紛争地で兵士から武器を回収し、その後の兵士たちの社会復帰をケアする「武装解除」職の女性、瀬谷ルミ子さんは上州出身だった。
生まれは群馬県新里村(現桐生市新里町)。1学年45人しかいなかった小学校時代から特に英語の環境に恵まれていたわけではなかったが努力して語学を勉強。前橋女子高、中央大国際政策文化学科を経て、英国ブラッドフォード大平和学部で紛争解決学を学ぶ。
その職業的任務は正式には「DDR」。兵士の武装解除(Disarmament)、動員解除(Demobilization)、社会復帰(Reintegration)。
妙齢の女性が、殺気立った紛争地に行くだけでもかなり勇気の要ることと思われますが、そのリスクよりも使命感が上回っている。志望のきっかけは高校3年のときルワンダの大虐殺を新聞写真で見た衝撃から。
多くの紛争地で、日本人の彼女に言われることは「日本は戦争でアメリカやヨーロッパから総攻撃を受け原爆まで落とされボロボロになったのになぜ復興できたのか、教えてくれないか」と。
アフガニスタンでは日本人が武装解除を求めると、兵士たちは信頼して素直に武器を差し出した。日本はアフリカ大陸で植民地支配をしていない。支援を行うにも政治的な下心はなく中立的な国と受け取られ、現地人からはむしろ希望を与える存在に思われ友好的だ。
「他の国がどれだけお金を積んでも入らない価値をもっている。日本人の多くはそれを知らない。そして世界で一定の地位を築いた今、その道を失い自信も失っている」と瀬谷さん。
どこか小田実の遺言にも通づるものを感じます。防災強国となり平和の使者に徹した国になろう、と呼びかける小田の言葉が遠くから聞こえてくるようだ。瀬谷さんは自身の経験からも「資金協力か自衛隊派遣か、の二択ではなく新しい選択肢をつくること」と語る。
2011年、『Newsweek日本版』「世界が尊敬する日本人25人」に選ばれた瀬谷ルミ子さん。彼女が上州女性だったことは重ねて嬉しいことだ。
職業は武装解除 | |
瀬谷ルミ子著 | |
朝日新聞出版 |