水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
幸の項(こうのこう)
何故、幸せを求めるのか?
答えが、やっと見つかった。
それは、本能に備わっていたからだ。
本能は、理屈がいらない。
幸せを求める。
幸せになりたい。
理屈なしで、幸せに惹かれる。
人間としての理屈はないが、
この世の仕組みとしては、理由があった。
幸せは、生命の指標だからだ。
指標が無いと、迷うからだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
幸の項(こうのこう)
幸は個人の満足の為ではない。
幸せに生きるのは、魂の為ではない。
生きる目的でもない。
生きる指標なのだ。
生命があるから、生きる。
生きるから、生命がある。
この世での生命は、体験の為にある。
この世は肉体に生命が宿る。
幸せに生きるのは、生命の為。
幸せに生きるのは、肉体の為。
幸せに生きるのは、体験の為。
幸せに生きるのは、存在の意味の為。
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幸の項(こうのこう)
生命の方向に幸が出現する。
幸を重要視するのは意味がある。
ここの仕組みが理解できると・・・
幸せが人生で指標となる。
幸せに生きる。
それは、とても意味深い。
とても重要な事。
生きる役割など二の次だ。
ひたすら生きる。
幸せに生きる。
それは、同じ生き方だ。
人を含めた全ての生物。
幸せに生きるように創られた。
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幸の項(こうのこう)
人間だけじゃない。
イヌ、ネコ、タヌキ。
鳥、魚、微生物。
木、花、キノコ。
(無機物も生物なんだけど・・・)
皆、神の口から出る言葉で生きている。
人間の言葉じゃないのだ。
当たり前だけど・・・
生きる事は、生かされる事。
だから、生きている事に意味がある。
生きているだけで、意味がある。
全うに生きる事が最高の生き方になる。
その為に、様々なグッズを用意してくれた。
その中で、大きなグッズとして「幸」がある。
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幸の項(こうのこう)
神の口から出る言葉。
それは、生命そのもの。
それ以外の意味はない。
だから、生物は皆生きられる。
パンで生きているわけじゃない。
パンは維持するのに必要だけだ。
死んだら、パンをあげても生きられない。
こんな当たり前を、いたるところで忘れている。
キリちゃんは重要で当たり前を言った。
生きる、は、生かされている。
神の口から出る言葉。
聖書の言葉にすり替えるのは、冒瀆というものだ。
まぁ、神はそんな事ぁ気にしないけど・・・
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幸の項(こうのこう)
信者は善男善女。
信じる意味を理解していない。
だから騙される。
騙されている事にも気づかない。
神は言葉を話さない。
こんな当たり前が理解できない。
この世に最初にあったモノ。
生命の元。
人間(生物)の言葉じゃない。
生命の元は、何処から?
神という概念、あるいは存在は、ここで必要だ。
神の一部。
神の愛。
神の言葉。
表現は何だっていい。
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幸の項(こうのこう)
神の言葉。
何を指すのか。
教会などの組織は大喜び。
これを、言葉と訳すからだ。
言葉なら、教える人が必要。
言葉なら、意味はどうとでもなる。
教える人がいれば、信者が増える。
宗教組織は、貢ぐ信者で太るのだ。
ワシは常々思う。
信者は始祖の教えから、一番外れているのではないか?
仏教信者もキリスト信者も同じだ。
宗派組織や教会の言葉を信じ、始祖と直接繋がらない。
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幸の項(こうのこう)
「人はパンのみで生きるにあらず」
こう思う人も多いだろう。
何しろ、言った(かどうかはアヤシイが)のはキリちゃんだ。
超偉人のキリちゃん(キリスト)だ。
ワシの「生きるだけでいい」は、見劣りする・・・
だが、ワシはキリちゃんと相性がいい。
ワシはキリちゃんが好きだ。
もっとも、固定概念のキリストは少し違う。
キリちゃんは、もっと自由の人だったろう。
キリちゃんの言葉と矛盾しない。
というか・・・続けての言葉。
「人は神の口から出る言葉で生きる」
この言葉の訳が間違っていると思う。
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