昭和33年に父方の祖母が亡くなる。
性格のキツイ姑だったが、母しか頼る人はいなかった。
また、実際に母しかメンドウをみられなかったろう。
晩年は寝たきりの状態を介護してきた。
私は五歳で、ほとんど憶えていない。
脳細胞は、小学3年生くらいまで働いていなかった。
母方のラテン系祖母は、昭和39年だった。
こちらは憶えている。
隣の地区の叔母の家から、歩いて来ていた。
明るい祖母だった。
私は小学6年生だった。
脳細胞は、結構働いていたようだった。
この頃の私は朝の牛乳配達をしていた。
子供時分に働いたせいか、今はナマケモノになった。
私はどうやら根性が無いようだ・・・
今の治療家は天職だから、働いている感覚が無い。
生きている存在理由みたいに、自然だからだ。
これじゃあ、雇われる仕事は出来ないなぁ・・・
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
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