これもやりたい、あれもやってみたいという好奇心といったらよいか、、、一昨日は土を掘っていたのが、昨日は泥を撹拌していたり、傍から見て何やってるんだろう?という感じかな?と思ったりもするんですが、、。縁起物の枡を作っています。今でも酉の市などへ行けば、縁起物の枡で恵比寿大黒が入っているのは見かけますが、恵比寿大黒の姿が塩ビ製だったりパルプの遠心分離成形になっているのがほとんどで今戸焼製のものは遠い昔になくなってしまっています。本質的には「幸せを願う」上での縁起かつぎなので、素材が変わってしまったから駄目だ、ということはないんですが、個人的には今戸焼屋さんが恵比寿大黒の需要を担っていた時代の「かたち」を再び再現してみたくて長年考えていました。
そして考えてばかりいないでまずは実行してみようということです。
木材を直角に切断するとか45度とかひどく苦手なんです。中学校の頃技術家庭科という実習科目がありましたが、体育と並んで大嫌いでした。図画工作とか美術は大好きなのに技術科は大嫌い。ひとつには夢とか自由な創作ではなかったから。もうひとつは男女別々に授業を受けますね。技術担当の先生の人柄にもよるかもしれませんが、野郎ばかりの殺伐とした印象が陰鬱なイメージで嫌でした。体育にも通じる「前にならえ」「気をつけ」「休め」のような修練みたいな空気が技術室にもあったと思います。そんなわけで美術での木版画とか木彫レリーフとか、丸彫りとかは大好きでじっくり取り組むのですが、材木の加工は大の苦手。
昔、今戸焼屋さんが恵比寿大黒の需要を担っていた時代は、こうした縁起枡は分業で完成されていたもので、今戸焼屋さんは「木地屋」と呼ばれる型抜きかた素焼きまでを専業にしていた家と落語「今戸の狐(骨の賽)」に出てくるような内職で絵付けをする人、枡を専門に作る人、それらをセッティングさせて完成させる人々の手を経て出来上がったものだと思われます。
枡といえば、枡を専業に製造する家は全国的に健在なのですが、それらは「実用向け」の枡なので四隅がかみ合うような組木式の頑丈なものですね。そういうものは既製品として入手することは難しくはないと思います。ただ縁起物の枡は作りが甘いもので角の組木のかみ合わせもないし、底板は底を塞ぐためだけに寸足らずな薄板を貼ってあるだけです。そのチープさがいかにも「際物」的で楽しいと思って自分で作っています。木材は全て専門家にカットしてもらいました。
中にセットする恵比寿大黒は現在型を準備中です。「くだらない」と言われてしまえばそれまでですが、まずは完全にセット仕上がってどうなるか、今はわくわくしています。