水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
幸の項(こうのこう)
誰でも、どんな状況下でも幸は出現する。
だが、それを出すのは本人だ。
もちろん、他が応援はできる。
お互いの助け合いもあるだろう。
自は他と関わり、生きていける。
それでも、生命は個にある。
どんな深い関わりがあっても、
最終的な決断と行動は個にある。
幸も健康も本人が決める。
難しくはない。
固定概念の幸は難しい。
固定概念の健康は難しい。
だが、本人専用なら難しくない。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
幸の項(こうのこう)
全ての生物にある健康。
どんな状況の生命にもある健康。
だから、全ての生命に幸が付く。
どんな状況下でも幸が付く。
ホンモノとはそういうものだ。
健全な肉体。
健全な精神。
そんな幻を本気で信じなでね。
本気で口車に乗らないでね。
今の状況から健康になれる。
今の状況から幸が現れる。
全て、個々に対応したものだ。
だから、大丈夫。
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幸の項(こうのこう)
この世(物質界)は諸行無常だ。
万物流転の世界だ。
生物も当然、例外ではない。
衰え、死なない生物は無い。
健康が健全という基準にあるなら・・・
誰一人、当てはまらない。
ほんの一時なら、健全はありうる。
だが時は流転し、肉体も心も常に変化する。
この世での真があるとするなら・・・
それは絶対のモノではない。
常に流転し、無常のモノだ。
健康然り、幸も然りだ。
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幸の項(こうのこう)
健康を浅くとらえると間違う。
身体や心が健全なのが健康じゃない。
そんな人はいないのだ。
この世は、生まれ、育ち、衰える。
最後は死ぬ。
身体も心も必ず病む。
そういうことを体験するように生命がある。
健康は、健全が土台ではない。
生まれつきの心身の障害だってある。
その個体なりの健康。
平均も基準もない。
生命は個性として存在しているのだ。
健康も全て個としてある。
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幸の項(こうのこう)
幸が目的ではない。
幸を優先して求める必要もない。
だが、幸になるのは難しくない。
幸の存在理由が解れば、難しくない。
幸になる方法。
幸を求めなくてもいい。
勝手に、幸になれる。
主体は肉体だ。
本当の意味の健康。
それを求める。
それを目的にする。
幸は勝手に付いてくる。
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幸の項(こうのこう)
幸は見える。
確かめられる。
判りやすい。
肉体に付いているモノだから。
精神論だと曖昧になる。
綺麗事で誤魔化せる。
人の煽動に利用される。
謳い文句で、金儲け・・・
今まで、幸は勘違いされてきた。
だから、言葉で釣られた。
でも、実際に幸になった人は少ない。
幸であり続けた人はマレ・・・
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幸の項(こうのこう)
幸を心や精神の分野だと勘違いする。
心や精神などは、見えない世界だ。
見えない世界の解説は多種多用。
立場によって、説明が変わる。
そして、見える世界への応用は難しい。
いい話、立派な話はゴマンとある。
だが、実行は難しい。
一度なら出来る。
だが、実行し続けるのは難しい。
幸が肉体の分野なら話は変わる。
見える世界だ。
実行も判りやすい。
見える世界だから、曖昧が少ない。
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幸の項(こうのこう)
生命。
この世は生命の為に存在している。
万物は全て生命に繋がる。
事象は全て生命に関係する。
この世では、生命は有限だ。
だから、全うする生命が最高となる。
その為に、様々な事象が用意されている。
最優先は、全うする生命。
幸福になる答えは簡単だ。
生命(肉体)が全うする状態。
精神(魂)の為じゃない。
まして、心の満足ではない。
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幸の項(こうのこう)
幸福論の多くは、幸福になる方法だ。
何故、幸があるか、は問われてない。
何故、幸を求めるか、は問われてない。
幸の解明はしても、その背景はない。
何故、幸があるのか。
何故、幸を求めるのか。
何故、幸が必要か。
それが理解できれば、方法は楽になる。
何の事はない。
全ての事柄は、一つに集約される。
この世では、全てが一体になる。
いつでも、大元に繋がる。
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幸の項(こうのこう)
生物は幸せを指標に存続できた。
そして、存続している。
この指標が無かったら・・・
生物は存続できなかったろう。
幸せは何処にも、あった。
いつでも、あった。
誰にも、あった。
気づくか否かは、本人次第。
何しろ、本人に付いているのだ。
生きている肉体に付いているのだ。
実体の無い存在以外は、幸せが付いている。
気づくか否かは、本人次第。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)