「江戸東京博物館以外に今戸人形は存在しない!」、、、この夏の前に私にとってかなりショッキングだった江戸東京博物館の学芸員さんのご発言についてこのブログ上で記させてもらいました。その際、実際発行された報告書の中身についてもええーっ!!ということがあった由記したところ、それはどんなこと?知りたいというご意見もいいただいていたのですが忙しくてそのままになっていました。現在も結構いろいろ忙しくてドタバタしているのですが、自分としても「おかしい」「変だ」と思うことははっきり伝えきれていないと胃もたれが続いているような感覚だったので記してみたいと思います。
この報告書137ページあり、その中で最後の生粋の今戸焼の人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお残しになった土人形や写真資料等について触れているのが91ページから125ページまでの35ページにわたります。その中で春吉翁作の土人形が江戸博に寄贈された経緯、春吉翁についての思い出(故・牧野玩太郎さん)、春吉翁についての概要、そして春吉翁在世当時の写真資料と寄贈された土人形の図版ページと展開されます。金澤家から江戸博に多数のお人形が寄贈されてよかったと思う唯一の点はお人形がとりあえず図版となって発行され、多くの人の目に触れるきっかけとなることだと思います。ただせっかくカラーで図版になるのなら横面裏面底面とすべて画像でありのままを伝えてもらったほうがありがたかった、、というのは私の個人的意見であって、聡明な学問の世界の人(雲の上の人)のやり方ではこうなるしかないのかな?という感じでしょうか。実測図は遺跡の出土品などにも常套的なものではありますが、考古畑の人ならわかるのかもしれないけれど、私のような頭の悪い人間には却って形状を把握しにくいし、おそらく実測して図面にした人の癖によって同じ立体も変化して表現されているのではないかという不安を持ちます。断面図がありますが、何故そこで断面しなければならないのか?という不思議な図もあります。例えば頭から足の先まである人形なのに真ん中で断面すると頭から又までの胴体しが描かれない。足はどうすんの?というようなケースです。もしこれが美術系の博物館だったら画像も変っていたことでしょう。でもよくわからない実測図でも人形の形状を伝えようとしている努力というものは汲みとるべきでしょう。個人的にはありがた迷惑な感じもするのですが、、、。(遺跡の出土品でもないのに強引にそっちへ引き寄せられているという感じ?お人形を実測しているというのもなんだかねえ。仮に平田郷陽の人形だったらこういう扱いになっていたのかどうか?この辺は担当者の趣味によるものというべきか?それともご自分のお家芸をここぞとばかり披露したかったのか?絶対写真に代えてくれたほうが親切だとおもうけれど、、。)
ここからが本題と思ってください。102ページから104ページまで「金沢武佑寄贈資料実測図リスト」という遺跡報告書でいうところの「観察表」のようなのがあります。はっきり言うとこの内容だとむしろない方が混乱がなくてよかった。とんちんかんです。例えて言うなら「日本にまだ来たことのない外国の方が"fujiyama","sakura","geisha"を想像して芸者さんがハイヒールを履いてパラソルをさして富士山に登っているような妙なへんてこな感じ」あるいは「外国の方がはじめて納豆を食べて書いた印象記のような不思議な」感じがします。当たり前のことは他のところでまとめて述べ、資料それぞれのつくりや特徴をこそ優先して述べるべきところなのに、大事なところは触れないで、尚且つ実物のつくりとはまったく違うことを書いている箇所さえある。そしてこうした誤りを訂正している様子もないので、この報告書でこれからお伝えする箇所の誤りを読んで、正しいと思って認識してしまう人も出てくる恐れがあります。「印刷物の誤りについては印刷物で訂正するのが本当なのかもしれませんが、貧乏な人間には自分のブログから発するくらいしかできません。たくさん訂正、加筆すべき箇所があるのでどこから手をつけたらよいのか戸惑いますが、これば絶対間違っているという緊急度の高いところから手をつけていきたいと思います。既に報告書をお持ちの方、お時間あったら実際に読んで比べてください。
危険度★★★明らかな間違い
①102ページ図版No9-33~9-38、資料名「土人形 五人囃子」の「状態/備考」「手びねり×→手びねりではなくて前後2枚割型から抜き出して成形したもの」
②103ページ図版No14-58、資料名「土人形 大黒天×→大黒天ねずみ」ねずみ単体で裏に大黒天の朱書があるにもせよ、これはねずみであり大黒天というのはおかしい。江戸博内ライブラリースペースでパソコン検索で館収蔵品を検索できるというシステムがあり、「今戸焼」メニューの中に「大黒天」とあったのでクリックしたら「ねずみ」が出てきてびっくり。ご眷属ではあっても「大黒天=ねずみではない」
③103ページ図版No16-69~16-72、資料名「土人形 〇〇狸」の「状態/備考」「手びねり×→手びねりではなくて前後2枚割型から抜き出して成形したもの。但しとっくり狸については持ち物を別パーツでつくり接合した可能性あり。」
④103ページ図版20-84、資料名「土人形 みこし」の「状態/備考」「手びねり×→胴体は手びねりではなくて2枚割型から抜き出して成形したもの」
危険度★★とんちんかんな表記
⑤ 102ページ~104ページのほとんどの資料の「状態/備考」「裏面は白塗り× 裏面は頭髪以外は白塗り×裏面は〇〇以外は白塗り×」→今戸焼に限らす、伝統的な郷土人形は素焼きの上に膠溶きの胡粉を地塗りしてから彩色をするのが常識であることを原則としてはじめにまとめて記述すべき。〇〇以外のところだけを白く塗るのではなく、白く地塗りした上に膠溶きの染料や顔料で着色するのであって白い部分は着彩しないで残っているだけのことで、土人形はわずかの例外を除いて、そういう手法でしあげられるのが原則。その原則を記していないことは大きな欠落で怠慢以外の何ものでもない。
危険度★★★実測しておきながらどうして記録できなかったのか?大きな手落ち。
上記の一部の「手びねり」と表記してある誤りのある資料以外にはどういう方法での成形であるかを全く明記していない。少なくとも「2枚前後の割型からの型抜きによる成形」であることぐらいは明記すべきこと。特に以下の資料の成形には2枚の割型だけでは抜き出すことのできない特殊で複合的な成形がなされているのだから、実測したときにどうして気がつかなかったのか?記録できなかったのか大きな手落ちと言える。成形について記されていないので、⑥~⑨の赤字の部分は私が補足します。
⑥103ページ図版No11-46、資料名「土人形 猫抱おかめ」の「状態/備考」→おかめ本体は前後2枚の割型から抜き出して成形しているが、猫は別の型より抜き出したパーツを本体に貼り付けて全体を仕上げているもので2枚型ひとつでは抜き出すことのできない形であること。
⑦103ページ図版No14-56、資料名「土人形 狐馬」の「状態/備考」→台つきの馬と上に乗る狐はそれぞれ別の2枚の割型から別々に抜き出されたものを接合して成形している。通常のひとつの割型からこの形全体は抜き出すことは不可能だし、それぞれ2つのパーツに残る型の合わせ目を見ればわかるはず。
⑧103ページ図版No16-66、資料名「土人形 かっぱ娘」の「状態/備考」→かっぱの本体及び篭の部分は前後2枚の割型から抜き出しているが、篭に乗っている「きゅうり」だけは別の型から部品を抜き出し、篭に貼り付けている。きゅうりが引っかかって前後の2枚型では抜き出すことができないから。
⑨103ページ図版No17-76、資料名「土人形 牛」の「状態/備考」→牛本体は前後2枚の割型から抜き出して成形しているが、額の上の宝珠は別の型より抜き出したパーツを本体に貼り付けて全体を仕上げているもので2枚型ひとつでは抜き出すことのできない形であること。
以上の9点は急ぎ足で特に目立ったおかしな点を訂正したものですが、、あっもうひとつあった。
⑩●102ページ図版No8-30、資料名「土人形 平重盛×」は「小野道風」です。
「実測表」といっておきながら、ここで10箇所も間違っていたりとんちんかんだったり、、。執筆者は何を見ていたのかといいたくなります。または寄贈者から話を聞いていなかったのか?
但し江戸博学芸部の内情に詳しい人が言うには 「江戸博の学芸の仕事は忙しい。そのなかでこれを執筆、発行させたのだから、、、。」というお言葉ですがなんだかおかしい。要するに内輪の事情により不正確な内容があっても仕方がない、、、。というのは外部の人間に通用する理屈でしょうか?重病人を前に執刀するお医者さんが忙しいからといって手術を失敗してもよいという理屈と同じじゃないですか。
たまたま今戸焼、今戸人形に興味のある私の目についたおかしな点について記してみたのですが、今戸焼以外の江戸博での展示や研究紀要の中身、外に向けての学芸の対応についておかしいとおっしゃっている方はあまたいます。雛飾りの時変な飾り方をしてるのにどうしてわかる人に聞かないのだろう?地口行灯について訪ねたら「有明行灯のことですか?」と言われた、、、ETC。なぜか?? 想像するに、江戸博の学芸員たちの仕事の分担や取り組みそのものが、良い展示、親切な博物館を目指す以前に担当している学芸員のキャリアとしての足場固めへの欲のほうが強くて、人に尋ねることによってキャリアを人に取られてしまう、と恐れているのではないか、だからひとりで決めておかしなことになってしまうのだろう、、、。いろいろな人と話してそうした結論に落ち着くことがよくありました。
再びこれら今戸焼報告書の執筆発行に至るまでの当時のことを考えて見ると、春吉翁の娘さんである花さんやお孫さんの武佑さんのお気持ちを汲んで江戸博へ寄贈の橋渡しをされた故・浦野慶吉さんや、春吉翁の思い出について語っていらした故・牧野玩太郎さんに、この担当者である学芸員は当然接触しているはず。もし編集の段階でこのおふたりに質問するなり原稿に目をとおしてもらい確認してもらっていたならば、このような10箇所以上のおかしな間違いを活字に残すようなことにはならなかったはず。故・浦野さんは郷土玩具の世界きっての研究肌の方で今戸人形については特に調べておいでだった方。故・牧野さんは戦前からの収集家で、特に今戸のことは直接春吉翁にもあっているなど昔をよく知っている方だったはず。しかし実際にこの学芸員先生は人に確認してもらうこともせず独断でとんでもない誤りを残してしまった。どうしてかといえば、イソップ童話の「橋の上の欲張り犬」のように、当の学芸員さんは自分の手柄を独占したいばかりに人に尋ねることをしなかった。もし尋ねていれば当然このようなミスは生じなかったことでしょう。同時に学芸員はこのおふたりを利用するだけ利用しながら「学者や学芸員ではない単なる趣味家、好事家」くらいに内心馬鹿にしていたと想像することもできる。この点についてはこの学芸員による他の江戸博報告書の記述にも表れている。更には金澤花さんや武佑さんの話も真剣に聞いていなかったから勘違いが多かったことも考えられる。
私はこの学芸員さんにはたった一回しかお目にかかったことがなく、「とんかつ」だか「メンチカツ」だか「チキンカツ」のようなお名前だったような、、。「水漏れこうすけ」みたいな人だな、、という印象をかすかに覚えているのと「江戸博以外に今戸人形は、、、」という発言にショックを受けたという実体験を持っているだけですが、もしかするとこの学芸員さんだからこそ、こうした独断でミスを残してしまったともいえるのかな?と思うようになりました。テーマが郷土人形にかかわるものなので、戦前に書かれた文献に目を通せばある程度てがかりがあるものなのに、この人は自分は学者で、自分のアカデミックな学問の方法によって出てきた内容いしか信じない、戦前に書かれたものはくだらないくらいに思っているのです。そのくせ変なところで学問らしくない独善的な決めつけをする癖があるようです。「天上天下唯我独尊」。お釈迦様のように偉い人なんでしょうね。とんかつさんは、、、。「自分以外はみんな馬鹿だ」とお思いあそばしている。でも頭にくる。浦野さんを利用するだけ利用して馬鹿にしているなんて、、、。あんまり頭にくるからこのとんかつ学芸員の顔にとんかつソースとからしをたっぷり塗ってやりたくなる。
話は変ってつい最近ある人から聞い話、このとんかつ学芸員さんご家老様くらいには出世しているだろうくらい思っていたのですが、何と某・小金井市にある江戸東京博物館〇〇園の「イチジク様」(最高管理職)までご出世あそばされたそうで大慶至極にございます。(イチジク○腸ってありますね?。)こういう役職って、自分から立身出世を志さなければなれないはず、、。日吉丸から太閤秀吉様へ。次は両国のイチジク様へ?そのあとどこかの大学の先生?秋の園遊会のご招待を受け、褒章をめざす?ノーベル賞はちょっときつい?上昇志向は結構なんですが、報告書なんかの活字に間違いを残すというのは後後の学習者への大きな迷惑になってしまいますよ。お偉くなったからもうやらないなんて考えないで訂正表でもお作りになったら如何でしょうか?イチジク様。私たち世俗の人間と違ってあなたは学究の世界の聡明で高貴なお方、アカデミックな世界を極めるお方なのですから、過去の間違いもきれいに訂正なさったほうがいいと思いますよ。また今後変な頑固さでおかしな誤りをこれ以上残さないでくださいね。イチジク様「天上天下唯我独尊」だと思し召すのはご勝手ですが。この報告書を信じて一生懸命読んでいる人には気の毒です。イチジク様の放屁まで沈香のように拝んで嗅げと強制されているみたいで、、。
今回の「今戸焼報告書」のほかにもちょっと納得のいかない研究報告があるのでそれについてもまた改めて記してみたいと思います?。