
私の目指す方向が解ると、故師匠の言葉が解る。
いつでも自分は静寂なのだ。
仏教的には、その静寂が慈悲でもあるのだろう。
いちいち感じてはいられないのだ。
(本館は、HP「気の空間・氣功療法院」検索
ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)