高台の横に「寿み田川焼 半七」の陶印があり、関東大震災による被災の後、関西へ移住した7代目白井半七(今戸で制作した最後の半七)の作だろうと思われます。べんがら(酸化鉄)のようなもので素焼きを化粧をし、全体を柿色にしてから白化粧土でしょうか三升の紋を置いて上から有鉛の透明釉をかけて低温焼成したものでしょうか?ところどころ銀化していて、不思議な変化があっておもしろいと思います。共箱の蓋にも器の底にも「暫」とあります。歌舞伎十八番のひとつ「暫」の主人公鎌倉権五郎の姿に見立てたもののようです。
お茶のことを全然わからないでこうしたものを眺めているというのもおかしな話ですが、器を何かに見立てる趣向というのはあるにしても、暫というのが不思議です。図らずも江戸歌舞伎の随市川の暫の見立てを今戸焼の白井半七が作ったというところに出来すぎるくらいにできた江戸つながりといったものを感じるのですが如何でしょうか?
菓子器ですから当然お茶器よりもふたまわりくらい大きなもので、「暫」の劇中での「あ~りゃ」の化粧声に続いての「でーっけえ」と決まる元禄見得をイメージしたものなのでしょうか?
当時の芝居関係の人による注文で制作され、配り物とされたものか、芝居好きの頒布会のようなところからの注文によるものなのか皆目わかりません。
お説のとおりだと思います。茶道のことはわかりませんが、侘び寂びの世界という先入観があるのですが、やはり江戸っ子の好みとして考えれば納得できなくもないですね。わざわざ「暫」という陶印を入れてあるところが、歌舞伎関係か歌舞伎趣味の人たちに注文によるものかとも考えてしまうのですが、、。仮に市川家の関係だとすれば、この時代9代目は既になく、10代目を追贈された市川三升(堀越福三郎)の時代でしょう。11代目はまだ市川家に養子に入っていないと思います。