私は闘う (文春文庫) | |
野中広務 著平成8年) | |
文藝春秋 |
野中広務『私は闘う』読んでみた。
人にはそれぞれ大なり小なり闘いの歴史があるものですが、この人のそれはそれでスケールが大きいのには圧倒された。
自治大臣在任中は「オウム真理教との闘い」。小選挙区制など政治改革をめぐって「小沢一郎と闘う」。自社さきがけの村山連立政権擁立での攻防。政と官をめぐって大蔵省とのバトル・・。政治信条は保守の立場にいながらも、それにとらわれず縦横無尽に行動してきたリベラルな保守政治家だと思う。
縁者無縁のたたき上げ
今日でも政界は首相を始め二世、三世の世襲議員、さらには官僚議員が多いが野中広務はちがう。町議、町長、府議を経て国会議員になった。学歴は旧制中学校を卒業しただちに鉄道局に就職した。いわば「たたき上げ」の苦労人だ。
上官の言葉で生きる気に
軍国青年で20歳の時に終戦。日本が負けたことが信じられず茫然自失していた。配属の部隊は高知県、坂本竜馬の銅像の前で自決をしようとしていた矢先、部隊の将校が「お前ら死ぬ勇気があれば、これからの日本の国を建て直す勇気に変えろ」と檄。この将校は戦時中から「東条英機が作った戦時訓など軍人勅諭があるのに駄目だ」と公言してはばからず上層部のご都合主義を見抜いていた軍人だったという。優れた人物(上官、上司、先生など)にめぐり合っていたことも人の生き方を大きく変えるものだと感じさせる場面だ。
官僚腐敗を追及
野中は「大蔵解体論」を主張した。幹部接待、権力集中など当時の大蔵省エリートの腐敗は目に余るものだった。特殊法人の見直しなど、官僚と政治家の関係を正しい方向に追求したことは必ずしも十分だったとは言えないながらも評価はできる。
権力一強政治はなじまない
野中広務の先見性は、当初から政党助成金制度や小選挙区制に否定的だったこと。この政治制度はつまるところ2大政党制ではなく1党が独裁になると憂いていた。
かつての自民党には野中広務のようなキーマンが進言しその改革案を実行することで自浄作用があった。彼の目指して闘ってきた理想は今もその輝きを失っていない。
ところで現在進行中の安倍一強体制はどうだろう。政と官の関係、選挙制度、党内民主主義、人事権の内閣集中、憲法をめぐる運用・・野中広務のめざしてきた理想とはあまりにも大きくかけ離れているように見える。いまこそ野中広務的な柔構造の保守政治を取り戻すことを願うばかりです。
美しく闘おう:東京大学 応援歌 【 闘魂は】